ライフスタイル
2015/3/3 16:22

モテないアナタは気遣いの達人かもしれない!

連載「モテない美学」第2回

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みなさま、今年のバレンタインデーはいかがだったでしょうか?

私はと言えば、土曜日だったこともあり人に会うこともなく、会議室のテーブルに無様に置き放たれた惰性チョコ、通称「惰チョコ」にあずかることもなく安定の収穫0で過ごしました。

 

数年来、深刻なチョコ飢饉が続いていますが、これも日頃からモテないように心がけている賜物だと思っています。ありがとうございます。

 

イベントは“モテない”を楽しむチャンス!

年に何度か、モテを多少なりとも意識させられる時期がありますね。こういうときに「どうせ、お菓子会社の……」などと、「そもそも論」を語ってしまいがちですが、それは野暮。我々は「モテない道を歩む者」、ネイティブアメリカンの言葉で「モーテナイウォーカー」ですから、モテを意識せざるを得ないイベントは、その存在を優しく認め、それでいてその中でモテないように振る舞うという余裕を持つべきなのです。

 

「どうせ、お菓子会社の……」の姿勢でいると、同じくPRのためのイベントである「今年の漢字」とか、「お茶の茶柱」にも牙を剥かなければならないことになります。聞いたところによると、もともとは「茶柱」が混入したお茶は良くないとされていたものを、お茶商人が機転を利かせて「茶柱が立つと縁起が良い」とすりかえたという話もあるそうですから。

 

それにイベント批判の文句って、どうしても定型文になってしまいがちですよね?クリスマス時期の「うちは仏教だから……」というのも、もう生涯何遍聞いたか分かりません。食べたパンの枚数よりは少ないと思いますが、食べたモチの数よりは多く耳にしてきました。

 

それでいて、12月の中頃に「うちは仏教……」と言っていた人が、4月8日のお釈迦様の誕生日に甘茶を飲んで祝っている姿も見たことありません。否定のための定型文。ちょっぴり他人と違った視点の言葉を借りてきただけの否定という、なんとも腰が据わってない印象です。

 

やはり、イベントそのものを頭から否定してかかるよりも、その渦中に敢えて飛び込み「今、モテない、自分」「私らしく、モテない、暮らし」を楽しみたいところです。

 

誕生日こそ貫きたい、モテない美学!

 

さて、モテを意識せざるを得ない年中行事のひとつに「誕生日」というものがありますね。自分がこの世に生まれたことを祝われる日、近年、モテる人達の間では「親、特に母親に感謝する日」なんて捉え方もあるようですが…、いずれにしても個人にとっては特別な日です。私も、バレンタインの少し前にこの「誕生日」を迎えました。

 

私は、「誕生日」に関して最近決めていることがあります。それは、「Twitterでおめでとうのリプライが来ても、ゆめゆめリツイートするまじ!」という誓いです。祝い不拡散の誓約。

 

自分宛に来た「誕生日おめでとうございます」のリプライに、「ありがとうございます」の一言を添えてリツイートすると、誕生日だと気付いていなかった他の皆さんに、自分が誕生日であるということを知らしめて、「おめでとう」をせびる結果になりかねません。

 

他人様に「おめでとう」の気を遣わせてしまうことになるのは恐縮なので、できるだけ気付かれないように過ぎ越そう……と私なりに気を遣った誓いなのです。

 

もちろん、今年も誕生日前日の深夜24時を回った瞬間から、当日の深夜23時59分59秒まで、そうやって気を遣って過ごしておりました。

「おめでとうのリプライが来てもリツイートしない」

「リプライくれた人にはお礼のツイートはするが、リツイートはしない」

「なにしろリツイートはしない」

そう念仏のように唱えながら24時間を過ごした結果は、どうでしょう?

 

なんと、「おめでとう」のリプライは0でした。

ぼ、僕の勝ちです。

ふぅ…危ない。いや、何も危なくないです。

私は、気を遣って過ごしながら、その気を遣ったことは誰にも気取られずに乗り切ることができたのです。

 

この「気を遣った挙げ句、その遣った気が何の役にも立たない。誰にも気付かれない。」というのは、「モテない美学」において最上の価値を持っているのです。

 

モテない気遣いこそが、本当の気遣い!

 

女性の皆さんはよく「気配りのできる男性がモテる!」なんて口にしますし、男性もそう信じている部分もあると思うんです。でも、あの「気配りのできる…」っていうフレーズ、厳密に言うと「(私の目に見える、かつ私にとって快適な)気配りのできる男性はモテる!」と、かなり省略されている部分があるんじゃないでしょうか? まるで短歌です。

 

杉の木を 使いし人の 過ぎ去りて 我人知れず ひとりモテなし

訳:(杉の木のその“すぎ”ではないが)気を遣い過ぎている私に誰が気付くであろうか? いや気付かずに過ぎていくばかりだ。今日も自分をもてなして過ごしている(誰からもモテることはない)

といった具合です。

 

例えば、皆さん、曲がり角を曲がるとき、どのコースを曲がりますか?多くの人は、歩く労力を節約するために曲がり角の内側、INを攻めて曲がっているんじゃないでしょうか?

 

私もINを曲がりたい気持ちはあるのですが、INを曲がった場合、向こうからもINを攻めて来た人があったらぶつかってしまいます。ここで、ぶつかりそうになって、相手に道を譲れば「やさしい人」となるのですが、私は「ぶつかりそうな可能性があるな」と気付いてしまっているため、最初からOUTを曲がるようにしています。

 

すると、INを曲がってきた人とはぶつかるようなことはないですし、視野が開けていますから、稀にOUTに膨らんできた人も早くから察知することができます。つまり、どこのどなたかとも存じ上げない人とぶつかる危険を予防しているのです。しかし、この気遣いは周囲の人に気付かれませんし、もちろんモテることもありません。

 

◯ぶつかりそうになって、道をゆずる⇒気を遣ったことが気付かれる⇒モテる

◯ぶつかる前に、道をゆずる⇒気を遣ったことが気付かれない⇒モテない

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↑曲がり角は、”モテる””モテない”の分かれ道でもあるのです!

 

早くからぶつからないように角を曲がっている方が気を遣っているのですが、端から見れば「ただ大回りしている」だけ。私は、角を大回りしている人を見ると「あ、気を遣ってるな」と思いますが、世の中的には、その気は見えていないのです。

 

気を遣うことの最上級が「気を遣っていることを相手に気付かせない」にあるとするならば、よほど人が気を遣っていることに敏感でなければ、あの「気配りのできる男性はモテる」は成り立たないということになります。

 

皆さん、気を遣っていることを悟られないように、深く、深く気を遣っていきましょう。モテに繋がらない気遣いができるなんて、打算的ではなく、つつましいと思いませんか?

 

これぞ、まさに「モテない美学」!

 

時には、「気を遣っていることが少しはバレても…」と弱い気持ちが出てくることもありますが、そこはグッと我慢です。バレる気遣いはモテの始まり。お気を付け下さい。

 

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