「親ガチャ」という言葉が最近よく使われています。どの親から生まれてくるかを選べないため、くじ引きのような意味合いでガチャと表現しているのです。子どもから「親ガチャにハズれた」と言われたら、親はどうしたらいいのでしょう。
世の中には当たりハズれがある
子どもを育てるようになると、当たりハズれというものが世の中にあることを痛感することがあります。幼稚園の入園が抽選であった時、子どもが行きたがっているイベントが抽選である時など、運が左右することがあるからです。
運よく入園資格やイベントチケットを当てることができる親子と、残念ながら当てられずにあきらめるしかない親子とに分かれてしまうのは、定員がある以上どうしようもないことです。こういうことについて「ガチャにハズれた」と表現するのはまだわかります。けれど、親に対して「ガチャ」と言うのはどうなのでしょう。
不幸の連鎖のなかで
『親ガチャにハズれたけど普通に生きてます』(上村秀子・著/KADOKAWA・刊)は、親ガチャにハズれた子ども側から綴られたコミックエッセイです。母親の離婚、再婚、そして貧困に暴力……胸が痛くなるような苦しいエピソードが前半では続きます。
できればお金持ちの家に生まれたいと思う人はいるでしょう。全ての親が暴力や暴言をふるわず、いつもニコニコ褒めてくれて、美味しいご馳走を食べさせてくれて、外国旅行にも連れ出してくれるような親だったら、どんなに素晴らしいでしょう。
子どもは親を選べない
けれど、子どもは親を選ぶことはできません。裕福ではない家に生まれ、行きたい学校に通うことも許されず、暴力を振るわれ、満足に食事を与えられない生活を送らなくてはならない子どもも世の中にはいるのだという現実を、このコミックは突きつけてきます。
ただ、救われた思いがするのは、主人公の女の子が決して人生を諦めなかったというところ。劣悪な環境から抜け出そうと努力し、自力で働いて家から出ていこうと頑張る姿には、心から応援したくなります。けれど、どのようにして頑張ったらいいのかもわからず苦しみ続ける子どもも、なかにはいるのかもしれません。
親も子どもを選べない
女子高生たちが街で「親ガチャにハズれてさ」「もっと金持ちの家に生まれれば良かったよ」などと話している言葉が耳に刺さったことがあります。自分の家の子がこのようなことを口走ったらなんと答えればいいのだろうと考えてしまいますが、自分の人生、自分で頑張って成功を掴んでねとしか思い当たりません。
親も子どもを選ぶことはできません。けれど、生んで顔を合わせたその時がご縁の始まり。成人するまで責任を感じながら育てていくわけです。子どもにも個性があり、親の思い通りに成長するわけではありません。イライラすることも出てきますが、その都度話し合い、お互いになんとか折り合いをつけながら日々を送っていくしかないのでしょう。
親と子の結びつき
『親ガチャにハズれたけど普通に生きてます』の主人公は、後半では家から脱出し、自分の人生を幸せに歩み始めたかのようにも見えたのですが、ことあるごとに母親から受けた影響が彼女を苦しめるようになります。親以外の生きかたや愛しかたを知る機会を得られないままだったのかもしれません。
親の影響から完全に脱するにはやはり長い時間がかかるのかもしれません。お互いの性格や生きかたの違いもあり、残念ながらわかりあうのが難しいケースもあるのでしょう。
コミックでは親の甘えも多数描かれ、子を持つ親としては、気づかされることも多かったです。私たちは「家族なんだから」という言い訳で関係に依存せず、一歩離れ、お互いの個性を尊重しながら暮らすことがいいかもしれません。そうすれば、必要以上に傷つけ合わず、お互いに楽になれるかもしれないからです。
【書籍紹介】
親ガチャにハズれたけど普通に生きてます
著者:上村秀子
発行:KADOKAWA
毒親育ちは「私がダメな子だから」と自分を責めて育つ。そうじゃなくたまたま運が悪かった、と思える親ガチャという言葉が救いになる。親ガチャ失敗からのリカバリー!自伝的コミックエッセイ。