〜玉袋筋太郎の万事往来
第9回 「ゲームニュートン」代表・松田泰明
全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第9回のゲストは、格闘ゲームの聖地として知られるゲームセンター「ゲームニュートン」代表の松田泰明さん。eスポーツという言葉が生まれる遥か昔から全国規模のゲーム大会を主催し、世界で活躍するプロ格闘ゲーマーをアマチュア時代から見守ってきた松田さんのゲーム道に玉ちゃんが迫ります!
(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)
退職金代わりに無償でゲームセンターを譲り受ける
玉袋 板橋区の大山に格闘ゲームの聖地があるとは驚きました。どうして、ここに「ゲームニュートン」を構えたんですか?
松田 僕は今46歳なんですけど、もともと小学生のときに通っていたゲームセンターがここなんですよ。「アタック」という店名でした。
玉袋 大山が地元なの?
松田 そうです。すぐ近くに家があったんですよ。
玉袋 いいところだ。ハッピーロード大山(※ゲームニュートン大山店がある商店街)、最高じゃない。俺もスナックの取材で来たことがあるよ。松田さんは小学生時代、何のゲームにハマってたんですか?
松田 特にハマっていたのはテクモ(※旧名:テーカン)という会社の出していた『TEHKAN WORLD CUP』というサッカーゲームです。
玉袋 あったあった。
松田 それを毎日のようにやってました。あとは『魔界村』とか。ここは当時、店内が薄暗くて、友達の間では行かないほうがいいんじゃないかという空気もありましたし、PTAがよく見回りに来るから、そういうときは行っちゃダメだと言われていたんですけど、構わず入り浸ってました。
玉袋 ゲームセンターって新しく始めるのに、どれぐらいかかるものなんですか?
松田 ちっちゃいところで3000万円ぐらいですね。
玉袋 ものすごくかかるじゃない。どういう経緯で、松田さんはゲームセンターを始めたの?
松田 話は長くなるんですが、順を追って説明させてください。僕が19歳のとき、板橋区の志村にゲームセンターが新規でオープンしたんです。そこでオープニングスタッフを募集していたので、応募して入ったんです。2年ぐらいで店長になったんですけど、それから10年ぐらい勤めていたら、徐々に景気が悪くなっていったんです。それで会社が「そろそろ志村店は撤退しよう」という話になって。
玉袋 あららら。
松田 その会社はゲームセンター以外にも、雀荘やビリヤード店など何店か経営していたので、売り上げの悪いところは閉めることになりました。社長の中にも十年一区切りみたいな仕事観があって、ゲームセンターも下火になってきたから、ここらで撤退しようとなったときに、僕も悩みに悩んで。出した答えが、会社を辞めて、ワンチャン「ここのお店を売ってくれないか」と社長に直談判してみたんです。そしたら、「お前はすごく頑張ってくれたから、退職金代わりに全部やるよ」と言ってくれたんです。
玉袋 本当に! すごい社長だわ。それは良かったね。
松田 それでお店を丸ごともらって、名義変更も社長が協力してくれました。不動産屋さんや大家さんにも「同じ条件にしてやってください」と社長が頭を下げてくれたおかげもあって、30代目前でゲームセンターのオーナーになりました。それから時が過ぎて、今から10年ぐらい前に、ここの物件が売りに出ていたんです。当時はマンガ喫茶だったんですけど、僕が小学生のときに通っていた「アタック」だった場所だと気づいて。それで運命みたいなものを感じて、オーナーさんと交渉しました。かなり渋い条件だったんですけど、50坪と広いし、思い入れもあったので「ゲームニュートン大山店」としてオープンしました。
玉袋 言ってみりゃエルサレム奪回だね。松田さんが店長時代に、ゲームセンターが下火になったというのは、やっぱり家庭用ゲームの影響なの?
