「1/6の夢旅人2002」や「手紙~親愛なる子供たちへ〜」で知られるシンガーソングライターの樋口了一さんが『いまダンスをするのは誰だ?』(10/7(土)公開)で俳優初挑戦。自身と同じパーキンソン病を患う主人公の再生の物語を描いた本作。思いがけない出演オファーの心境や初めての撮影現場の様子、そしてこの映画を通して届けたい思いなどをたっぷりと伺った。
【樋口了一さん撮り下ろし写真】
同じパーキンソン病でも症状は人によって様々なんです
──今作への最初のオファーは、キャストとしてではなく主題歌の依頼だったとお聞きしました。
樋口 はい。古新舜監督から「パーキンソン病を題材にした映画があるので、その主題歌を作ってください」というお話をいただいたのが最初でした。監督がわざわざ僕が住む熊本まで来てくださり、4〜5時間ほどお話をして、「ぜひやらせてください!」と二つ返事でお受けしたんです。なのに、それが次にご連絡をいただいた時は出演のオファーに変わっていて(笑)。正直、あの数時間の会話で、僕の一体何をそんなに気に入ったんだろうという疑問もあったのですが、大事な主演を芝居未経験の僕に委ねるという潔さが面白いなと思い、主演の依頼もお受けしたんです。あとで、「どうして僕に?」と監督に訊ねたところ、はっきりとした答えがなかったものですから、きっと直感だったんでしょうね。
──演技初挑戦にして主演という大役ですが、こちらも二つ返事だったのでしょうか?
樋口 いえ、基本的に逃げ腰タイプなので、最初はどうやって断ろうかと考えていましたね。僕はすべてのことにおいて大体そういう逃げ腰な感じからスタートするんですよ(笑)。ただ、今回はもったいない気がしたんです。というのも、僕自身、パーキンソン病を患ってから16年が経ちますし、残りの人生をどれくらい生きられるか分からない。そう考えた時、“映画で主役を演じてくれ”とお願いされる機会なんてまずないわけですし、そんなせっかくのチャンスを前に、“やったことがない”という理由だけで断るのがあまりにも惜しいなと思ったんです。それに、もし失敗に終わったとしても、僕が責任を取る必要もないんじゃないかという思いもありました(笑)。
──確かに、作品は監督の責任だとよく聞きます(笑)。
樋口 ですよね(笑)。まあ、それは冗談ですが、僕は素人だけに、ひたすら一生懸命やればいいだけですので、そうした気軽さもあり、出演する方向に気持ちが変わっていったんです。
──初めてのことに挑む怖さよりも、好奇心のほうが勝ったんですね。
樋口 はい。いつでも逃げられるような心持ちでいながらも、見たことのない景色を見てみたいという厄介な性格なもんですから(笑)。
──ただ、主題歌を作るのと主演として作品に参加するのとでは、シナリオの読み解き方も変わってきそうです。
樋口 それはすごくありましたね。深い内容の作品ですし。そもそも、“これだけの分量のセリフを覚えられるのか?”という問題もありました。それに、覚えたとしても、演じながらセリフを言わなければいけないということをすっかり忘れていまして(苦笑)。クランクインが夫婦の食卓での会話のシーンだったのですが、コップのビールを飲み干して、セリフを言う時になって改めて気づきました。もうがく然としましたよ。“こんなこと、同時にできるわけがない”って(笑)。
──しかも、主人公の功一は劇中でダンスを習い始めますから、さらに初挑戦が続きます。
樋口 ダンスに関しては、いい意味で開き直っていました。やはり、数か月のレッスンで到達できるレベルというのは限られていますから。それに、この映画で功一が見せるダンスは決して上手なものではなく、どちらかというとみっともなさがあるんです。ただ、みっともなさの中にも、“かっこいいみっともなさ”と“かっこ悪いみっともなさ”があり、功一の真剣さや本気具合をいかに伝えていくかが大事だと思ったんです。ですから、たとえ滑稽に見えても、なりふりの構わなさのようなものを届けていきたいという思いを強く意識してダンスレッスンに励んでいました。
──そのほかで苦労されたことはありますか?
