こんにちは、書評家の卯月鮎です。子どもの言い間違いや不思議な言葉遣いって、かわいくて面白いですよね。私の友人が小学校1年生の娘さんに「お母さんが一番かわいい」と言われて、「どのくらいかわいい?」と聞き返したところ、「お母さんは3万8500円くらいかわいい!」と即答されたそうです(笑)。
友人は「100万円とかならともかく微妙な値段……」と笑っていましたが、娘さんはテレビショッピングでも見たのでしょうか(笑)。
言語学者が語る言葉の認知科学
こんなふうに、小さいお子さんがいる家庭なら月にひとつやふたつは言葉遣いのおもしろエピソードが生まれていると思います。しかし、ただ笑って終わりにしないのが言語学者の研究魂。今回紹介する『子どもに学ぶ言葉の認知科学』(広瀬友紀・著/ちくま新書)は、母であり言語学者である著者が、実際に息子さんの授業ノートやテストなどから見つけた珍回答の数々を考察する一冊。なぜそんなミスをしたのか、深掘りしていくユニークな内容です。
著者の広瀬友紀さんは東京大学総合文化研究科教授。専門は心理言語学。特に言語処理を研究し、言語発達過程の子どもがどのようにその知識を運用するかに関心を寄せています。著書には『ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密』『ことばと算数――その間違いにはワケがある』(ともに岩波科学ライブラリー)などがあります。
鏡文字を書く子どもの脳内では何が起きている?
第1章は「習わないのにわかっていることば――言語習得とその先」。他の著書でも触れられていましたが、「これ食べたら“死む”?」という動詞の活用がテーマになっています。「死ぬ」ではなく「死む」と間違ってしまうのは、子どもにはよくあることのようで、本書にも広瀬さんのお子さんが小3の時点で「しむ」と教材に落書きした写真が掲載されています。
大人から見れば「しむ」なんてほほえましいなあと思ってしまいますが、この「しむ」の間違い活用からわかるのは、子どもが単に大人の言葉使いを模倣しているわけではないこと。「飲む」「読む」のような、よく使う言葉から類推して、習わなくても「大きな法則から一般化を試みている」と広瀬さん。言語学的にそれは「過剰一般化」といい、最終的に正しい知識に至るための過程なのだそうです。
第2章には、息子さんが小学校1年生のときに書いた、見事な鏡文字の数々が掲載されています。この章では、頭のなかで文字を画像認識する際に何が起きているのかを分析します。実は英語圏の子どもたちも「b」と「d」を混同する傾向が強いのだとか。
そもそも人間の視覚認知は、向きに関係なく、同じ形を同じものとして認識するのが基本だそうで、鏡文字もその現れ。つまり、正しく文字を学習する際には、もともと備わっている左右にとらわれない認知能力を捨て去る必要がある……。
この解説を読んでハッとさせられました。子どもの頃は鏡文字をよく書いていたけど、大人になったら書けなくなったという話をしばしば聞きます。大人の頭が“固い”のは、柔軟な能力が固定化してしまったから、なのでしょうか。
息子さんのプリントやテストのユニークな答案に驚きつつも、そこから言語学的な発見を見出していく。子育てエッセイ風の雰囲気もあって、認知の仕組みについて深い話が展開されているにもかかわらず、クスッと笑いながら柔らかく頭に入ってきます。間違っているから“ダメ”とせずに、なぜ間違ったのか理由を考えることも大切、そんな探究する懐の深さが温かい読み味につながっています。
【書籍紹介】
子どもに学ぶ言葉の認知科学
著者:広瀬 友紀
発行:筑摩書房
ヘンテコな答えや言葉遣いには、ちゃんと意味がある。子どもの、あるいは人間一般の心の働き、認知のしくみ、言葉の法則や性質について、楽しく学べる一冊。
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。