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2019/7/24 20:30

フジロック出演にYouTubeに筋トレ! 芸能生活60周年・加山雄三が82歳とは到底思えないバイタリティ

来年、芸能生活60周年を迎える加山雄三さんを直撃した。いまだ現役バリバリの82歳は、筋トレに励みつつ、孫と一緒にゲームやYouTubeに没頭する“永遠の若大将”でもある。いくつになっても常に現在進行形であり続ける活力の源は何なのか? その言葉からは、生きるための貴重なヒントが散りばめられている──。

(企画・撮影:丸山剛史、執筆:小野田衛)

 

82歳にして筋トレは日課

──この連載では、各界の名士たちに過去の出来事から未来の展望までざっくばらんに話していただいております。改めてよろしくお願いします。

 

加山 はい、よろしくお願いします。

 

──ところでニュースで見たのですが、背骨を骨折されたそうですね。現在は大丈夫なんですか?

 

加山 いや~、参ったよ。これは圧迫骨折というんだけど(※正式な診断名は「腰椎椎体骨折」)、治るのに3か月くらいかかるらしい。本当にバカやったよね(苦笑)。自宅で筋トレやっている最中に痛めたんだ。

 

──バーベルでの事故だったとか?

 

加山 その日は、たまたま孫が家に来ていたんだよ。その孫っていうのは高校3年生。力があり余って仕方ない時期じゃない。それで僕が普段使っているプレートを、もっと重いやつに交換したみたいなんだよね。見てみたら、片方のプレートが30Kg。これが左右あるわけだし、さらに言うとバーベルってシャフト部分だけで10kgあるの。だから合計で75kgになる。これはさすがに自分には重いなと思って、それぞれのプレートを普段僕が使っている15kgに戻そうとしたんだよね。そうしたら合計40kgになるから、ちょうどいいだろうってことで。ところが交換している最中に30kgの重りが下に落ちそうになった。で、「これはマズい!」と思ったのよ。下に落ちたら、床が傷ついちゃうから。

 

──あっ、とっさにそこを気にしたんですね(笑)。

 

加山 そうそう。それで慌てて逆の方向を持ち上げたら、今度は全身に違和感が走った。75Kgの負荷が一気にかかったわけだからね。「やっちまった……!」と思ったねぇ。

 

──今は全国ツアーの真っ最中ですよね。

 

加山 ステージ自体は普通にこなせるんだよ。ただ問題はギターが持てないこと。重いものを持つとやっぱり痛みが出るから、脂汗が出ちゃって歌えなくなる。エレキギターってああ見えて7Kgくらいあるからね。それを抱えながら2時間半歌っていると、身体には結構こたえるよ。でもギターなしでもステージはいつもと同じ感じでできるとわかったから、今はそれで全国を回っています。

 

──しかし、そもそも82歳で筋トレをやるということ自体が衝撃的なんですけど。

 

加山 やっぱり何かしら運動はしないとダメだから。筋肉の劣化が一番老化を加速させる。だから筋トレはときどきやったほうがいいって、それは前から思っていたことなの。年を取ったら「ほどほどに」というのが大事だと思うけどね。僕みたいに圧迫骨折しちゃったら、健康も何もあったものじゃないし(笑)。

 

──普段から健康には気をつけているんですね。

 

加山 そうだね。今回はバーベルで話題になっちゃったけど、腹筋とか屈伸とかスクワットとかはよくやっているかな。スクワットは年齢の数……僕だったら82回だけやるとか。それを日課にするわけ。逆に言うと、その程度でいいんだよ。劣化したいという人は勝手に劣化すればいいんだけど、そうじゃなかったら身体は動かしていかないと。ましてやステージで歌ったり動いたりする立場だったら、当然の話だよね。

 

──食生活はいかがですか? 大食漢だった若大将のイメージも強いのですが。

 

