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2020/10/5 20:30

90年代と2020年代で音楽はどう変わった? カジヒデキが語る「音楽のつくり方、音楽の聴き方」

音楽サブスクリプションサービスの台頭、アーティスト自身によるSNSや音楽プラットフォームアカウントでの情報発信など、音楽との触れ合い方は非常に速いスピードで変化しています。アーティストの側は、いま何を感じ、どのように音と向き合っているのでしょうか−−本記事では、90年代を代表するミュージシャンのひとり、カジヒデキさんに90年代と2020年代の現在を比較してもらいながら、カジさんの音楽遍歴や曲作りについて、じっくりと語ってもらいました。(企画・撮影:丸山剛史、ライター:土屋恵介/INAZZMA☆K)

 

ネットがないから、とにかく足で情報を収集する

──カジさんに、90年代と現在との音楽生活の違いについて話を聞いていきたいです。まず、90年代はどんな音楽に影響を受けて音楽活動を始めたんですか。

 

僕は、80年代の終わりごろからイギリスのギターポップ、ネオアコースティックといった音楽が好きだったんです。日本のバンドだとロリポップ・ソニック(フリッパーズ・ギターの前身バンド)のデビュー・ライブを見る機会があって、日本でもイギリスのインディポップみたいな音楽やってる人たちがいるのを知って衝撃を受けたんですよ。同時に、日本のインディーズのバンドもたくさん見に行ってました。そういう風に好きな音楽探してくいくなかで、80年代終わりに自分たちのバンド、ブリッジを組んだんです。

 

──音楽を探すとなると今は基本がインターネットですが、80年代終わりから90年代初期だとどのように好きなバンドは見つけてましたか。

 

とにかくライブをたくさん見に行きました。当時は『ぴあ』『シティーロード』とか情報誌を細かくチェックして、好きなバンド、面白そうなライブに行ってたんです。ライブハウスに行くとみんながフライヤーを配ってたので、次はこれ見に行こうっていうのが基本でした。

 

──レコードも結構買ってましたよね。

 

ハイ(笑)。パンク、ポストパンクから始まったニューウェイヴ以降の音楽、UKやUSのインディを扱ってるお店を探しては行ってました。輸入盤屋だと、最初はUKエジソン、CSV渋谷とかに行き始め、そのうちに、渋谷のZESTやVinyl Japanを知ったり。あと、WAVE、タワーレコード、HMV、シスコとかも行きました。中古盤はディスクユニオンで買うって感じでしたね。その中でもすごく好きだったのがZESTで、のちにバイトをするようになったんです。

 

──雑誌、ライブハウス、レコードショップで情報を得たと。

 

そうですね。あと、特にロリポップ・ソニックを見に行くようになってから、見に来てる人たちと仲よくなったのが大きいです。みんながチェックしてるライブやレコードを知って、どんどん音楽の輪が広がっていきました。『DOLL』とかロック雑誌も細かくチェックしてたし、そこにVinyl Japanの広告が載ってて海外買い付け盤がバーっと書いてあって、入荷日にみんなで朝から並んだりしてました(笑)。とにかく足で情報を収集する、とにかくみんなで行くって感じでした。ネットがないから(笑)。

 

──それしか欲しい情報やものを得る方法がなかったんですよね。

 

そうなんですよ。特に自分も友だちも、みんな情報を得るのが好きな人ばっかりだったんです。普通、レコード屋に10〜20人で行くってないじゃないですか(笑)。あのときはよくそういうことをしてたんです。

 

──それが渋谷系と呼ばれた文化の原風景って感じがしますね。では、今はどんなところから情報を得てますか。

 

僕は、ずっとインディの音楽が好きなんです。そういう人生なんだと思います(笑)。いくつか好きなレコードショップがあって、そのサイトに自分の好きそうな音楽がピックアップされてるので、そこから知ることが多いです。

 

──今はどこのサイトを見てますか。

 

BIG LOVE RECORDSとJET SETは、10年以上ほぼ毎日見てます(笑)。ただ、20〜30代のころはあれもこれも全て知ってたいってバカみたいにレコードを買ってましたけど、もう50代なのでそこまでの欲はないですね。情報を得つつ、レコードで持っていたいなってものは買うって感じに変わってきました。

