フィリップ・ハーパー氏は、名門のオックスフォード大学を卒業しながら、外国人として初めて杜氏になったイギリス人。「玉川」や「アイスブレーカー」などで知られる京都の木下酒造を率いています。ここでは、彼が出演するドキュメンタリー映画「カンパイ! 世界が恋する日本酒」の公開を記念して、全日本酒ラバー必読のハーパー氏独占インタビューをお届け。今回はそのインタビューの前編で、まずは、日本酒の魅力や造りへのこだわり、日本酒ブームについて思うことなどを聞きました!
フィリップ・ハーパー
1966年、イギリス・コーンウェル生まれ。京都府久美浜の「木下酒造」で杜氏を務める。英名門オックスフォード大卒。日本の英語教師派遣 のJETプログラムで 1988年に来日。滞在中に酒の魅力に気づき、2年の任期を終えるころに日本酒に関わる仕事を志す。
奈良県の酒造メーカー、梅乃宿酒造で蔵人として10年を過ごし、各工程の責任者として経験を積む。2001年に南部杜氏資格選考試験に合格。大阪の大門酒造を経て、木下酒造で杜氏として迎えられ、初年度にして全国新酒鑑評会で金賞を受賞。
どっしりとした飲み口で新たな定番となった「玉川自然仕込山廃純米」や江戸時代の製法で作った超甘口「玉川Time Machine」など、挑戦的な酒造りで新たなファンを生み出している。
杜氏になったのは運とタイミング
——「カンパイ!」には、ハーパーさんが日本酒づくりに関わるようになった経緯や、木下酒造での酒造りの風景が映しだされています。現在の蔵元さんとの出会いについて、詳細を教えていただけますか?
ハーパー うちの蔵元は50代前半で、生まれたときから同じ方が杜氏をしてらした。その方が10年前に亡くなって、ほかの杜氏と仕事をしたことがなかった蔵元は、日本酒業界の厳しい状況を考えると、蔵をたたむことも考えていたそうです。
そんな折、蔵元が信頼している酒造り用の道具の業者さんに「辞める方向で考えている」と伝えたら、業者さんが私を蔵元に紹介してくださった。それが最初の出会いです。その業者さんは、お父さんが木下酒造を、当時私が働いていた大阪の蔵を息子さんが担当していた。その蔵を辞めることを息子さんに話しておいたら木下酒造に紹介してくれたんです。すべては運とタイミングですね。
杜氏になってからはすべてが大変だった
——杜氏として新しい蔵に入って、一番苦労したことは?
ハーパー 全部です。今の蔵が4軒目ですが、杜氏じゃなくても蔵が変わると戸惑いの連続ですから、杜氏として入ったときはなおさらでした。蔵が変わると水も道具も環境も違いますから。同じ関西でも、大阪の冬は晴天続きで乾燥していますが、日本海側は青空を見ることのない曇天続きなので、ものが乾かない。お酒の作り方を大きく変える必要があったので、慣れるまで苦労しましたが、現場を知っている蔵人さんが2人いてくれて助かりました。
——現在は、造りにおいて、何に気をつけていらっしゃいますか?
ハーパー 師匠から言われた「蔵人の和」ですね。クリシェ(ありふれた表現)ですけど、実際、みなさんが仲良くやってくれないと、うまいこと回らない。かといって、そのために自分がやっていることは特にないですが(笑)。いざ酒造りの季節に入ると、いっぱいいっぱいであれこれ考える余裕はありませんが、みなさんがうまいことようやってくれています。
工業製品と違って微生物の動きは止められない
——技術的な面ではいかがですか?
ハーパー 当たり前のことを、手を抜かずに、きちんとやっていくしかないですね。
——他の蔵と違っているやり方はありませんか?