加山 そりゃ若いころと同じように食べていたら太っちゃうから、少しは気にするようになったけどね。僕は中性脂肪が高いから、そこは少しヤバいなと思うし。たとえば、たんぱく質。たんぱく質って人間が必ず摂らなきゃいけないものでしょ。でも、そのたんぱく質も動物性だけではなく、豆腐とかの植物性から摂るようにしているの。それでも肉は年齢のわりにかなり食べるほうだと思うんだけど、油の部分は避けるようにしたりとかね。そういう気の使い方をするようになった。まぁもっとも僕はお酒もタバコもやらない男だから。52歳でタバコはやめて、64歳でお酒もやめた。

 

──何かきっかけが?

 

加山 特になかったな。やめたほうがいいなと思ったから、やめた。それだけですよ。だけどやめてから改めて思ったのは、お酒もタバコも身体には明確によくないね。特にタバコは、やめるとコンサートで声の出方が全然違うなって実感できる。今までいかに自分の身体にダメージを与えてきたかって反省した。まぁでも、おかげさまで今は元気なほうだと自分でも思うよ。

 

──実際、そうでしょうね。ステージに立ち続けるだけでも大変なことだと思いますし、ましてや全国ツアーともなると体力勝負になりますから。

 

加山 でもツアーができるのは、僕がうんぬんというより周りの人のおかげだね。だって来てくれるお客さんがいるからこそ、僕も一生懸命歌うわけでさ。お客さんが来なかったら、イベンターさんやスタッフも最初から立ち上がろうとしないよ。だからそこはお客さんの応援があることで、初めて良質の連鎖反応が起きるというかね……。とはいえ、たとえチケットが全然売れなくて、お客さんが1人だけだったとしても、僕はステージを絶対にやるだろうけど。

 

──会場の大きさや観客の数は関係ないということですか。

 

加山 そういえば昔、長野でコンサートをやったとき、雪がすごくてバンドの連中が会場に到着できないという事件があったの。さすがに頭を抱えたよね。「こりゃ困ったなぁ」って。だって僕が会場に着いた時点で、お客さんはすでに40分くらい待っているんだから。仕方ないから自分1人でステージに登場したら、その時点で大喝采。で、とりあえず謝るよね。「本当に申し訳ない。雪が大変なことになっていて、メンバーが誰も到着できていないんです。代わりに僕1人でやりますから」って。そこからはギター1本での弾き語り状態が続いた。たまに演奏する楽器をギターからピアノに替えたりもしてね。それで40分くらいしてからかな、バンドのメンバーがバタバタと到着して、お客さんに「ワ―ッ!」と迎えられながら「いつもの感じでやろうぜ!」ということになったわけ。

 

──ある意味、その日のお客さんはラッキーですね。いつもとは違うレアなステージを観ることができたんですから。

 

加山 そうなんだよ。そういうアクシデントも含めて、ライブというものだからね。雪の中で待ってくれているファンがいるのに、「バンドがいないから演奏できません」なんて言っていたらプロ失格でしょ。それとその長野のコンサートでは、「いざとなったら自分1人でもなんとかなるものだな」という自信にも繋がったしね。

 

音楽は「仕事」ではなく「親友」

──今やっている4年ぶりというツアーも、来年まで全国でかなりの数をこなしていくみたいですね。すでに頂点を極めた加山さんですから、普通だったら悠々自適の隠居生活を送っていてもおかしくないと思うのですが。

 

加山 そんなことはないよ。頂点を極めたなんて考えたこともないし、まだまだ活躍したいと思っているからさ。音楽って面白いもので、聴いていると昔の感情が鮮明に蘇ったりすることがあるんだ。つい最近もNHKで田端義夫さんの『かえり船』が流れていたんだけど、耳を傾けているうちに涙が出てきちゃってね。

 

──バタヤンさんですか。

 

