女優であり、作家でもある岸惠子さん、なんとこの8月で90歳になられたそうだ。
1970年代、山口百恵さんが主演していたテレビドラマ「赤いシリーズ」に”パリの素敵なおばさま”として登場していた岸さんに、憧れていた。その後、私自身も20年間をフランスで暮らすことになったのだが、いつもお手本は岸さんと考えていた。もちろんお目にかかったことも、パリの街ですれ違ったことすらないけれど、映像や書物、雑誌のインタビューなどを通じて日本人として凛として異国に生きる岸さんの姿に、たくさんの勇気をもらった気がしている。
今日紹介する『孤独という道づれ』(岸惠子・著/幻冬舎・刊)は、2019年に単行本として刊行されたもので、今年の5月に文庫化され、ふたたび注目を集めている。
孤独とうまくわたり合って生きていく
「孤独という道づれは、馴染んでみればファンタスティック! わたしは少しばかり狡く賢く、要領よく、この道づれを抱き込んで、かなり気ままなひとり旅」などとエッセイに書いたりした。これは多少のはったりと、多少のホントが入り混じったわたしの啖呵なのだった。わたしには孤独とうまくわたり合って、自分に取り込んでしまう才能がある、と本気で思っていたし、今もそう思おうとしている。
(『孤独という道づれ』から引用)
岸さんは本書でこう記している。岸さんが日本を飛び立ったのはまだわが国で海外旅行が許されていなかった1957年、24歳のときだった。それから43年間という長い長い時間をパリで暮らしていた。その間にはご主人であったイヴ・シァンピ氏との離婚も経験している。そして大事に大事に育てたひとり娘である麻衣子さんを彼の地残し、ひとり日本に帰国したとき、岸さんは67歳になっていた。現在は故郷である横浜を拠点に現役バリバリで活動されている。
一張羅の言葉は日本語だけ
私は「20年もフランスで暮らしていたのに、どうしてそんなフランス語が話せないのか」と多くの人たちから言われ、何度も落ち込んだものだ。けれども、私の倍以上の時間をパリで過ごした岸さんをもってしても、フランス語は痒いところに手がとどかない外国語だという。どれだけ長くその土地にいても外国人は言葉の壁を乗り越えることができないのかもしれない。
一つの国の言葉には、その国の長きにわたって培われたエスプリや、可笑しみや、毒や華が複雑にくぐもり、宿っている。雨風の匂いや、土の匂い、空気に潜むその国独特の気配のようなもの……それはそこに生まれ育った者のみがかぎ取ることができる、言霊のようなものかもしれない。フランス語のそれはわたしの娘が持ち、母親であるわたしが持ち得ないものなのだ。だからわたしたち母娘は、心底分かり合ってはいない。
(『孤独という道づれ』から引用)
だからこそ岸さんは母国語である日本語をとても大切に書き、そして話しているのだ。パリ時代から、「一張羅の日本語だけは、正しく、美しくあやつりたい」と思って生きてきたという。
自分を年寄りと感じたことはない
岸さんは、人生の最晩年を生きているという自覚はあっても、自分を「年寄り」と感じたことは一瞬たりともない、ときっぱり言っている。本書の「八十五歳の、見栄とはったり」という項では、一度だけでなく、二度も転倒し、肋骨を骨折したり、額から血を流したりの顛末が書かれていて、岸さんの意外と”おっちょこちょい”な一面が垣間見れる。が、しかし、怪我の痛みを隠して、テレビ出演するくだりはさすが、プロフェッショナル。そして、高齢になっても自分を奮い立たせることの大切さを教えてくれる。
局を出たら、日暮れと夜のあわいをゆく空に、夕焼けの残照が黒雲を虹色に染めている不思議な光景が広がっていた。(中略)やがてはどっぷりと夜の中に溶け落ちてゆくその風景を、自分に残された僅かであろう生と重ね合わせて、なにかこそばゆい気持ちで自分に活をいれたのだった。
(『孤独という道づれ』から引用)
日本人になれなかった娘さんの話
本書を読んでいて、とてもせつなく感じたのは、岸さんの娘さんの国籍に関することだ。現在では、日仏家庭に生まれた子どもたちは日本国籍、フランス国籍の二つを持ち、22歳になった時点でどちらかの国籍を自らの意志で選択している。日本の法律ではフランスで子が生まれた場合、生後3か月以内にパリの日本大使館の領事部に出生届を出すことで、その子に日本国籍が与えられる。
今では在仏日本人も多く、周囲が教えてくれるので届出ミスはほぼないだろう。しかし、岸さんが出産した時代は、アドバイスをしてくれる日本人もなく、まして異国でのなれない育児に奮闘していたため、出生届を出せなかった、というより、そういう法律があることすら知らなかったのだそうだ。
後日、なんとか娘さんの日本国籍を取ろうと、さまざまな書類を用意し、日本の法務省に承認してもらおうと岸さんは東奔西走したが、法務省の返事はNOだった。娘の名を岸さんの戸籍謄本に記載してもらうという母親としての願いは叶わなかった。在パリの日本領事も気の毒がったそうだが、決めごとは決めごとで一切の例外を認めない、それが日本という国なのだ。
「ママン、法律が何と言ってもわたしはママンの娘なんだから、手数はかかるかもしれないけど、あまり急いて体を壊さないでね」(中略)「だいじょうぶ!」と言って日本とはまったく縁の切れた、パリの家族の元へ帰る娘を抱きしめた。振り向き、振り向き遠ざかる娘を見つめて、わたしも日本への帰国の一歩を踏み出した。身近にいたい母と娘が、東と西、真逆の方向へ向けて歩く姿が、わたしのこころに鮮烈な印象を刻んだ。
(『孤独という道づれ』から引用)
この夏、”令和の鎖国”が少し緩和され、日本国籍を有する在仏日本人の多くが3年ぶりに帰省することができた。が、外国籍の場合はまだガイド付きグループ旅行での来日しか許されていない。岸さんが娘さんやお孫さんと自由に会える日が早く来るよう願ってやまない。
本書の帯にはこう書かれている。
”人生はこれから。日本、夫、娘との三度の別れで気がついた「孤独」という宝もの。
晩年になっても、めげず、凛として生きる岸さんのこのエッセイ、若々しく年を重ねたいと願うすべての人におすすめだ。
【書籍紹介】
孤独という道づれ
著者:岸惠子
発行:幻冬舎
結婚のため単身フランスに渡ったのが二四歳の時。その時、四一歳で夫と別れ独り身になって以来、女優として作家として、母として無我夢中で走り続けてきた。晩年という齢になったが、好奇心と冒険心に駆られて行動してきたおかげで退屈な「老後」とは無縁。その凛とした佇まいと若々しさの源泉を、おどけとハッタリで描ききる会心のエッセイ集!