こんにちは、書評家の卯月鮎です。私は大きな企業に勤めたことがないので上座・下座などのマナーには疎く、お店でも「奥の席が空いてるなら座っちゃおう」くらいのタイプです(笑)。でも、上下関係を気にする会社ではそうもいかないようで、上司とタクシーに同乗するときや、エレベーターに乗るときも、どこにポジションを取るか悩みは深いとか。
こうした役職による席次のようなものが、実は江戸時代の法廷「お白洲」にもあったと知って驚きました。どういった裁きが行われるかよりも、誰がどこに座るかに役人が心を砕いていたというから、これはある意味日本のお家芸なのかもしれません。
お白洲は裁判所にあらず!?
今回紹介する新書『お白洲から見る江戸時代 「身分の上下」はどう可視化されたか』(尾脇 秀和・著/NHK新書)は、江戸時代の裁判が行われたお白洲の意外な真実に迫る一冊。
著者の尾脇 秀和さんは歴史学者で、神戸大学経済経営研究所研究員、花園大学・佛教大学非常勤講師。『刀の明治維新――「帯刀」は武士の特権か?』(吉川弘文館歴・歴史文化ライブラリー)、『壱人両名――江戸日本の知られざる二重身分』(NHKブックス)などの著書があります。
お白洲には階段はなかった!?
本書では、まず「お白洲」とは何かというところから入ります。『遠山の金さん』を筆頭に、時代劇では庭のような砂利引きの場所に民がひれ伏し、お奉行様が上の座敷で裁きを下す……というシーンが一般的です。
しかし、実はお白洲はそんなわかりやすい空間ではなかったようです。個人的には、庭だと思いこんでいた砂利部分が屋根に覆われた室内だった!? というのが意外でした。また、当時の様子を再現した絵も掲載されていますが、遠山の金さんが片肌を脱いで決め台詞を言う際に踏む階段もなかったようです。
当時のお白洲は、座敷・上縁(縁側の1段目)・下縁(縁側の2段目)・砂利の4段に分かれ、人々は身分の上下に応じて座る場所が明確に決められていたそうです。もちろん被告が武士で、訴える側が町人でもそれは変わらず。悪いことをした側が上にいて、被害を受けた者が砂利に正座というのは、現代の感覚だと少し違和感がありますね。
第3章「武士の世界を並べる――どこで線を引くのか?」では、武士の世界にあった細かいヒエラルキーとお白洲について詳しく触れられています。上級武士は「熨斗目(のしめ)」という腰のあたりに縞や格子模様がある絹の着物が許され、それがステータスシンボルとなっていました。お白洲では上縁に座るのがしきたり。
しかし、本来は砂利に座るべき「大名の家臣の家臣(又者)」のなかに、特別に熨斗目を着ることを許された者もいたからややこしい。着物は上級武士でも、幕府から見ると身分は低い。こうした特殊な格付けの武士が評定所(江戸にあった幕府の最高裁判所)に出廷したとき、どこに座らせるべきか? 評定所がきちんと判断を下した史料が引用されています。アルマーニのスーツをビシッと着た課長と、よれよれの一張羅を羽織った部長がいたら? ……みたいな感じでしょうか(笑)。
江戸後期になるとお白洲のどこに座るかはより複雑に。もともと神社の神職は下級なら砂利でしたが、時代が下るにつれて力を持ち、帯刀を許されるほどになると砂利ともいかないわけで……。安永七年(1778年)には「訴状を持っていれば上縁、ないと下縁」という内規が発せられたとか。「座席判断自体が、その人物の社会的地位の根拠」として利用される側面があったと尾脇さん。お白州は法廷ではありますが、社会の秩序を明確にする場所でもあったのでしょう。
1冊まるごと「お白洲」というワンテーマながら、わかりやすく丁寧な説明で、お白洲が持っていた社会的な意味が明かされていきます。知らなかったことも多く、驚きながら歴史の裏側の勉強にもなる1冊。身分の価値が移り変わっていく様子を、お白洲の史料から読み取るという着目点も非常に面白いところ。
また、イレギュラーな身分の民に四苦八苦する当時の役人たちの様子も想像できて、ユーモラスなお役所ものやお仕事ものの雰囲気も感じました。真実の究明よりも、席次のセッティングのほうが大事なんてコントみたいですね(笑)。
【書籍紹介】
お白洲から見る江戸時代 「身分の上下」はどう可視化されたか
著者:尾脇 秀和
発行:NHK出版
「これにて一件落着!」。決め台詞でおなじみの「江戸のお裁き」の舞台は、本当はどうなっていたのかー。奉行所の役人が開廷初日に直面したのは、裁判にやってきた人々を身分に応じた座席に振り分ける難事だった。百年以上にわたって記録を書き継ぎ、さまざまな身分の上下を見極めようとした役人たちの熱意の背後に、幕府が守ろうとした社会の秩序と正義のあり方を見出す。「身分制度」への思い込みが覆される快作!
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。