加山 そう。その1人で涙を流していたのは朝3時くらいのことだったんだけど(笑)。でも、あれって昭和21年の曲だよ? つまり僕が小学校3年生くらいのときだ。それでも『かえり船』を耳にした瞬間、当時の風景がバーッと目の前に広がっていくんだよ。つまり、それくらい音楽には時代を超えて人の感情を揺さぶるパワーがあるということ。世の中には僕の曲を聴いて育ったという人もいるし、中には最近になって僕の曲を知ったという人もいるかもしれない。そういう人が少しでもいる限り、やっぱり僕は僕の歌を届けたいなって思うんだよね。

 

──すごいと思うのは加山さんって大御所なのに現役感があって、決して「懐メロの人」にならないですよね。今年も「ROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRA」名義でフジロック(FUJI ROCK FESTIVAL ’19)のステージに立つそうですし(※仲井戸”CHABO”麗市、リアム・オ・メンリィ、オカモトショウ、 GLIM SPANKYと共演)。

 

加山 自分としては、特に「新しいことに挑戦しよう!」とか意気込んでいるわけでもないんだ。単純に音楽が好きだから、やりたいようにやっているだけで。僕はね、自分のことを「音楽のプロ」だって考えたことはないの。音楽は僕にとって「親友」みたいな存在であって、「仕事」と割り切ってはいない。だから、ここまで続いているんだと思う。逆に「歌わないとメシが食えなくなる……」なんて思い詰めていたら、ステージに立てなくなっちゃうよ。

 

──どういうことでしょうか?

 

加山 昔、ブルーコーツのリーダー・小島正雄さんに言われたことがあるんだ。「音楽でメシを食っていこうと考えないほうがいいよ」って。それはちょうど僕が慶應大学の仲間とカントリー・クロップスというバンドを組み、スキー場とかで演奏していたときでね。向こうからしたら楽しそうに見えたんだろうね。「うらやましいな、君たちは。だけどバンドでメシを食おうって考えると、音楽に対する情熱を失っちゃうものなんだよ」って教えてくれたわけ。そのときは「そういうものなのか……」ってショックを受けたんだけど、その言葉はずっと頭に残っていてさ。僕が音楽に対する純粋な気持ちを失わずに済んでいるのは、その小島さんの教えが大きいかもしれない。もちろん職業として割り切ってやっているプロの人たちは偉いと思うよ。でも、僕の場合はそうじゃなくて正解だったんだろうね。

 

──最近だとTHE King ALL STARS(※加山を筆頭にTHEATRE BROOK・佐藤タイジ、THE COLLECTORS・古市コータロー、The HIATUS・ウエノコウジ、勝手にしやがれ・武藤昭平などを擁する超党派ユニット)の活動で「ミュージシャン・加山雄三」の魅力に気づいたという若いファンも多いはずです。

 

加山 キングのみんなと演奏するのは楽しくて仕方ない。若手のロック連中というのは本当にすげぇなって、毎回のように驚かされるよ。フレーズひとつ取っても「そう来たか!」って唸らせられるというかね。なにしろそれぞれのバンドでリーダーをやるようなトップの人間が集まっているんだから、そりゃ刺激的な音にもなるって。しかもそんな腕の立つバンドマンが「これ、本当に50年前の曲なんですか? 今でもバリバリ通用しますよ」なんてうれしいことを言ってくれるわけでさ。僕の書いた曲には普遍性があるっていうわけよ。そんな言葉を聞いたら、やっぱり続けてきてよかったなってしみじみ思うよね(笑)。

 

──世代を超える響きがあるということでしょうね。

 

加山 たとえばバンドでソロを回すとき、ブルースベースの曲だったら3コードで展開も大体決まっているのよ。ところが同じ12小節の中で弾くフレーズは全然違ったりもする。それは単純にテクニック的な話ではなくて、ハートとか生き方の問題になるわけ。ひとつの楽曲に対して「俺はこう考える」っていう捉え方の違い。その違いが演奏にアクセントを与えていくんだよ。世代も育った環境も違う人たちと一緒に演奏することで、僕も新しい刺激を受けているという部分は大きいな。

