こんにちは、書評家の卯月 鮎です。私は動物園や水族館に行くと、まずバックヤードツアーが開催されていないか確認します。普段は立ち入ることのできない裏側を、ガイド付きで回れるのがなんとも楽しいんですよね。その後改めて表側を行くと、スタッフの方々の工夫もわかって面白さが倍増します。見えない仕事ほど重要なものです。
ちなみに私の仕事ぶりをバックヤードツアーで見せてくれと言われたら断固ノーです(笑)。散らかりすぎているので……。
正倉院のプロフェッショナルが語る宝物
今回紹介する新書は、奈良にある校倉造で有名な正倉院の“仕事”に焦点を当てた『正倉院のしごと-宝物を守り伝える舞台裏』(西川明彦・著/中公新書)。著者の西川明彦さんは正倉院事務所前所長。1988年から正倉院事務所に勤務し、整理室長、調査室長、保存科学室長、保存課長などを歴任してきました。著書には『正倉院宝物の装飾技法』(中央公論美術出版)などがあります。
正倉院では何が行われているのか?
聖武天皇のゆかりの品を納めるため奈良時代に成立した正倉院は、今でも約9000件の宝物を納めています。本書では宝物そのものの説明ではなく、現在正倉院で行われている仕事を「保存」「修理」「調査」「模造」「公開」の5つの分野に分けて解説していきます。
正倉院のすごさがわかるのが、第2章「正倉院をまもる―保存」。およそ1200年もの長い年月、地中ではなく人の手によって守られてきた伝世の品は稀有、と西川さん。
壁である檜材にはそれ自体に高い吸放湿機能があり、さらに宝物を入れる杉製の容器「辛櫃(からびつ)」も優れた調湿性能を持ち、二重に過湿が防がれてきたのだそうです。
さらにカビ・害虫対策のため、正倉院では年に一度「曝涼(ばくりょう)」、いわゆる虫干しと点検を念入りに行っています。といってもカビの発生を完全にゼロにすることは不可能。現在は、カビが防ぎきれない宝物はポリエチレンフィルムのなかに入れて調湿剤とと防カビ剤を封入して保管しているのだとか。
第5章「宝物をつくる――模造」も驚きがありました。実は、正倉院では宝物の模造事業にも取り組んでいるのだそう。本家がわざわざ模造を作るには主に3つの理由があります。1つ目は展示するため。2つ目は破損したまま伝来した宝物を復元するため。そして私がなるほどと思ったのは、3つ目の危機管理のため。突然の災害に備えてデータを取っておくためだとか。
いずれにしろ宝物を模造することで古代技術の知見が得られ、長く途絶えていた技法の復元につながった例も多いと西川さん。宝物だけでなく、技法を未来につなげることも役割のひとつなんですね。
劣化していく宝物をいかにトリアージするか、科学調査のメリットと限界、正倉院展での職員の緊張感……。長年、保存と向き合ってきた著者ならではの深みのあるエピソードの数々。
時を超えるにはどうしたらいいのか。知恵と技術の試行錯誤は、現場での臨場感もあって読んでいてワクワクします。個人的には“静かなSF”、そんな感覚もありました。
正倉院のあり方は、「動物が生息する環境をまるごと保護区として守る方法に等しい」と西川さん。正倉院はタイムマシンといえるかもしれません。
【書籍紹介】
正倉院のしごと-宝物を守り伝える舞台裏
著:西川明彦
発行:中央公論新社
奈良時代、光明皇后が聖武天皇の遺品を東大寺大仏に献納したことに始まる正倉院宝物。落雷や台風、源平合戦や戦国時代の兵火、織田信長やGHQなど時の権力者による開扉要求といった数多くの危機を乗り越えてきた。古墳など土中から出土したのではなく、人々の手で保管されてきた伝世品は世界的にも珍しい。千三百年にわたり宝物を守り伝えてきた正倉院の営みを、保存・修理・調査・模造・公開に分けて紹介する。
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。