QUEENにとって日本は特別な国
QUEENが初のアメリカ進出に意気込んでいた時期に、東郷さんのQUEEN初取材が重なりました。このタイミングで日本という国にQUEENファンがいることを直接本人たちに伝えられたのは、とても大きな意味があったことでしょう。
「当時は今のように全世界で瞬時に情報が共有される時代ではなかったので、QUEENにいち早く目を付け、自分たちの感覚や独自取材でQUEENの魅力を取り上げられたのがよかったですね。1975年にQUEENが初来日したときは、羽田空港に1000人以上もの女性ファンが詰めかけ、本人たちはその熱狂ぶりに驚き、困惑するほどでした」(東郷さん)
QUEENにとって日本が特別な国であったことはよく知られています。「1977年には日本語の歌詞がサビで使われている『手をとりあって』が日本国内限定シングルでリリースされています。とても美しい曲なので、知らない方はYouTubeで聞いてみてくださいね」(東郷さん)
東郷さんから見たQUEENとは?
初取材から1990年6月に自らMLを卒業するまで、そして、フリーランスの音楽ライターとして再出発してからもずっと、QUEENを取材し続けてきた東郷さん。QUEENの6度に渡る日本来日はもちろん、海外ツアー先への取材を幾度となく行い、メンバーとはすっかり顔なじみの仲に。そして映画の中で最も重要なシーンとして出てくる、20世紀最大規模のチャリティーコンサート「LIVE AID」も生で見ています。今、改めて振り返り、東郷さんの中でQUEENとはどんなミュージシャンだったのでしょうか?
「彼らは、“ロックミュージシャン”というジャンルではくくれない存在です。ビートルズに影響を受けたとか、ローリング・ストーンズに影響を受けたとか、そういう“型”が全く感じられない。“QUEENの前にQUEENなし、QUEENの後にもQUEENなし”と言うのでしょうか。とにかく特異なバンドだと思います。
だからといって、音楽が摩訶不思議で理解できないものかというと、そうではない。美しいメロディの中にかわいらしさやユーモアを入れ込んでいたり、驚かされるインパクトやドキッとするセクシャリティもあったり。どこまでも自分たちの感性や感覚に自信を持ち、こだわりを持って作り込んでいたからこそ、出せた世界観だと思います」(東郷さん)
個性の異なる4人が集結した唯一無二のバンド
メンバーそれぞれが得意分野を持ち、個性を生かしているのがQUEENらしい魅力だと東郷さんは語ります。
「美大出身のフレディはアートに興味があり、アルバムジャケットでもイラストを描いています。そして、オペラやクラシック、バレエなども好んで鑑賞していました。大学時代に天文学を学び、2010年に天文物理学の博士号を取得したブライアンのエレクトリック・ギターは完全なるハンドメイドで、『レッド・スペシャル』として知られる超こだわりのもの。歯科医を目指していたロジャーはドラマーとしての実力だけではなく、高音パートで歌えるコーラスでも貢献しています。電子工学の博士号を取得しているジョン・ディーコンは物静かで控えめだけど、実は多くのヒット曲を書いています。
個性の違う知性ある4人が集まり、絶妙なバランスでお互いの力を引き出していたのが、唯一無二のスター性を築き上げたのでしょうね。繊細で奥深いQUEENの曲には、歌舞伎用語で言えば外連味(奇抜な演出)があり、日本人の琴線に触れるというか、日本人の血脈にQUEENの存在はとても合うものだったと思います」(東郷さん)