 

──知らない人が見たら「50年以上も同じ曲を歌っていて、マンネリにならないのか?」と思うかもしれませんが、そういう話ではないと。

 

加山 もちろん! 目の前のお客さんが違ったら、演奏の内容だって違ってくるしね。THE King ALL STARSの連中が演奏しているのを見たら、僕だって触発される部分はすごくあるしさ。だから同じように見えるかもだけど、僕は常に進化しているし変化していると思っている。その気持ちがなくなったら、おしまいだよ。大体フジロックなんて自分が「出たい」と言ったところで出られる場所じゃないからね。「出てください」って声をかけていただけるだけでも大変にありがたいと思っていますよ。

 

──2014年、最初にフジロックに出演したときは、加山さんが出演すると事前にアナウンスされていなかったとか。

 

加山 そうそう。フジロックにはいくつかステージがあって、最初の年はオレンジ・コートという場所で演奏したんだ。大体2500人から3000人くらい集まれば大成功と言われるステージだよね。それで僕らがリハーサルで音出しを始めたらゾロゾロと人が集まり始めて、スタッフが「大変です! 6000人くらい来ています!」って言うわけ。それを聞いて「やったぜ!」と思ったね。おかげで最後までノリノリで演奏できたよ。それで2回目に出るときから、メインステージに昇格したというわけ。ちらっと聞いた話だと、僕らが1回目にオレンジ・コートでやったときは、メインステージからお客さんが減っちゃったらしいんだ。

 

──フェスってファンの奪い合いみたいな要素もありますからね。キャリアも事務所の大きさも関係なく、興味があるところに人が集まりますし。

 

加山 うん、そういうのが楽しいんだよね。素晴らしいと思うよ。いいと思って選ぶのはファンのみなさん。そこにはヤラセとか政治力なんて一切ないわけだから。フジロックは今年で3回目になるけど、今から楽しみで仕方ないよ。あそこのステージに立つため、僕はロックをやっているようなものだ。そのおかげで若々しい気分でいられるのかもしれないしさ。別に僕は無理して若作りするつもりもないけど、80歳を超えたからといってブレーキとアクセルを踏み間違えるような老人になりたくないから。

 

 

ファイナルファンタジーからYouTubeまで飽くなき好奇心が老化を防ぐ

加山 ある意味、ゲームをやるのも同じだよ。僕はバイオハザードとか大好きなんだけどね。十字キーを操りながら手先を絶え間なく動かしていたら、自然と老化防止になると思うんだ。僕と同じくらいの年齢でゲームに没頭している人なんて、そうそういないと思うよ。おかげで同年代の人と話が合わないんだけどね(笑)。「ファイナルファンタジー? なんですか、それは?」とか言われちゃってね。

 

──そうでしょうね。若者ですら家庭用ゲーム機離れが進んでいますから。

 

加山 そうなの? でも、最近はゲーム会社の人からサンプルみたいな感じで新作ゲームが送られてくることもたまにあるんだ。その封を開けてプレイするのが楽しみでねぇ。ゲームの何が素晴らしいかって、自分の子どもや孫と繋がれることだよね。うちは住んでいる場所もバラバラなんだけど、アメリカにいる子どもと「じゃあ俺、クリス使っていい?」とかバイオハザード5の話をしているからね。今は無料通話アプリも発達しているから、海外だろうが電話代もかからないし。

 

──お話している内容が、どこをどう切り取っても80歳を超えているとは思えません(笑)。

 

加山 クリエイティブなことをやろうとしたら、やっぱり頭を常に動かしていないとダメだよ。そのためにゲームというのは有効だと思う。ただ、最近のゲームはグラフィックとかもすごく精巧になって映画みたいなんだけど、少し内容がマニアックになり過ぎている気はするな。本格的に好きな人はそれで満足するかもだけど、誰でも手軽に楽しめるという感じではなくなっているというか。

 

──最初にゲームを始めたのは、お子さんの影響ですか?