松田 家庭用ゲームのスペックが良くなったことが大きかったですね。それまではゲームセンターの機械こそが超ハイスペックで、ファミコンの移植はショボいものという認識だったじゃないですか。でもPlayStationが出たあたりから、どんどん家庭用ゲームが進化して、ゲームセンターと同等か、それ以上になっていきました。そうなるとゲームセンターには来なくなりますよね。今だとスマホゲームのブレイクも大きいです。
玉袋 アーケードゲームのメーカーだって、業界向上のための努力はしているんでしょう?
松田 それがメーカーさんも真っ二つに分かれていて、商売にならないとアーケード部門から撤退したところも少なくありません。僕が働き始めた頃は国内に3万店舗ぐらいゲームセンターがあったんですけど、おそらく今は3000店舗ぐらいしかないです。だからメーカーさんも、アーケードは商業的にきついんです。以前は1店舗1台買ってくれたら、それだけで3万枚、基盤が売れていたわけですからね。今もバンダイナムコさんやタイトーさんは頑張っていますが、ゲームセンターというよりは、プリクラがあって、音楽ゲームがあって、クレーンゲームがあってみたいな、アミューズメントパークなんですよね。
玉袋 そんな中でゲームニュートンは、古い格闘ゲームに特化することで存続させているのはすごいよね。
松田 固定ファンがいますし、最新作の良さは否定しないんですけど、古い格闘ゲームには最新作にはない良さがありますからね。最近はブラウン管自体が地球上から消滅しようとしていますけど、液晶に比べてブラウン管は遅延(※ラグ)がないんです。遅延があるとゲームによっては大きな問題になりますからね。今は良い回線も出てますけど、遅延ゼロというのはありえないんです。やっぱりブラウン管は遅延がないので最強なんですよね。
玉袋 最強だけど、ずーっとやっていると絵柄が焼き付いちゃうというね。
松田 仰る通りです(笑)。あとブラウン管にも寿命がありまして、半世紀は大丈夫と言われているんですけど、修理をするにもパーツがもうないらしいんです。すでに地球上にはない原材料もあって、それを入手するには宇宙に行くしかない(笑)。だからブラウン管の壊れた場所によっては直せないのでアウトなんです。
玉袋 旧車と一緒だね。
ゲームセンターのマイナスなイメージを払拭したかった
玉袋 最近、レトロパチンコの番組(※『玉袋筋太郎のレトロパチンコ DX』)を始めて、昔の懐かしい台を打つ機会もあるんだけど、俺も羽根モノが好きだったから楽しいんだ。福生に「タンポポ」っていうレトロパチンコが打てるお店がオープンしたんだけど、ゲームセンターという形で3000円払えば終日打てるんだよ。そこで話を聞いたときに面白かったのがさ、玉が出ちゃうとお客は面白くないんだって。当時と同じぐらいのレギュレーションにして楽しませるんだって。
松田 レトロスロットのゲームセンターもありますけど、全台設定6とかにしているので、一生出ますからね。
玉袋 そうそう。そうしないように心がけてるって言ってた。
松田 格闘ゲームもレトロが好きな人はたくさんいます。ナンバリングが出たら新しいものに行く人もいるんですけど、同じシリーズでもハマったタイトルで固定する人は多いんです。たとえば『ストリートファイター』シリーズで言うと、「II」はダッシュもなくて、歩くことしかできない上に、空中ガードもないので、非常にシンプルな読み合いになるんです。「III」になると、ブロッキングというシステムがあって、波動拳を弾けます。なのでゲーム性が全然違うんですよ。今は「V」まで出てますけど、同じキャラクターが出ていても別物なんです。うちで開催している「ストⅡ」の大会には、「ストII」しかやらないおじさんもいますからね。「ストIII」の大会だと、「ストIII」のシステムが大好きな人しか来ません。だから同じ『ストリートファイター』シリーズでも、完全に別のコンテンツなんですよね。
玉袋 松田さんが格闘ゲームにハマったきっかけは何だったの?
