多くの人が知っている『ウサギと亀』の昔話。日本ではイソップ物語のなかのひとつとして知られていますが、実は、アフリカにはもうひとつの『ウサギと亀』の物語があるのです。
競走という物語
イソップ物語での『ウサギと亀』では、のろまの亀が、ウサギとかけっこをすることになります。その原因は、ウサギが亀の足ののろさをあざわらったことにありました。ウサギは「自分が負けるわけがない」と余裕でスタートを切ります。
大差をつけたウサギは途中で昼寝をしてしまいました。そして寝ているウサギの横を亀が追い抜き、気づいた時は亀はゴール直前。必死の追い込みも届かず、ウサギは亀に負けてしまいました。どんなに楽勝そうに見えても気を抜いてはいけないというようなお話です。
走る真剣勝負
走ることが運命を左右するという話はあちこちにあります。たとえば『走れメロス』(太宰治・著)でも、メロスは決められた時間までにゴールしなければ、友人の命が失われてしまうという大変な重荷を背負いながら走っています。
走るという行為は、人間が自分の体だけで頑張るしかないものです。だからこそ、観ているほうも手に汗を握るのでしょう。箱根駅伝での沿道の大観衆も、学生たちが抜きつ抜かれつの真剣勝負をしている姿に胸を打たれるからだと思われます。
アフリカの「ウサギと亀」
『世界昔ばなし(下)アジア・アフリカ・アメリカ』 (日本民話の会・編訳/講談社・刊)では、アジアやアフリカなどの珍しい地域の昔ばなしが49編収録されていて、アフリカ版『ウサギと亀』とも言える話も入っています。不思議なことにそのタイトルは『亀とウサギ』と、動物の順番が逆になっています。
あらすじはほぼ同じです。ウサギと亀が競走をして、亀が勝つのです。けれど、アフリカ版では先に闘いを挑んだのは亀のほうなのです。そして、ウサギは昼寝はしません。それどころか全力で勝負します。しかし、負けてしまうのです。
知恵で相手を撹乱
亀はどうやってウサギに勝ったのでしょう。それは、知恵を使ったからなのです。亀は、要所要所に親戚の亀をあらかじめ配置してから勝負に挑みました。親戚と言うからには見かけも似ているのでしょう。この亀たちがウサギを翻弄するのです。
ウサギは時々立ち止まると、どれだけ亀を引き離しただろうと後ろを振り返ります。しかしすぐ近くから亀がのそっと出てきて「僕はここだよ」と言うものだから、ひどく驚き、もっと引き離さなくてはと全力でゴールに向かうのです。
教訓の違い
どちらの物語もあらすじはそっくりなのに、得られる教訓が違います。イソップ物語では、気を抜いてはダメという教えでしたが、アフリカの昔ばなしでは、知恵を使って相手に勝とうというものなのです。
解説によると、世界の各地に、知恵を使って相手を懲らしめるという昔ばなしは存在しているのだとか。「自分より劣っていると思っている相手をからかったりいじめたりすると、あとで痛い目に遭うぞ」という勧善懲悪的な考えも入っているのかもしれません。
コンプレックスとの闘い
物語での亀は、足が遅いことをウサギにからかわれ、それをコンプレックスに思っていたことでしょう。しかし、コンプレックスこそが原動力になるものです。亀も悔しさからウサギに勝つための作戦を真剣に考えるようになったのではないでしょうか。
世の中にはコンプレックスと闘っている大勢の人がいます。コンプレックスは逆手に取れば、長所になることもあります。たとえば背の低さを生かして、小回りを利かせて活躍するようになったサッカー選手もそうです。
こう考えると、アフリカの昔ばなしのタイトルが「亀とウサギ」となっていたことにも納得できます。「ウサギと亀」では寝坊したウサギが主人公でしたが、「亀とウサギ」では知恵を使った亀が主人公だったのでしょう。敗者が得た教訓と勝者が得た教訓、ふたつの物語は視点が違ったからこそ教訓も異なっていたのです。
【書籍紹介】
世界昔ばなし(下) アジア・アフリカ・アメリカ
著者:日本民話の会(編)
発行:講談社
六代生きてるおばあさんがいて……、ウズラ打ちのチャンさんと、漁師のリーさんは、義兄弟の契を結んで……、大平原にインディアンの村があった。大変暑い夏のこと……、歴史も文化も異なる様々な民族の伝承。美しく厳しい大自然に密着した、生命力あふれる昔話を、原資料から選んで翻訳。詳しい解説付き。