 

加山 いや、むしろ逆かもしれない。僕がやっているのに影響されて、子どもが始めたんだと思う。それこそ最初はギャラクシアンとか、もっと前でいうとスペース・インベーダーとかだよね。家庭環境がそんな調子だったらから、子どもは小学生になると当たり前のようにゲームをやるようになった。しかも、そのうち自分でゲームを作るようになってさ。初期のパソコンでBASICを使いながらX軸、Y軸とかをカチャカチャ書き込んでいるわけよ。「すげぇな。お前、天才だよ」って僕も褒めてあげたら、今はPC関連のクリエーターみたいなことをやっているからね。上の息子は映像作家で花火師でもあるんだけど、花火の爆発するタイミングをPCでデザインする様子なんて、子どものころに自分で作っていたゲームと同じ要領だよ。

 

──「ゲームは1日〇分まで!」と子どもに怒る親は多いですよね。「ゲームばかりやるとバカになる」とも言われていますし。

 

加山 そんなこと、僕が言うわけない! くだらないよ。もし本当にゲームをやってバカになるというのなら、どんどんやってバカになればいいだけでさ。発想が実に浅はかだよね。

 

──昔は「マンガを読むとバカになる」「テレビを観るとバカになる」と言われていましたが、最近の親は「YouTubeを観るとバカになる」と子どもに教えているそうです。

 

加山 それこそ僕なんて毎日YouTubeばかり観ているよ! 82歳の僕がいつも観ているのに、なんで子どもに禁止しなくちゃいけないのよ!?  観ていると止まらなくなるし、夜も眠れなくなるもんね。本当に最高だよ、YouTubeは!

 

──衝撃です。加山さん自身もYouTube漬けだったんですね(笑)。加山さんがご覧になるYouTubeのコンテンツがどんなものなのか、非常に興味があるのですが……。

 

加山 「山で撮影された奇妙な現象」「知られざるの第4の予言」「未来を創る科学者たち」……そういったタイトルがついていると、ついつい観ちゃうよ。今、量子力学が世界を席巻していることは知っている? それだってYouTubeから世間一般に広まったようなものだからね。僕なんかは「ようやく気づいたか!」って膝を叩いたけどね。かつてアインシュタインは光の速度は不変で、それがすべてだと定義した。だけど、量子っていうのは光の速度を超えていくわけ。いい? 1300光年離れたところで同時に反応しているんだよ。アインシュタインの説だと光が届くまでに1300年かかるはずだから、同時に反応というのはありえない話だよね。こういうことを考えていると、僕は心底ワクワクしてくるんだ。

 

──ゲーム、量子力学、ギター、船作り……なぜ加山さんは、そこまでマニアックに物事を追求するんでしょうか? 一般的に年齢を重ねると好奇心が衰えていくものだと言われていますが。

 

加山 マニアックなのかなぁ。人間は自分が好きなことに対してはマニアックになるのが自然だと思うけどね。やっぱり僕はひとつの場所に留まっていられないんだよ。新しい情報があれば知りたいと思っちゃうし。じゃあ、その新しい情報をどうやって手に入れるか? そこでYouTubeですよ。Yahoo!のトップニュースだけ読んでいても、新しい情報なんて入ってこないんだから。

 

──すごい! 発想が若すぎます!

 

加山 人間、脳味噌っていうのはみんな同じようにできているものなの。差が出るとしたら、使っているかどうか? そこだけだよ。意欲。気力。好奇心。あとは心を閉じないようにすることだよね。僕は毎朝、起きたら自分に問いかけるんだ。「さぁ、お前は今日1日で何をするんだ?」って。そこで「何をやっても大して変わらないか」なんて思ったらアウト。その考え方は根本的に間違えている。新しい発見がないと、毎日が刺激的じゃないでしょ。だから心をオープンにしないとダメだよね。「そういう考え方もあるのか。勉強になるな」っていう受け止める姿勢が大事でさ。

 

──では今後、加山さんがやってみたいことは?