松田 最初にハマった格闘ゲームは『バーチャファイター』で、トータルで200~300万円は使ってると思います。
玉袋 それを今はゲームニュートンで回収してるわけだ(笑)。
――格闘ゲームのイベントを始めたのは店長時代ですか?
松田 そうです。自主的にゲーム大会を主催していたんですけど、その大会に向けてめちゃめちゃ練習している子たちを見ていると、ひたむきに研究しているのでアスリートみたいだなと思ったんです。当時はゲームセンターに集まる子たちに対して、「オタクの集まり」だとか「ヤンキーのたまり場でしょう」と決めつけている人たちも多くて、「そういう子もいるけど、ちゃんとゲームに取り組んでいる子もいるんだよ」ということを知ってもらうためにやっていたところもあります。今、格闘ゲームのプロゲーマーとして活躍している子たちの9割ぐらいはだいたい知り合いです。ようやくeスポーツという言葉が定着してきて、梅原(大吾)くんやときどくんが世界で活躍してメディアにもたくさん取り上げられていますが、もともとはお客さんだったんです。
玉袋 俺もパチプロと対談することがあるんだけど、プロゲーマーと同じでマジメなんだよな。朝から並んで、ずーっと研究して攻略法を考えるんだからさ。今でも、ここで大会をやっているんでしょう?
松田 最初は志村店で100~200人規模の大会をやっていたんですけど、もっと広いスペースでやりたいなと考えていたときに、ここの物件が空いたんです。イベントをやるために借りたのが一番の理由ですね。店内のあちこちにトーナメント表が貼ってありますけど、週末になるとゲームイベントをやっています。
――松田さんは、先ほどお話に出た梅原さんやときどさんも出場していた『闘劇』(※2003年から2012年まで10回開催された格闘ゲーム大会の草分け)にも関わっていたんですよね。
松田 『闘劇』は格闘ゲームの全国大会なんですけど、エンターブレインさんと組んでやっていました。始めたきっかけは、当時『ゲーメスト』(※1986年から1999年まで新声社が発行していたアーケードゲーム専門の雑誌)というゲーム誌があったんですよ。その雑誌で新作のアーケードゲームが出ると全国大会をやってたんですけど、出場条件が抽選だったんです。
玉袋 実力主義じゃなかったんだね。
松田 大会に向けて必死に練習しても、抽選で外れてしまったら出場できずで。そうすると本当に強い人が出られないまま全国大会が開催されてしまい、全国チャンピオンが生まれてしまう可能性も高いんです。それは健全じゃないなと思って、やるなら甲子園みたいに全国でしっかり地区予選をやって、最後に32人もしくは64人で全国決勝大会をやるのが公平だろうと。それで雑誌社の人やゲームセンターの経営者仲間に相談したら、協力してくれて、立ち上がったのが『闘劇』です。北海道から沖縄まで全国のゲームセンターから参加者がいたので、運営は大変だったんですけど、僕の夢でもあったので10年続けられました。
玉袋 それはすごいね!
松田 『闘劇』だけの功績ではないですけど、これがきっかけの一つになってゲーマーたちがメディアで取り上げられる機会も増えました。そこで活躍した子が企業にスカウトされてプロになって。市民権を得たまでは言い過ぎかもしれないですけど、だいぶ「オタクの集まり」「ヤンキーのたまり場」という昔のイメージは払拭できたのかなと思います。
パキスタン勢が活躍する『鉄拳』シーンが面白い
――玉さんが幾つぐらいのときにゲームセンターが増えだしたんですか?