樋口 パーキンソン病の症状の違いですね。《ピル・ローリング》と呼ばれる手の中で紙を丸めるような動きがあるのですが、僕にはその症状がないんですね。ですから、主人公が持つ症状の一つひとつを僕も勉強しながら演技をしていきました。
公表することへのハードルが少しでも下がる社会になっていけばいい
──私もパーキンソン病という病名や、その症状を漠然と知ってはいても、細かなところまでは何も分かっていなかったと、この映画を見て痛感しました。
樋口 きっと多くの方がそうだと思います。だからこそ、この映画を作る意味や意義があったんだと思います。僕自身、学ぶことがたくさんありましたから。例えば映画の中で会議中に体が勝手に動き、「私は踊っているんだ」と話すシーンがありますが、これは《ジスキネジア》という症状なんですね。ハリウッドスターのマイケル・J・フォックスさんによく見られる動きだと説明すればピンとくるかもしれません。私にはこの症状もなく、スタッフさんやエキストラさんのなかに罹患されている方がいらっしゃり、ご自宅で撮影したものを見せていただいたりしました。それを見ると、本当にダンスを踊っているように体が動き回っているんです。私が想像していた以上の動きでしたので、そうした罹患されている方々のお話や体験をうかがいながら、役を作り上げていったところもあります。
──その一方で、薬で症状を抑えられるということも、恥ずかしながらこの映画で初めて知りました。
樋口 そうなんです。最近は効果的ないろんな薬が生み出されていて、服用の仕方によって、長きにわたって体を自由に動かせる状態を維持できるようになっています。映画の中でもダンスやランニングをしたり、クルマも運転していますから。ただ、波があるんですよね。薬を飲み続けると、どうしても効果を得られる血中濃度のポイントがだんだん狭まっていって、次第に体が勝手に動くようになったり、反対に動かなくなったりするんです。ですから、この映画の現場でも自分に薬が効いている時間の中で調整しながらの撮影になりました。
──劇中では、病名も含め、そうした症状のことや薬のことなどを周囲にどのように伝えていくかが罹患後のハードルの一つだと描かれていました。
樋口 僕も2009年に確定診断を受け、2012年に公表しましたので、3年ほど病気のことを伏せていました。でも、それが普通だと感じていたんですよね。僕もスタッフも、周りに“言わない”という選択が当たり前だと思っていたんです。
──それを公表しようと思われたのはなぜなのでしょう?
樋口 ある方に、音楽の仕事をして世間にも名や顔を知られている僕が病気になったのは、何かしらの役割があるのでは? と言われたことがきっかけでした。その言葉を聞いて、なるほどと思ったんです。もちろん、僕のようにフリーで仕事をしている人間と会社勤めをされていらっしゃる方では環境が違いますし、公表するにも大変さや覚悟の決め方が異なると思います。もしかすると、組織の中で働かれている方は、周囲からの良かれと思っての気遣いに別の心苦しさや孤立した思いを感じることがあるかもしれませんし。でも、だからこそ、この映画を通じてパーキンソン病のことをたくさん理解していただき、公表することへのハードルが少しでも下がる社会になっていけばいいなという願いも込めているんです。
“悪あがき”がこれからの僕の人生のテーマ
──樋口さんはこれまで30年間にわたって音楽活動をされていますが、歌以外の演技やダンスで表現することの面白さや魅力をどんなところに感じられましたか?
樋口 演技でいえば、喜怒哀楽の感情をよりストレートに出せるところが楽しいなと思いました。特に功一は物語の序盤でいろんなことに対して怒っている役柄でしたからね。僕自身は日常で怒ることがほとんどないのですが、彼は些細なひと言にいきなり火が着いたように怒り出す。ですから、どうすればそうした感情を持てるんだろうと最初は悩みました。でも、演じていて気づいたんです。功一はパーキンソン病だと告知され、自暴自棄になっていた状態だったので、何をされ、何を言われても、感情が爆発してしまうような臨界点にいたんだろうな、と。むしろ無意識に自分が怒鳴れるきっかけを探していたようなところもあるのかなと感じて。それからはどんどん感情を表に出すことに違和感を持たなくなりましたね。
──では、完成した作品を見て印象的だったシーンはありますか?
樋口 やはりラストシーンです。“踊れない”とふさぎ込む娘に対して、「諦めたら終わりだぞ」と告げる場面。しかも、娘にそんなことを言いながら自分が踊りだすのがいいですよね(笑)。あの姿にはすごく共感しました。だって、本来なら踊ることをやめた娘に対し、舞台袖から引っ張り出してでも説得しようとする感情が湧くと思うんです。にもかかわらず、セリフにはないものの、“俺が踊るから、お前は見てろ!”というぐらいの勢いがあって。言ってることとやってることが破綻している(笑)。でも、その矛盾した感じが人間らしくて素敵だなと思ったんです。
──確かに、理屈で考えるとおかしな行動ですが、感情で考えるとすごく腑に落ちるシーンでした。
樋口 そうなんです。しかも、功一のダンスがいまいちイケてないのもいいですよね(笑)。彼の中ではすごく盛り上がっているんでしょうけど(笑)。それに、もしかすると功一は娘のために踊ったのではなく、自分自身の生き様を見せつつ、ただ純粋に踊ることを楽しんでいただけなのかもしれない。彼は病気を患い、手足が思うように動かないけど、それを含めて“俺の姿を見てくれ!”と伝えているようでもあって。いろんな感情の受け取り方ができるシーンだと思います。
──先ほど、樋口さんがご自身の病気を公表したことを“何かしらの役割”とお話されていましたが、パーキンソン病を患いながらも音楽制作やライブ活動を続けていらっしゃる樋口さんの姿自体も、同じ病気を抱える方々の支えや勇気になっているのではないかと思います。
樋口 そうだと嬉しいですね。僕は罹患して16年になるんです。最初に病気のことが分かった時は、さすがに16年後は歌も歌えなくなっているかなと思ったこともありました。実際に一時期、声がうまく出なくなったこともあったんです。でも、それが不思議と持ち直してきて。今は楽器を弾きながら歌うことは難しいにしても、ちゃんと声も出ますし、ライブも精力的に続けられています。この映画でも、当初の依頼としてあった主題歌(『いまダンスをするのは誰だ?』)を歌わせていただいていますしね。
──しかも、すごくテンポの早い曲です。
樋口 音楽を30年間やってきたなかで、一番早いかもしれません(笑)。古新監督が書かれた歌詞に触発されたというのもありますし、やせ我慢をして無理している人間の姿を歌で表現したかったんです。イメージとしては80年代のダンス映画の『フラッシュダンス』のような、とにかく前向きな空気感を出したくって。また、僕はもともと生楽器を使ってもう少しアナログっぽい雰囲気の曲にしていたのですが、そこに河野 圭くんが打ち込みのアレンジを入れてくれたことで、新しさと古さがいい具合に混じった楽曲になりました。
──樋口さんはシンガーソングライターとして活動されてきましたが、ご自身以外の方の歌詞にメロディを乗せることに難しさなどは感じますか?