 

──年齢もそうですし、時代性としてもそうなってますよね。

 

聴くって部分では、サブスクとかで大体のものは聴けるじゃないですか。情報を得るにしても、以前は洋書のNMEをずっと買ってましたけど、ネットで新しいアーティストの紹介もいっぱい載ってるしMVも見れる。ツイッターでも、例えば小出亜佐子さん(英国音楽)とか詳しい人たちが細かくリツイートしてくれるから、そこで知るとかが当たり前になりましたよね。

 

──昔はリアルな現場、今はネットとツールは変わりましたけど、でも根本にある音楽への欲求みたいなものは変わってないですね。

 

そこは変わってないですね。絶えず新しいものとか、自分が好きなものは探してます。ただ、今もいろんな音楽シーンがあるけど、あるときからそれが分かりずらくなったなって。海外の話ですけど、一時期ピッチフォークは大きな存在だったけど、今はそこまででもないし。

 

──確かに、シーンの盛り上がりが掴みずらいなっていうのはあります。

 

2010年くらいまでだと、ロンドンで若い子たちがライブハウスやパブや様々な場所でイベント組んだりしてこういうシーンが盛り上がってきたとかあったけど、それ以降だとみんながバンドって感じでもなくなったんです。R&Bやヒップホップ、ダンスミュージックが中心で、みんなSNSで情報を発信するし、リリースもわざわざフィジカル出さなくてもいいしって感じが当たり前になったなって。

 

──そうですね。DTMも進んで音も簡単に作れるし、YouTubeやSoundCloudにアップするとか普通ですし。

 

そうなると、みんなそれぞれが独立してやってるわけだから、誰かと一緒に固まるとかじゃないし。大きな意味での流行りはあるけど、それがひとつのシーンにはならないんだろうなって。例えば、ストーン・ローゼズとかハッピー・マンデーズとかのマンチェスタームーブメントとかみたいにはならないだろうなって。あと、ロックに関して言えば、特にこの3〜4年で音楽好きな中での地位も全然低くなったと感じるし、かなり世の中の価値観が変わったなって思いますね。音楽の楽しみ方も、どんどん変わって来たんだなって感じますね。

 

自分だけで完成させちゃうのはつまらない

──確かにそれはすごく思います。では、カジさん自身の音楽制作の変化について聞いていきましょう。

 

そこに関しては、昔も今も大きな意味ではそんなに変わってないです。作曲するときに、ギターでメロディを考えてコードの進行を考えて形にしていくっていうのは全然変わってないです。ただ、ツールは変わりました。ブリッジのころはカセットテープのテレコで録音して、それを聴き直して作業をしてたんです。ソロになってちょっと経った90年代の終わりくらいに、急に自分の中でMTRブームが来て家でピンポン録音してデモを作ってました。

 

──90年代の終わりくらいだと、みんなあまりMTRを使わなくなったころですよね(笑)。

 

そうなんですよ(笑)。そのころPro Tollsが出て来てたんで。00年代になると自分もPro Tollsを買ってMacでデモを作るようになったんです。今はLogic Proで作ってます。ただ、デモ音源のクオリティは昔に比べたら全然いいけど、だからと言ってそれですごく凝ったことするわけじゃないんです。鍵盤でアレンジとかもするけど、それでコピペしてループさせてとか凝ったことはしないです。基本的なMTRみたいなことしかしないんです。

 

──ほぼ完成形くらいまで作り込む人もいますが、そうではないと。

 

なんか、自分だけで完成させちゃうのはつまらないというか。

 

──それはどうしてですか?

 

僕はきっといろんな人とコラボレーションしながら、曲が進化していくことが好きなんです。自分が作った曲を、想像以上にもっと化学反応させてほしい、面白くアレンジしてほしい、そういうことが好きなんです。特に1枚目のアルバム『MINI SKIRT』のときは、スウェーデンのタンバリンスタジオで、プロデューサーのトーレ・ヨハンセンやバンドのエッグストーンと録音して、こんなにすごいことになるんだって思ったんですよ。

 

──スウェディッシュポップが流行ってたころ、カジさんもすごくハマってましたが、自分の曲がそのサウンドになったって喜びがあったと。

 

そうです。そういう、コラボ的な面白さは今でもいいなと思いますね。

 

苦悩とかは人に任せて自分はサンシャインポップを書く

──では、歌詞の部分はどのように変化して来ましたか?