ハーパー ないと思います。結局、コツコツと、やるべきことを片付けていくしかない仕事だと思います。工業製品のラインだったら、トラブルがあったら電源をオフにすればいい。金銭的には大損になるかもしれませんが、ラインは止まる。でも、微生物の働きを止めることは不可能です。そこが、酒造りという仕事において一番厳しいところですね。
何があろうと物事が進んでいくので、その流れをふまえて仕事の段取りを組んでいかなければいけない。機械が故障したり、寒波で水道が凍ったりする日もありましたが、それでもどうにかして米を洗わなければいけない。対応力が必要な仕事だと思います。
酒を造る人間は謙虚にならないとあかん
——「カンパイ!」を観ても、こうしてお話をうかがっても、平常心を保ってらっしゃる方という印象を受けます。慌てることや、頭にくることはないんですか?
ハーパー もちろんありますよ。でも、いちいちカリカリしていたら仕事になりませんので(笑)。
——酒づくりによって鍛えられた部分はありますか?
ハーパー それは絶対にありますね。昔の杜氏さんは農家さんが多かった。農作物は人間のペースには合わせてくれないので、農家さんには、微生物や天気など、自然界に動きを合わせる忍耐力がある。そういう意味で、酒造りは人間じゃなくて微生物がするものですので、人間は謙虚にならないとあかんのです。自然界の決まり事に逆らおうとすると痛い目に遭うだけですし、実際に失敗の連続です。
温度で遊べるのは日本酒にしかない魅力
——ハーパーさんにとっての日本酒の魅力とは?
ハーパー 幅広い温度帯で飲めるお酒は、日本酒のほかにないですよね。それに慣れてしまうと、ほかのお酒を飲み続けていると退屈になってくるんです。温度で遊べることは、日本酒にしかない魅力だと思います。もうひとつは料理との相性ですね。一般的には、料理に合うお酒はワインというイメージがありますが、日本酒のほうが合わせやすい酒だと思いますし、実際、私たちも料理によく合う酒を意識して造っています。
在庫を抱えるリスクはあるが「熟成」に挑戦したい
——今後は、どんなお酒を作りたいですか?
ハーパー 熟成酒に力を入れていきたいです。蔵元が熟成酒の良さを感じてくださって、製品における熟成酒の割合を増やそうという意向なので、それに向けて増築もしました。ただ、熟成というのは酒を造ってから、売らずに在庫を抱えるという厳しい課題だと認識しています。
——ハーパーさんから蔵元さんに「熟成酒をやりましょう」と提案したのですか?
ハーパー はい。飲み手としても熟成酒が一番おいしいと思っていますし。日本酒業界は付加価値をつけるのがあまり得意じゃないので、「熟成」という付加価値は活かすべき武器だと思っています。
「純米じゃないと熟成には向かない」はデタラメ
——熟成に向く酒にはある程度、芯が必要です。濃い味わいと強い酸味が特徴の「山廃造り(やまはいづくり)」「生酛造り(きもとづくり)」は重要視していますか?
ハーパー 山廃造り、生酛造りが熟成の絶対条件とは思っていません。速醸系(通常の造りのお酒)もちゃんとしていれば熟成に耐えられますし、純米酒じゃないと熟成には向かないという人がいますが、あれはまったくのデタラメです。
——とはいえ、木下酒造のお酒は輪郭がはっきり、味がしっかりしています。
ハーパー 自分の酒の好みがかなり広いので、けっこう軽めのものも含め、かなりいろいろなタイプを作っています。ただ、濃いほうが受ける傾向にありますし、ある程度人気のある酒に絞らないと会社が潰れてしまいますから、そういうイメージがあるのだと思います。
熟成にはたくさんの可能性がある
——酒を熟成させると琥珀色になって、どれも似たような味になる印象がありますが、他と差別化するためにどんな工夫をしていますか?
ハーパー 作り方の違う酒を、同じ条件で寝かせると、違う熟成をしていきます。まったく同じ酒を、低温、中温、高温と温度を変えて熟成させると、やはり違う熟成をしていきます。そう考えると、熟成の可能性はたくさんありますし、差別化はできていると思います。
——熟成酒をブレンドする蔵もありますが、ブレンドは考えていないのですか?
ハーパー 3種類の酒があるとして、ブレンドの割合まで変えていくと可能性が無限になります。そんなことをやり始めたらノイローゼになるのがわかっているので、一切手を出さないようにしています。飲むときに遊びでブレンドすることはありますが、仕事に持ち込んだらおしまいだと思って(笑)。
日本酒ブームは「ほんまにブームなのか?」が正直なところ
——日本酒ブームと言われていますが、作り手としてどう感じていらっしゃいますか?