 

加山 そんなの山ほどあるよ。新しい船の設計図も完成していないしね。

 

──昨年、3代目光進丸が火災で水没してしまいましたよね。

 

加山 どうせなら次は完全に再生可能エネルギーだけで走るものを作りたいんだ。つまり究極のエコシップだよね。今の僕にとって、これが一番のモチベーションになっているかもしれない。技術的には、いいところまで来ているんだよ。「3日間走りっぱなしでもOK」という状態に理論的にはなっているし。ただ、スピードが出ないんだよな。そこが今の課題。スピードを上げるために電力を使うのではなく、太陽光や水素や風力を使っていきたいんだけどね。そういうことを「ああでもない、こうでもない」って感じで試している最中なんだ。

 

──光進丸は加山さんの分身ともいえる存在だったから、意気消沈して「もう船はこりごりだ……」となるかと

 

加山 あれは燃えるような船だったということなんだよ。なぜ燃えたかというと、結局は老朽化。作ってから38年も経っているんだから、何かしら悪くなっているのは当然。誰が悪いわけでもない。強いて言えば、僕が大事にしすぎたということですよ。それだったら、今度は新しいテクノロジーを積極的に導入することで、世界で誰も見たことがない船を作りたいんだよね。揺れなくて、燃料もかからないようなものがいい。

 

 

36年かかった父への曲のプレゼント

──さて、ここからは過去のことについてお伺いします。とはいえ加山さんの半生についてはすでに様々な著作などで触れている部分も多いので、テーマを絞ってお話していただけたらと思います。まずは【音楽】について。加山さんの音楽的なルーツって、どのへんになるんですか?

 

加山 それははっきりしていて、小学校3年生のときに聴いたベートーベンだね。ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を聴いて、涙が止まらなくなったんだよ。親父(故・上原 謙さん)は熱心なレコードのコレクターだったから、聴く音楽は家にいくらでもあった。ベートーベンで感動した僕はどうしてもピアノが習いたくなったんだけど、家にはピアノなんてなかった。学校にはオルガンがあったから、とりあえずはそれを弾いていたんだけど、しばらくすると親父が中古のピアノを買ってくれてね。「やったー!」って飛び上がって喜んだものだよ。毎日、夢中になって弾いていたね。

 

──お父さんの影響も大きかったのかもしれませんね。

 

加山 印象的なのは、練習みたいな感じでデタラメな曲を僕が弾いていたことがあったんだよね。そうしたら親父が後ろに立って「それ、なんていう曲だ?」って聞いてくるわけ。曲名もなにも適当に弾いただけだから、「いや、自分で適当に作った」と言ったら親父は目を細めていてね。「お父さん、ピアノ・コンツェルトが大好きなんだ。今度、お父さんのために新しいピアノ・コンツェルトを作ってくれないかな?」って頼んできたんだよ。僕も「うん、わかった」って応えたと思う。それが14歳のときの話。

 

──お父さんに曲をプレゼントすると約束したわけですね。

 

加山 ところが話はそれで終わらなくてさ。20年以上経ってから、急に親父が「例の約束、覚えているか?」って僕に聞いてきたんだ。「ピアノ・コンツェルトの件だよね。覚えているよ」って僕も言ったよ。それで作曲のほうは進んでいるのかと聞かれたから、何もやっていないと正直に答えたら、「そうか……」ってうなだれてね。その落ち込み方がいかにも物悲しそうで、やっぱりこの人は役者だなって思ったよ(笑)。でも、あの「そうか……」を聞いちゃったら作らないわけにはいかないよな。結局、そこから12年かかって完成したけどね。その時点で親父が77歳、僕が50歳なっていた。最初の14歳の時点から36年も経ってしまったというわけだ。

 

──加山さんというと「エレキの若大将」のイメージが強いですけど、これはベンチャーズの影響が大きかったんでしょうか?