 

もともと10代20代のころは、音楽を聴く上でも作る上でもあまり歌詞に重要性を求めてなくて、どちらかと言えば曲やアレンジのウェイトが強かったんです。でも、フリッパーズ・ギターから始まる小沢(健二)くんや、スピッツの草野(マサムネ)くんの歌詞はすごくいいなと思いました。とは言え、自分が曲を書き出したころにそこまでの歌詞を作ることはできなかったです。やっぱり歌詞って難しいんですよ。ほんとに、いい曲書ける人ってすごいなって思います。だって、いいメロディも書けていい歌詞も書けるって、すごい才能だなって思います。

 

──カジさんも結構な曲数作ってますよ(笑)。

 

いやでも、自分は全然そんな域じゃないなって思っちゃいます(笑)。ブリッジのころに自分が書いてた歌詞は雰囲気で書いてたけど、ソロになってそれじゃあたくさんの人には伝わらないんだなってすごく分かったんです。もっと人に伝わるような歌詞をちょっと意識したものの、自分の出発点が人に共感を与えるような歌詞が好きだったわけじゃないので全然できなくて。

 

──パンク、ニューウェイブだと真逆くらいですしね。

 

僕が誰もが親しめるJ-POP的なものが大好きだったらよかったけど、そうじゃなかったし、青春の苦悩を訴えかけた方がいいのかなって思っても、それは書けないし。だったら、自分の得意なものを書いていこうと思ったんです。特にソロになって最初のころに思ったのは、一点の曇りもない青空の歌詞を書きたい、苦悩とかは人に任せて自分はサンシャインポップを書けばいいだっていうのはすごく思ったんです。

 

──サンシャインポップを書くと!

 

そう言いながら、セカンドアルバム『TEA』を作るときに、自分も精神的に辛い時期で、2枚目のプレッシャーとかもあったりで急にダウナーな気持ちになったんです。しかもスウェーデンでレコーディングしたんだけど、ひとりでこもって曲を書いたから暗めのムードになって。サンシャインポップみたいなものを期待してくれた人たちにはそれは届かなかったかもしれないけど、でも今もずっとファンでいてくれる人は、セカンドが一番好きって言ってくれるんですよ。狙ったわけじゃないけど、ネガティブな気持ちも含めて表現されたものが意外と伝わったりするんだなっていうのはそこで分かりました。

 

──辛さだとか苦しさって、共感しやすいものではありますよね。

 

でもその反動が3枚目の『15 ANGRY MEN』に来て、今度はもう絶対負の要素には行かない!ってなったり(笑)。それ以降も、今もですけど、ずっといい歌詞を書きたいと思っていろいろ試行錯誤しながら書いて来た感じがしますね。

 

──でも、カジさんの曲は明るさが常にありますよ。

 

そうですね。今さら暗いものを書いても居心地が悪いだろうし、カラッとした青空の世界を描くのが自分らしくていいのかなって思ってます。

 

好きなスタジオでレコーディングしたい

──では、レコーディングで変化してきたことは?

 

それはテクノロジーの話になるけど、90年代は48チャンネルのデジタルコンソールでレコーディングするのが基本でした。自分もそういうところでやりつつ、あえてタンバリンみたいなビンテージの機材が揃ってる、16チャンネルのアナログの卓のところでやったんです。単純にそういう音が好きなんですよ。今はコンピューターで、録音の技術でそういう音もできてしまうんですよね。それに、今って大きなスタジオは使わないじゃないですか。もちろん、大きなスタジオでいいマイクで録るよさはあるけど、それに近いものはできたりする。それができてしまうのは、だいぶ違いますよね。

 

──レコーディングに掛ける予算も違いますしね。

 

ソロになった最初のころのタンバリンで録った1曲の予算で、今だったらアルバムを普通に作れるくらいだと思います。90年代ってバブルは弾けてたけど、音楽業界は98年がCDの最高売り上げだったじゃないですか。だから自分なんかは、その恩恵は受けてたなって思いますね。今は簡単に録りたい音がコンピューターで作れる便利さはあるけど、でも、ああいう好きなスタジオでレコーディングしたいなっていうのはすごく思います。

