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2016/6/11 20:10

ロッチ コカドケンタロウの器にみる、“恋の減点方式”と“愛の加点方式”【コラム】

 

ふと、相手に対して「いい女(いい男)だなあ」と思うことがある。我ながら何様だとも思うが、それは容姿云々の話ではなく、そのひと自身の器のでかさだ。もっと端的に言えば、「器がでかいなあ」という話

 

テレビで見ていても、(それがキャラとして演じている姿かどうかは置いておいて)器がでかいなあ、とか、小さい人間だなあ、とか思うことが多々ある。じゃあ、この器のでかさって何ではかるんだ、という話でもあるんだけど。

 

先日のゴッドタン(テレビ東京)は、お笑いコンビが互いに相手のアンケートの答えを当てて仲を確かめる「コンビ愛確かめ選手権」だった。出演したのは、サンドウィッチマン、ジャルジャル、ロッチの3組。

 

長期間のルームシェアや自身のヌード写真集といった色濃いエピソードのあるサンドウィッチマンやジャルジャルに比べ、最近中岡のピンでの出演が目立つロッチは「お前ら大丈夫か?」といじられる。ただ、結果的に、私はロッチのコカドケンタロウの発言に、真のコンビ愛と、彼の器のでかさを見た。

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と、本題前に私的エピソード。いままで私が出会ったなかでも特に器がでかいと思っている友人と話しているときだった。彼女に新しい恋人ができたという話だ。彼女は言う。「新しい彼氏はね、前々回の彼氏と前回の彼氏のいいところを合わせたようなひとなの」。単なるのろけのように聞こえるが、私はその言葉を聞いて、「だから私は彼女のことが好きなんだよなあ」と思った。私が知る限り、彼女は決して彼氏や仕事、友人の愚痴を言わない。

 

さて、コカドが「コンビで一番のピンチだと思った瞬間は?」のアンケートで答えたエピソードは、「コンビ結成後、中岡が1年間ネタを間違え続けた」ことだった。1年間すべてのネタで必ずミスをする。7割覚えていたらいいほうで、そんな中岡のために作文を読むだけのネタを作るも、今度はその作文を読み間違えるという始末。司会の矢作は思わず「なんでそんな奴を手放さなかったの?」と問う。

 

「決めてたんです。この人だって。最後は中岡君とやってダメなら辞めよう」

 

コンビを組むなら中岡ただひとり、と腹をくくっていたのだ。「7割できたらオッケーだと思っているから、ちょっと間違えても“今日間違い少なかったなあ”となる」。事実、中岡がネタを間違い続けた1年間、コカドは一度も怒らなかったのだ。

 

付き合っているひとの愚痴ばかりこぼすひとがいる。勤めている会社の嫌なところばかり嘆くひとがいる。親しいはずの友人の悪口ばかり言うひとがいる。こういうとき、どうしても相手に対して「ちっさいなあ」と思ってしまう。そして、彼らに共通するのは、すべてを減点方式で見ているということだ。

 

今お付き合いしている彼をべた褒めする友人は、しかしそれまで別のひとと付き合っていたときも、決して愚痴をこぼさず褒めていた。全身でぶつかり、楽しみ、愛していた。いいところを見つけて褒める、加点方式で生きていた。

 

加点方式が「愛」だとすれば、減点方式は「恋」だ。

 

「恋に恋する」という言葉があるように、恋というのは、目の前にいる相手ではなく、脳内にいる架空のパーフェクトな相手や会社や友人を想うことだ。現実の相手は、その妄想の産物と比較され続けるわけで、当然のごとく「なんであなたは理想と違うの」と減点されていく。理不尽なシステムである。

 

「ただこのひとり」と相手を決めたひとの中には、そんな比較対象は存在せず、目の前の相手を愛するのである。つまりは、荒唐無稽な妄想にふりまわされず、現実を直視し、かつ愛するのである。その包容力こそ「器のでかさ」、ひいては「いい女(いい男)」につながるのではないか。自分の選択に責任をもち、恋人や仕事、友人を想う人間は、やはり見ていて潔い。

 

コカドのモテエピソードはよく聞くが、この一言に納得した。器のでかさから醸し出される男っぷりは、やはり間違いのないものだ。

 

つい私は愚痴をこぼしてしまうタイプなので、こういう器のでかいひとたちを見ると、居住まいを正してしまう。目の前にいる相手を見ず、空想にふけり、恋をしてはいないか? 器のでかさは、ただ現実を愛するのみにあり、だ。

 

【URL】

ゴッドタン http://www.tv-tokyo.co.jp/god/

 

イラスト/マガポン

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