 

加山 もちろんベンチャーズも大好きだけど、一番大きく影響を受けたのはビートルズということになるだろうな。大学時代にやっていたバンドも、「4人組で、全員が歌って……」というコンセプトからしてビートルズに近かったし。自分たちでバンドを始めてみると、アレンジとかは結構簡単にできたんだよ。というのも、クラシックというのは非常に複雑な音の構造になっているからね。そこを通っている僕からすると、ポップスのコード進行はシンプルで理にかなっているように感じたんだ。「トニックからサブドミナントに移動するときは7thを使うと納まりがいいな」とか、どんどん勝手に知識が身についていったわけ。まぁ好きだったんだろうね。「好きこそものの上手なれ」って言葉があるけど、作曲とかで煮詰まったことはあまりないよ。

 

 

プライドほど情けないものはない

──次にお伺いしたいテーマは【逆境からの立ち上がり方】です。映画『若大将』シリーズの大ヒットがあり、60年代の加山さんは怒涛の勢いで突っ走りました。しかし70年代に入ると、お母さん(故・小桜葉子さん)の死去、お父さんが経営していたパシフィックパークホテルの倒産、それに伴って加山さん自身が巨額債務を抱えるなど苦しい展開が続きました。そのつらい時期に何を支えに立ち直ったか、そこをお聞かせください。

 

加山 ホテルに関して僕は監査役で入っていたけど、経営にはノータッチだったんだよね。経営者だったのは僕の叔父だから。うちの親父もお金は出していたけど、無頓着というか任せっぱなしだった。でも、それは誰のせいでもなく自分が悪いんだよ。そこから目を逸らせては絶対いけない。ところが当時の僕は現実逃避して、よりによってアメリカに高飛びしたわけ(笑)。で、これからどうしようかなって向こうで頭を悩ませたんだけど、やっぱり何をどう考えても逃げられることではないんだよね。当時は心が空洞になっているような状態だったし、このままその状態が続くことも耐えられなかった。そこで日本に戻って、素直に「申し訳なかったです」って頭を下げるしかないなって覚悟を決めたんだ。

 

──ちょうど加山さん自身の結婚も重なった時期ですよね。

 

加山 そうなんだよね。でも、あそこで謝ってやっぱりよかったよ。それは今でも思うね。会見で「これから妻と2人で新しい生活を築いていこうと思います」とか話し始めたら、記者の中には「甘い! 甘いんだよ!」とか怒鳴ってくる人もいるわけ。向こうも仕事だから、追及の手をゆるめないんだよ。「それは甘いかもしれませんが、やるしかないですので……」って声を振り絞るのが僕も精一杯でね。

 

──結婚発表会見が大糾弾大会に(笑)。最終的には横井英樹さんが買収したのだとか。

 

加山 そうだね。横井さんは世間からいろいろ言われる人ではあったけど、あのホテルを買い取ってくれたのは僕たちにとって非常に大きな支えだった。どうすればいいのか、途方に暮れる額だったからね。そして残りの金額も結局は全部返済した。あれは自分でも奇跡だったと思う。

 

──金額が金額ですからね。

 

加山 ひとつポイントだったのは、僕が法学部出身だったこと。倒産という話になったとき、まずは会社更生法を申請しようと提案したの。ところが会社の連中は会社更生法という法律があることすら誰も知らないんだよ。それを僕が教えると、今度は「うちは従業員が少ないから受理されるはずがない」とか突っぱねてくる。でも試しに申請してみたら、普通に受理されたけどね。そこから流れが変わったんだよ。

 

──日本に戻ってきて袋叩きに遭いましたが、結果的にはよかったんでしょうね。

 