 

──それは、レコーディングというものがただ曲を録るって作業ではなく、そのときの感情も含めて音に落とし込む、そのときを記録するって意味合いがあるからでしょうね。

 

ほんとにそうです。僕はもう30年くらいレコーディングってものをやってるんですよ。スウェーデンや他の国でもレコーディングしたけど、ほんとにその場の雰囲気が入るんです。日本でもそうだけど、特に海外のレコーディングだと、普段と違うそこでの生活もしながら録るから、余計に特別なマジックがあると思う。映画『デトロイト・メタル・シティ』の「甘い恋人」と「サリーマイラブ」は、タンバリンスタジオで録ったんですけど、それがすごいいいレコーディングができたんです。あのときのマジックが入ったなってすごく思います。

 

──そのときのエピソードを聞かせてもらえますか。

 

あのときはなぜかちゃんとホテルを取らず、自分はカメラマンの家に泊めてもらったんです。エッグストーンとレコーディングして、ドラムのモーリッツはスタジオによく来てくれてたんだけど、ギターのパトリックは子どもが生まれたばかりでなかなか来られなかったんです。作業があまり進まなくて、しょうがないから自分でヴァイブラフォンを叩いたりいろいろやったんですよ。だけど、それが逆に面白くいい感じになったんです。僕らが帰ったあとに、パトリックがストリングスやギターを入れてくれて、結果的にすごくいいものができたんです。いろんなことを含めた空気が、あの曲に入ってるなって思いますね。聴いた人には分からないかもしれないけど、自分の中ではすごく心に残ってるんです。

 

──思い出も込みで曲のよさが倍増すると。

 

やっぱりレコーディングって大事な作業で、例え曲がよくできても、そこに思い出がないと面白味がないなって思ってしまうんです。そこにドラマがあるから、曲を制作してて面白いなって思えるし。特に海外レコーディングしたアーティストは、きっと同じような経験をしてるんじゃないかなって思いますね。

 

──そうしたことが、音楽を続けていくモチベーションになるわけですね。

 

そうですね。続けることのモチベーションになるものってすごく重要ですね。大体デビューするまではがむしゃらで、デビューしてお客さんが入るようになって最初の何年かはみんなチヤホヤしてくれるけど、そこからどう続けるかが難しいし大変で。その中でどこにモチベーションがあるのか、自分はスウェーデンとか心の拠り所があったのはすごく大きかったです。ただレコーディングするだけじゃなく、そこでバンドの人たちと仲よくなれたのも大きかったです。ある時期からはレコード会社を通さず個人で連絡して、ヒデキがやるならいいよ、スタジオ代もこれでいいよって言ってくれたりするようになったりして。普通に遊びに行くと家に泊めてくれたり、そういうのもうれしいじゃないですか。

 

──人とのリレーションシップができるわけですよね。ネットでも友だちはできるけど、でも、じゃあ君んち泊まりに行くからみたいにはならないじゃないですか(笑)。

 

(笑)、そこは違うかもしれないですね。そういう経験ができたのは、90年代のよさだったのかなって思います。

 

カジヒデキはカフェライブの第一人者だった!?

──あと、ライブのスタイルはどのように変わりましたか。

 

90年代はライブの本数が少なかったんです。特にブリッジはツアーバンドじゃなかったし。ソロになって最初のころは、大きなイベンターさんが付いてくれて、アルバムを出して長めのツアーをやってたんです。でも、ツアーが終わるとしばらくライブがない。ほとんどのメジャーのアーティストはそういうスタイルでした。それがちょっと嫌だなって思ってて、2000年にカフェライブを始めるようになったんです。当時、小さいカフェでライブをやるアーティストはいなくて、カフェライブって銘打ってやったのは一応自分が最初なんです。

 

──なんと、カフェライブって名称を最初に使ったのはカジさんですか?