ハーパー 「ほんまにブームなのか?」というのが正直なところです。2015年の12か月で、日本酒全体の出荷量は4%くらい落ちているので、全体的なブームとは思っていません。良い材料もたくさんありますけど、問題もたくさんある。良い点はそのままに、悪いところを変えていかないといけないと思っています。
——では最後に、日本酒を楽しむユーザーにメッセージをお願いします。
ハーパー ウンチクや、世間的な評価や、「こういう酒じゃないとダメ」とか、いろいろ言う人の言葉はなるべく無視してください。フィルターなしに自分の好きなものを探して、自分流の飲み方を見つけるほうが楽しいですし、それが幸せへの近道だと思います!
以上、明快な解説や「日本酒業界は付加価値をつけるのが不得意」といった鋭い分析にインテリジェンスを感じるとともに、「違うことは違う」とはっきり言う意思の強さ、職人気質のようなものが垣間見られ、興味深かったです。史上初の外国人杜氏は、やはり史上初となるだけのものを備えているんだな、と感じたインタビュー前半でした。さて、次回の【後編】では、ハーパーさんに出演した映画、外国人が日本の酒蔵で働くこと、人生最高の乾杯などについて語ってもらいます。お楽しみに!
【ハーパーさんが醸した日本酒】
左から酵母無添加の自然仕込シリーズから「山廃純米酒」(1.8ℓ2880円)、純米大吟醸「玉龍」(1.8ℓ7344円)、江戸時代の製法で造る超甘口酒「Time Machine 88」(360ml 1049円)。一番右の「アイスブレーカー」(1.8ℓ3148円)は、ロックで飲む夏酒というアプローチ。
【URL】
木下酒造 http://www.sake-tamagawa.com/index.html
【ハーパーさんの出演映画】
イギリス、アメリカ、日本、海を越えた3人のアウトサイダーたちを描く感動ドキュメンタリー!
『カンパイ!世界が恋する日本酒』
日本だけでなく、ここ数年世界中で寿司と共に人気を博している日本酒。そのミニマムでシンプルな外観の美しさの奥には、多様さ、複雑さ、そして芳醇な文化的背景が隠されている。そこには大いなる魅力と曖昧さに溢れた深淵な世界が広がっている。
本作では、外国人として史上初めて杜氏(とうじ)となり、新商品を次々と世に送り出しているイギリス人のフィリップ・ハーパー、日本酒伝道師として、日本酒ワークショップや本の執筆などをとおして奥深い日本酒の魅力を世界へと発信を続けるアメリカ人ジャーナリストのジョン・ゴントナー、そして、自ら世界中を飛び回り日本酒の魅力を伝えている、震災に揺れる岩手の老舗酒蔵を継ぐ南部美人・五代目蔵元の久慈浩介。
まったく異なる背景を持つ3人のアウトサイダーたちの挑戦と葛藤を通し、日本だけにとどまらず、世界で多くの人々を魅了する日本酒の魅力的な世界を紐解いてゆくー。寿司の魅惑的な世界をファンタジックに描き世界的な大ヒットとなった映画「二郎は鮨の夢を見る」から4年、日本酒が3人の男たちと共に国境を越える。
本作は、2014年にクラウドファンディングで制作費が集められた後に完成。翌年の 2015年、東京国際映画祭でプレミア上映されるやチケットが完売となり話題となったほか、サン・セバスチャン国際映画祭などにも出品。監督は、LA在住の映画ジャーナリストである小西未来がメガホンをとる。
監督:小西未来
エグゼクティブ・プロデューサー:駒井尚文、スージュン
プロデューサー:柳本千晶
出演:フィリップ・ハーパー、ジョン・ゴントナー、久慈浩介
2015年/日・米/日本語・英語/95/カラー 配給:シンカ
(コピーライト)
© 2015 WAGAMAMA MEDIA LLC.
(公開表記)
7月9日(土)、シアター・イメージフォーラム他全国順次公開
公式サイト http://kampaimovie.com/