ヘルスケア
2017/9/11 20:00

40代フリーランスが脳梗塞で倒れて起こったこと【02・入院生活】

ゴールデンウィーク中日、手足のしびれを訴えた40代フリーランスライターの筆者。救急車で運ばれ、MRIで検査をしてみるとなんと「脳梗塞」と診断されたのが前回の記事。仕事と家族、そしてこれからの生活はどうなる!? 突然始まった入院生活の記録です。

 

【過去の記事はコチラから】

40代フリーランスが脳梗塞で倒れて起こったこと【01・異変】

 

脳梗塞とは、脳内の血管に血栓(血の塊)などが詰まって起きる病気です。糖尿病や高血圧、高コレステロールなど、様々な生活習慣病を起因として発症します。症状は詰まった場所によって異なり、太い血管が詰まると、脳の広範囲に血液が供給されなくなるため、最悪の場合、死に至る場合もあるとのこと。また、後遺症として、片麻痺をなどの運動障害や感覚障害、また失語症などの言語障害、記憶障害をはじめとした、高次脳障害が発生することが多いようです。これらは脳のどの部分で梗塞が起きたかで決まります。

 

MRIによる検査の結果、脳梗塞と診断され、それから30分もしないうちにICUのベッドに寝かされていました。同じ脳血管障害でも、脳出血の場合は手術することも多いようですが、脳梗塞の場合はほぼ、点滴による治療になるようです。血栓を溶かし、これ以上詰まらないように進行を止めることを目指します。

 

このため、ICUのベッドに寝ている状態は「ヒマ」の一言でした。少なくとも自分は痛みなどがまったくなく、だるさや吐き気なども起きなかったため、「右手足の動きが悪いだけ」だったのです。

 

そうなると気になるのがゴールデンウィーク明けの仕事。運ばれたこの日が土曜日。月曜以降、何本も締め切りがありましたし、火曜には取材の予定も入っていました。さらに翌々週には関西取材、月末には海外取材を予定していました。

 

フリーランスにとって仕事を断るというのは、それ以降の仕事も来なくなる可能性を秘めています。まして、病気とはいえ、一度受けた仕事をできないと連絡するのはなかなか厳しいものがあります。

 

とはいえICUはパソコンの持ち込みはNG。スマートフォンは許可してもらいましたが、これで原稿を書くことはできませんでした。しかも、入院したのがゴールデンウィーク最後の週末だったため、一般病棟のベッドに空きがなく、この土日はICUにいることになるとのこと。月朝締め切りの原稿は絶望的です。

 

そこでまずは「できること」、「できないこと」を整理することにしました。月朝締め切りの原稿は担当編集者にすぐメールで、事情を説明して、理解してもらいました。スマホで書けるような短い原稿やコメントなどはEvernote上でまとめる形をとりました。この時点では両手でのフリック入力もなんとかこなせていたので、長文の原稿や雑誌などの文字数が厳密に決まった原稿以外はスマホでなんとかできました。

 

そしてアポイントなどのスケジュールの調整も、行う必要があります。担当医から入院期間は2週間ほど、と言われましたので、まずはその期間の取材や発表会の予定を断っていきます。中には発表会レポートもありましたが、そういう仕事は当然降りることに。ゴールデンウィーク中ではありますが、早いほうがいいのでそれぞれの担当者にメールで連絡していきました。

 

10日で退院? ところが……

ICUでは大事をとってトイレに行くのも車椅子に乗って、看護師さんに押されて移動していました。しかし、実際には若干の不安定さはありますが、歩くことはできました。入院2、3日目にはリハビリスタッフによる症状の確認が行われたのですが、それほど重篤ではなく、担当医からも「入院期間は2週間から10日ほどに短くなるかも」と言われていました。

 

一般病棟に移ったあとは、すぐにノートPCを持ってきてもらって急いで仕事をスタートしました。倒れる前日に取材したイベントの原稿や月刊誌の原稿、Web連載などやらなければならないことは山のように溜まっています。それらをひとつずつ整理していきます。右手の動きが悪いとはいえ、ノートPCも使え、なんとかタイピングもできてホッとしていました。

 

しかし、このあと事態は大きく変わります。入院3日目の夜、右手の動きが悪くなってきました。ダブルクリックがうまくできず、「コミュニケーション」という言葉が上手にタイプできなくなりました。「急に使ったから疲れたんだ」と自分に言い聞かせていましたが、症状はどんどん悪くなっていきます。4日目、右手を机の上に置いておけなくなりました。指もうまく動きません。そして右足にも力が入らず、膝が折れ、歩けなくなっていきます。一般病棟では歩行器を使って自分でトイレに行っていたのですが、また、介助付き車椅子に後戻りです。

 

そして5日目。右手右足はほとんど動かなくなっていました。

 

このころの恐怖は今でも忘れられません。寝たらもっと悪くなっていく気がしました。どこまで悪くなるかもわかりません。明日は手がまったく動かなくなっているかもしれませんし、高次脳障害が現れるかもしれません。もしかしたら、意識すら……。そんなことがよぎって眠れませんでした。このとき初めて、死にたくないと、本気で泣きました。

 

筆者のかかった脳梗塞は脳内にある細い血管、穿通動脈の末梢が詰まるラクナ梗塞だったそうです。これは比較的軽度なことも多く、症状が出ずに気づかない方もいるとか。しかし、著者の場合はラクナ梗塞のなかでも、末梢ではなく根元が詰まる分枝粥腫型梗塞(Branch-atheromatous disease:BADタイプ)でした。これは進行性と治療抵抗性があるため、あとからゆっくりと悪化していったようです。

 

その後、MRIによる再検査を行い、点滴もさらに追加されました。結果、右半身の麻痺だけでなんとか症状は安定しました。

 

しかし、問題は山積です。症状が大幅に悪化したことで、入院期間は大幅に伸びることが決まりました。自宅は戸建で玄関前に5段ほどの階段があります。車椅子生活ではそれを登ることができません。松葉杖なら、とよぎりましたが、あれは両手が使えてこそ。右半身が動かない自分には使えないのです。つまり2週間どころかしばらく自宅にも帰られなくなりました

 

そしてもうひとつが仕事です。右手はスマホを持つことも、キーボードをタイプすることもできません。しかし、目の前には数千字は書かなければならない仕事が何本もありました。なかには原稿を書くためにテープ起しが必要な案件もあります。それをこの状態でどうするか、判断が求められます。

 

病気なのだからとすべての仕事を断る、という判断もあります。状況を考えたら理解もしてもらえるでしょう。しかし、同時に生活もあります。フリーランスである以上、稼がなければなりません。幼い子どもを育てなければなりません。

 

まずは、休める(伸ばせる)仕事と、絶対やらなければならない仕事、物理的にできない仕事に分類しました。取材や製品レビューは不可能です。また、Web連載は状況が整理できるまで、短期の休みをいただきました。また、いくつかの仕事はライター仲間に外注しました。やるべきことを最小限にして、入院しながら、リハビリしながらの仕事が始まりました。

 

(つづきます)
監修:南町田病院 脳神経外科  原島 克之医師
http://www.mmhp.jp