玉袋 小学5年生ぐらいかな。大きかったのは『インベーダー(※スペースインベーダー)』だよね。その前からゲームセンターに近いものはあったかもしれないけど、たいしたことがなくて、インベーダーで大爆発よ。その当時は俺もゲームセンターで遊んでたなぁ。
松田 何年かに一度、時代を動かすようなタイトルがあって、その先駆けが『インベーダー』や『ブロックくずし』、その後に『テトリス』だったりプリクラが出てきて。格闘ゲームだと『ストリートファイターII』や『バーチャファイター2』ですね。そのときに一気にゲームセンターが増えるんですよね。最近の例でいうとタピオカ屋と一緒ですよ(笑)。
玉袋 俺のゲームセンター歴は『戦場の絆(※機動戦士ガンダム 戦場の絆)』で終わってるもんな。
松田 まさに昨年、14年ぶりに『戦場の絆II』として新作が発表されたんです。
玉袋 出たんだ!
松田 まだゲームセンターに出回るのは先だと思いますけどね。今回はポット型ではなく、デカいモニターが3つになりました。
玉袋 ポット型が良かったんだけど、場所も取るしね。今は子どもが初めてやるゲームが、家庭用ゲームなわけじゃない。そうするとゲームセンターの裾野を広げていくのは大変だよね。
松田 メーカーさんが『戦場の絆』みたいに、ゲームセンターでしか遊べないゲームを出してくれるのが一番なんですけどね。それが流行ればゲームセンターの価値が見いだせるんですけど……。うちなんか「昭和」とか「レトロ」とか言われちゃいますけど、それが良さだと思っているので、「最新ゲームだけがいいんじゃないよ!」というメッセージを伝えていきたいから続けているんです。
玉袋 いいね! もっともっとゲームニュートンで育ったプロゲーマーが有名になってさ、「総本山はここだ!」って形ができるといいんだけどね。ここで育った子どもたちが強くなって世界で活躍する。町の格闘技ジムと一緒だよ。世界だと格闘ゲームはどこが強いの?
松田 やっぱり日本が一番強いですね。ただタイトルによっては拮抗しています。たとえば『鉄拳』だと、今はパキスタンが強いです。『鉄拳7』の世界規模大会「EVO Japan 2019」でパキスタン人のArslan Ash選手が優勝したんですけど、優勝コメントで「パキスタンには私に負けないくらい強いプレイヤーがたくさんいます」と言って話題になったんです。
玉袋 ヒクソンやホイスみたいだな(笑)。
松田 その後、福岡に住んでいる日本の鉄拳チャンピオンだったチクリン選手が武者修行でパキスタンに行ったんです。現地でいろいろな人と10本先取のガチンコバトルをやったら、実際に結構やられてしまって。
玉袋 えー!
松田 「あいつの言ってることは嘘じゃなかった……」とマンガみたいな展開になって、今『鉄拳』シーンはすごく面白いんですよ。
玉袋 日本の選手にはパキスタンに乗り込んで、腕を折るぐらいのことをやってほしいね。
松田 それまで『鉄拳』は日本と韓国でトップ争いをしていたんですけど、パキスタンだけではなくフィリピンも強くて。
玉袋 『鉄拳』のマニー・パッキャオがいるんだ(笑)。
松田 『ストリートファイターV』も、公式大会でドミニカ共和国のMenaRD選手が優勝してますからね。
玉袋 チャンピオンの賞金はどれぐらいなの?
松田 大会によって様々ですけど、格闘ゲームは高くて300~500万円ぐらいで、最高は2000万円。なかなか賞金だけではやっていけないですね。どのプロゲーマーも、チームから固定給をもらったり、企業からスポットスポンサードで大会のサポートをしてもらったり。今はイベント出演などもあるので、タレントさん以上に稼ぐプロゲーマーもいます。
玉袋 ファイトマネーだけで、長者番付に載るぐらいの状況になってほしいよ。若い子でも大金を手に入れられるシステムができると、もっと盛り上がるんじゃないかな。もちろんお金だけじゃないだろうけど、それぐらいバンバンやらないと大きな波は来ないからね。
【ゲームニュートン公式はこちら】
取材場所:ゲームニュートン大山店
東京都板橋区大山町25-8 野口ビルB1
TEL:03-3554-2668
玉袋筋太郎
生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中
一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1 階 )
<出演・連載>
TBSラジオ「たまむすび」
TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」