20代半ばからフリーになる直前の30代初めまで働いていた通信社の社長が、『イントレランス』という古ーいハリウッド映画の日本国内でのビデオ化の仕事に関わっていた。
『イントレランス』という映画
D・W・グリフィスという映像作家が監督・脚本を務めたこの映画のテーマは、時代を問わずに存在する人間の不寛容性だ。4つの視点を通して、時代ごとの不寛容さが浮き彫りにされていく。いつの時代にも、世の中の大多数から叩かれる人がいる。そしてもちろん、大多数の一部になって特定の誰かを叩く人たちがいる。
最近、SNSでなにげなく発したひと言が炎上し、謝罪を迫られる人が多い。これは一般人であっても超有名人であっても変わらない。少し前の時代ならセーフだったかもしれないもの言い方も見逃されることはない。
“あの女性都議”と“あの人”
目に余る攻撃的な内容の書き込みが集中し、ニュースサイトのコメント欄が閉鎖されてしまうこともある。「過激なコメントが寄せられた場合は閉鎖させていただきます」といった文言があらかじめ示されていることも珍しくない。
ごく最近の例を挙げるなら、あの女性元都議会議員に対する世間のフルボッコぶりがすごい。まあ、この人の場合は本人の行動が常軌を逸脱していたこと、さらにその後の辞任会見での逆ギレぶりも際立っていたので、派手にボコられたとしても大多数が納得するところだろう。
ただ、“あの人”がニューヨーク州の弁護士試験に落ちたことをことさらあげつらい、必要以上に攻撃的なコメントを書く人も少なくない。あの女性都議とこの人を同列で考え、まったく同じニュアンスのコメントを書く人。そういうコメントを書き手と全く同じ視点でとらえ、同調する人。絶対数は同じくらいなんじゃないだろうか。
方向性が怪しい倫理観
世界に類を見ない不寛容な社会——著者談——で生きる日本人を外側からの視線で考察する『不寛容社会』(谷本真由美・著/株式会社ワニブックス・刊)という本を紹介したい。著者の谷本さんは90年代半ばの留学から始まり、国連の専門機関で130か国以上の同僚と働き、現在は日本と欧州を往復して暮らしている人物だ。谷本さんは、この20年ほどで日本社会の不寛容性が高まったと感じているようだ。
特にここ最近では芸能人の不倫を「非倫理的」だと叩いたり、ブログやツイッターで、毎日のように有名人や一般の人の投稿が炎上しています。個人的な体感としては2011年に東日本大震災があってから、叩く数も、ねちっこさも、さらに増大したように感じています。
『不寛容社会』より引用
ミュージシャンと不倫関係にあった女性タレント。公費の使い方を間違えた前都知事。“多目的トイレ”が代名詞になった芸人。行為そのものは決して褒められたものではない。しかし谷本さんは、「自分自身に実害が及んでいるわけでもないのに、二義的なニュースソースで得た情報を基に、歪んだ正義感に駆られ、必要以上の叩きを、ともすればエンタテインメントに近い感覚で行っている」人々への違和感を覚えているのだろう。
叩くことへの同調圧力
まえがきにこんな文章がある。
本書では海外の事例を踏まえて、なぜ日本が「不寛容な社会」になってしまったのか。なぜ「一億層叩き状態」なのか。また、日本人が「他人叩き」をやめ、より住みやすい社会にするためには何が必要なのかを考えていきます。
『不寛容社会』より引用
こうした立脚点から、各論が以下のような流れで繰り広げられていく。
第1章 他人を叩かずにいられない日本人
第2章 「一億層叩き社会」日本の考察
第3章 お笑い!海外の「他人叩き」事情
第4章 世界に学ぶメンタリティ
第5章 新時代のただしい「正義感」
この本は、叩くことへの同調圧力を無意識に受け容れている人がきわめて多い日本社会とその異質性に、外からの視線を向けていく比較文化論なのだ。
自己重要感を高める方法としての“叩き”
「自分は日々真面目にやってツライ思いをしているのにあいつらはズルをしている。そんなことは許さない。俺が裁く人間の一人になってやる」——と多くの日本人が考えているのです。マスコミやネットを介した「疑似人民裁判」に参加することで、自分が世間の重要人物になった気がして、自己重要感を高めているわけです。
『不寛容社会』より引用
この文章の一字一句すべてがすべてのケースに当てはまるかどうかは別として、こういう書き方は決して嫌いではない。煽った響きの文章が多い気もするが、経験値に基づく冷静な考察に裏打ちされた結果であることをはっきり示しておく。D・W・グリフィスがこの本を読んだら、どう思うだろうか。
【書籍紹介】
不寛容社会
著者:谷本真由美
刊行:ワニブックス
ツイッターで話題騒然、元国連職員でイギリス在住。新時代の論客めいろまが「他人を叩く日本人」を斬る。