ファッション
スニーカー
2019/9/29 21:00

没後10年、 “キング・オブ・ポップ” マイケル・ジャクソンとゆかりのあるスニーカーたち

突然の旅立ちから今年で10年。いまだ“キング・オブ・ポップ”といえばマイケル・ジャクソンであることに異論はないでしょう。存命であれば昨年“還暦”を迎えていたはずの彼を巡る話題は、いまだに絶えることはありません。あまりスニーカーを履いているイメージがないかもしれないマイケルですが、幼少期から亡くなる直前まで常にエンターテイメントの最高峰で活躍してきた彼だけに、スニーカーにまつわるエピソードには事欠きません。

 

【関連記事】

八村塁がすでに履いたエアジョーダンは? オトナのための「最新バッシュ」はコレだ!

 

[01]

日本のCMに出演したマイケルの足元を飾った一足!

NIKE(ナイキ)

NIGHT TRACK

実売価格2万7972円

 

1981年、まだ「スリラー」発売前のマイケルをCMに起用したのが、自動車・バイクメーカーのスズキでした。原付バイク「LOVE」のCMに出演したマイケルが着用していたのが、ナイキの「ナイトトラック」。名作ランニングシューズ「テイルウィンド」をディスコ風にアレンジしたカジュアルモデルです。実際にマイケルが履いていたのはシルバー×ラメ入りのレッドという、ウルトラマンと見まがうド派手なカラーでした。

 

[02]

80年代キックススタイルの宝庫「BAD」

NIKE(ナイキ)

AIR JORDAN 2

実売価格4万2840円

 

マーティン・スコセッシ監督による「BAD」のPVには80年代ニューヨークのストリートスタイルが詰まっています。マイケル本人は黒のレザースーツに合わせたベルト付きのレザーブーツを履いて踊っていますが、注目すべきはバックダンサーたちの足元。ナイキ、プーマ、アディダス、LAギア、アシックスなどの往年の名作キックスが勢ぞろいです。なかでもダンスパートの冒頭、マイケルの左脇で踊っているダンサーが着用しているのは、当時発売されたばかりの「エアジョーダン2」であることが確認できます。

 

ファーストモデルと比べ売れ行きが芳しくなかったと言われる「エアジョーダン2」ですが、スパイク・リーの映画「スクールデイズ」(1988年公開)でも使用されるなど、そのデザイン性への評価は決して低くなかったようです。

 

[03]

もう一人の“MJ”と共演したPV「JAM」

NIKE

AIR JORDAN 7

実売価格3万4800円

「JAM」は1991年発売アルバム「デンジャラス」からのシングルカット曲。翌1992年に発表されたPVでマイケルは、バスケの神様、マイケル・ジョーダン(当時ブルズ)と共演。その時にジョーダンが着用していたのがこの「エアジョーダン7」の通称ボルドーカラー。当時のジョーダンはNBA連覇に加え、夏にはバルセロナ五輪の“ドリームチーム”にも参加。二人の“MJ”が共演したPVは大いに話題となりました。

 

余談ですが「JAM」の次にリリースされたシングル「リメンバー・ザ・タイム」には、ジョーダンのライバルとして知られたマジック・ジョンソン(元レイカーズ、当時はHIV感染により引退)が出演しています。

 

[04]

2000足のみ発売されたレアな逸品

ジュゼッペ・ザノッティ

Giuseppe Tribute to Michael Jackson

実売価格18万3680円

イタリアのラグジュアリーブランド「ジュゼッペ・ザノッティ(Giuseppe Zanotti)」が昨年発売したのはスワロフスキークリスタルをあしらった限定2000足の逸品です。中でもシリアルナンバー「1番」のシューズは、約120個のブラックダイヤモンドと約55個のルビーを使用したスペシャルモデル。昨年のマイケル生誕60年を記念したイベントでお披露目され、エリザベス・テイラー・エイズ財団への寄付を目的としたオークションにかけられました(オークションの開幕を宣言したのはマイケルの息子プリンスと娘パリスでした)。

 

ジュセッペ・ザノッティは2013年にカニエ・ウェストとのコラボによる約5000ドルのハイヒールをリリースして話題を集めています。過去にも何度かマイケル・ジャクソン・エステート(マイケルの権利管理会社)とのコラボアイテムをリリースしており、マイケルへの想い入れは相当なもののようです。

 

【番外編】LAギアとの破格の契約。その行く末は……

1989年、マイケルはLAギアと契約し、自身の名曲の名を冠したシューズ「ビリージーン」「バッド」「スムース・クリミナル」などを発売しました。このころLAギアはスポーツ選手だけでなく、ベリンダ・カーライル、ポーラ・アブドゥルといったセレブリティとの契約を積極的に進めていましたが、中でもマイケルは別格。契約金は当時のLAギアの年間広告費の1/5にのぼる総額2000万ドルだったと言われます。ですが両者の関係は長く続かず、1993年には「マイケル側が予定通りにニューアルバムをリリースしなかった」として法廷闘争にまで発展しました。

 

↓こちらの記事もオススメ!

この秋、機能性重視で選びたい「アウトドアブランド発スニーカー」厳選5モデル!