樋口 今はもう慣れてきましたね。2008年にシングル曲の『手紙〜親愛なる子供たちへ〜』を作って以来、いただいた歌詞に曲をつけることが増えてきましたから。もちろん、自分がメロディを乗せたいと感じた歌詞に限るのですが、その人が綴った言葉に込めた思いを感じながら、さらにその奥にある意味などを掘り起こしていく。そうした作業がどんどんと楽しくなってきているんです。
──なるほど。では、今後アーティストとして挑戦していきたいことがありましたら教えてください。
樋口 そうですね……決して病気を患っているからというわけではなく、残された時間を逆算して考えると、これからの人生のなかで何ができるだろうかと考えながら行動するようになってきているんです。その意味では、この年齢で映画の主人公を演じてくれと言われたときの驚きやワクワク感などを音楽のほうにもフィードバックさせたいなと思っていて。それ以外にも、身体が動くうちはいろんなことを詰め込んでいこうと思っています。いうなれば、“悪あがき”っていのがこれからの人生のテーマですね(笑)。
──これからのご活躍も楽しみにしています。最後に、樋口さんが今はまっているものを教えていただけますか?
樋口 小説です。読む方ではなく、書く方。コロナ禍で音楽活動が制限されたことを機に、新たな表現の場として昨年の7月頃から書き始めていて、3月3日や4月4日といった毎月のゾロ目の日にウェブで新作を発売したり、ライブ会場で販売したりしているんです。物語の内容も、大人の童話のようなものから不条理なお話まで本当にバラバラで。ラストを決めずに書き始めていくので、途中から思いもよらない方向に進んだりして、僕自身も“これ、どうなるんだ!?”と楽しみながら書いてます。
──歌の歌詞を書かれている方が生み出す小説というのはすごく興味深いです。
樋口 僕が普段から書いている歌詞も、実はちょっと物語っぽいんですよね。どこか語り部っぽいところがあったりして。ですから、そうした部分では繋がっているのかもしれません。それに、下の娘が小さかった頃に寝る前の読み聞かせをよくしていたのですが、いつも最後まで読んでもそこで終わらず、さらに先の物語を即興で適当に作っていたんです(笑)。すると、娘からも「今日はちょっとだけ怖くて、でも最後は安心して眠れるお話がいい」といったリクエストがきたりして(笑)。それが結果的にこの小説のようなクリエイトに繋がっていったのかもしれないです。今は、締切に追われてようやく書き始めるという感じですが(苦笑)、一度手をつけると一気に書き終えることが多いので、これからもジャンルを決めず、いろんなお話を紡いでいきたいですね。
いまダンスをするのは誰だ?
10月7日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開
【映画「いまダンスをするのは誰だ?」よりシーン写真】
(STAFF&CAST)
監督・脚本・原作:古新 舜
企画・原案:松野幹孝
エグゼクティブプロデューサー:古新 舜
音楽:樋口了一、村上ゆき
主題歌:樋口了一『いまダンスをするのは誰だ?』(テイチクエンタテインメント)
出演:樋口了一、小島のぞみ、山本華菜乃、塩谷 瞬、IZAM、杉本 彩ほか
(STORY)
家庭を顧みず、仕事一筋で生きてきた功一(樋口)。妻や娘ともすれ違いが続く日々を送ってきた彼は、ある日、若年性パーキンソン病だと診断される。なかなか受け入れられず自暴自棄になり、やがて妻からも離縁を迫られ、職場でも仲間が離れていき、それまで以上に孤独を抱えてしまうのだった。そうした中、パーキンソン病のコミュニティ「PD SMILE」で新たな仲間と出会った彼は人との触れ合いの大切さを痛感し、新たな生き方を求めて前を向いて力強く歩き出していく。
公式サイト:https://imadance.com./
(C)いまダンフィルムパートナーズ
撮影/中村 功 取材・文/倉田モトキ