 

そうみたいです(笑)。

 

──カフェライブの第一人者だって声を大にして言っていきましょうよ。

 

アハハハ(笑)。そのあと、カフェライブでツアー組んだりしていきました。そういうのを2000年の夏から始めて、そこからライブの本数も増えて行ったんです。2008年くらいから、またイベンターさんも付くようになっていろんなイベントにも出られるようになってライブの本数もすごく増えましたね。

 

──確かにどのバンドもアーティストも、以前よりもライブの本数が増えましたね。それは、収益を得るメインのものがCDからライブに変わってきたところとリンクしてるように思います。

 

それはすごく感じます。フェスもどんどん大きくなって、大小問わず全国各地でイベントも増えたし。自分も2016年から始まった『PEANUTS CAMP』って野外イベントを始めたんです。って考えると、今ライブができないのは大変だなと思いますね。

 

──コロナ禍での音楽活動はかなり厳しい状況ですが、カジさんはどんな活動をしてますか。

 

予定されてたライブは全部中止になったり延期になって、6月から有料の配信ライブを月1〜2本くらいやるようになったんです。あとは制作が中心です。『Foot!』ってスカパーのサッカー番組のオープニングテーマを僕が20年書いてるんですけど、毎年8月から始まるので、ちょうど曲の制作を6〜7月くらいにやってました。それと、CM音楽の制作をやったりです。ほんとは5月くらいに自分の作品を出す予定で、今年に入って曲作ったりしてたんです。でもコロナになって、なかなか作業が進まない状態になってしまったんです。

 

──曲を作る上で影響もあったと。

 

やっぱり最初の3〜4月は、3.11のときと同じような感じで、これからどうなってしまうんだって曲を作れなくなってしまったんです。みなさんもそうだったと思いますが、初夏くらいから徐々に気持ちも戻って来ました。ライブに関しては、お客さんも少しずつ入れてやり始めたんですが、でも自分もお客さんも不安を抱えてしまうっていうなかなか難しい状態です。そう、コロナ禍で作った新曲が入った、COMPLEXってレーベルのコンピレーションアルバム『REV.01』が、9月23日にカセットテープと配信でリリースされるんです。モヤモヤした状況ではあるんですけど、ちょっとでも前に進めるように新しい曲を作って行こうって思ってます。

 

──なるほど。では、カジさんが90年代からずっと新しい音楽を作り続けています。新曲を作ろうと自分を掻き立てる、一番の理由を聞かせてください。

 

基本的にライブをするのが楽しくて、ライブ活動を続ける上で新曲を作りたいって思うんですよ。新曲を作ってツアーを回るって基本的なルーティーンだけど、それを僕は続けたいんです。それに、いろいろ新しい音楽も聴いてるから、こんなの作れたらいいなって思うし。あとやっぱりレコーディングが楽しいんです。最近は海外には行ってないけど、日本でもいろんなゲストの人に、ギターを弾いてもらったりデュエットしてもらったりしてるんです。去年のアルバム『GOTH ROMANCE』はいろんな人に参加してもらったんですけど、すごく刺激になりました。そうやって曲ができあがっていく興奮があるからやめられないなって思うし、やめたくないなってすごく思うんです。人からの刺激がレコーディングの楽しさにつながるし、自分が音楽を続けてく楽しさでもあると思います。

 

──逆に、音楽やめたいなって思ったことはありますか。

 

うーん、それは思ったことはないかな。もちろん、歌詞ができないとか曲が思うようなものができないとかあるけど、だからと言ってやめたいとかは思わないですね。

 

──そこは産みの苦しみでもありますしね。

 

そう、逆に楽しい部分かもしれないし、それを経て最終的に曲が完成したときの高揚感が大きな喜びになるんです。すごくシンプルなことだけど、それをずっと続けられてるのはうれしいことです。それに、次はもうちょっとできるかなと思ったりするんですよね。今だにそういうのがあるから、まだまだ音楽をやりたいなと思います。

 

【Information】

2020.10.25 sun. ニュー風知空知
「IVORY CAFE at ニュー風知空知 vol.2
~ 秋のオリーブと屋上の夕焼け」

出演:カジヒデキ、堀江博久、NARI ゲスト:有馬和樹(おとぎ話)

配信開始:18:00(終了予定時間:19:20)
配信アーカイブ期間:10月25日(日)21時頃~11月1日(日)23時59分まで
配信チケット:2,000円

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