加山 もし、あのままアメリカにいたら……と考えると、今頃は自分の人生に納得がいっていないはずなんだよね。ズルいということは自分でも気づいていたわけだから。日本に戻ったら揉みくちゃにされるのは目に見えていたけど、そこに飛び込む勇気がなくてどうするんだって自分を鼓舞した部分はある。なぜ勇気を出せたのかというと、僕は高校の3年間ずっと坊主頭だったし、将来は坊さんになろうと考えていたの。

 

──自著の中では、「さぞかしモテるんでしょうね」と周囲から冷やかされるのが嫌で坊主頭にしたとありましたが。

 

加山 よく知ってるね。きっかけはその通りなんだけど、坊主頭にしたことで今度は真剣に坊さんの道を考えるようになったんだよ。夏休みになると1週間くらいお寺に寝泊まりして、ずっと座禅を組んだりしていたしさ。当然、そういう場所では生活も厳しく律している。朝早く起きて、境内を掃除してね。でも、「これは本当の修行じゃない」という思いも同時に抱えていた。本当の修行というのは世の中のリアルな厳しさ、いろんな人間のドロドロした嫌な面……そういった生々しい現実社会と向き合わないことには、本当の修業とは言えない。そうやって高校生ながらに考えていたんだよ。だからアメリカに逃げているときも、「いつまでそうしているつもりだ? これこそ本当の修行じゃないのか?」という声が天から聞こえてきたように感じたしね。僕の中では、高校生のころから通じている話なんだよ。

 

──加山さんの場合はお父さんも大スターでしたし、子どものころから生活面でも何ひとつ苦労なく育ったと思います。それだからこそ、他人に頭を下げたり借金苦で苦しんだりというのはプライドが許さなかったのでは?

 

加山 それは違うな。むしろ逆かもしれない。というのは子どものころから親父を見ていて、「プライドほど情けないものはない」と考えるようになったんだ。これだけは言っておくけど、人間がプライドなんて持つようになったら終わりだよ。亡くなった自分の親のことをあまり悪く言いたくはないけど、親父も周りからチヤホヤされていい気になっていた部分は確実にあったと思う。だから反面教師というか、自分は同じようにならないようにしようと最初から決めていたんだよね。

 

──でも、周囲が放っておかないですよね。街に出たら「あっ、加山雄三だ!」って指をさされるでしょうし。

 

加山 状況的には親父と同じようなものかもだけど、そこで自分が浮ついた気持ちにならないことが重要なんだよ。たとえ売れたからといって、そんな栄光は3日間で終わるかもしれない。実際、芸能界なんてそんなものだから。

 

──失礼ですけど、加山さんの芸能人生って上下動が激しいと思うんです。ホテル倒産のドタバタが一段落してから、70年代中期に入ると再評価の波に乗ってブレイクということもありましたし。

 

加山 本当にいろいろあったけどね。でも、心持ち的にはずっと一定だった。ジタバタしていたって始まらない。そのことを僕に教えてくれたのは、やっぱり海だよ。波というのは毎日変わっていくじゃない。台風で大荒れになるときもあれば、大しけになることもある。小さなタンクはちょっとした波でも揺れまくるけど、大きな船だったら大して揺れずに済む。でも、僕たちは船じゃなくて人間だ。どういうことか? 心が大きかったら、どんな波が来ても揺れずに済むということなんだよ。

 

──カッコいい……。

 

加山 強い人というのは、心が大きい人のことだからさ。荒れている海は、いろんなことが降りかかるこの社会みたいなものでね。小さな波でいちいち揺れるようでは自分もしんどいから、「みんなも心を大きく持とうぜ!」って僕は言いたいよ。ただ、そんな海だって静かになることがある。そうすると自然に穏やかな気分になるでしょ。つくづく海はいろんなことを教えてくれるなと思う。

 

 

芸能生活を変えた黒澤 明のひと言

──来年、加山さんは芸能生活60周年を迎えます。【長く続ける秘訣】を教えてください。

 

加山 僕はそもそも芸能界で長く続けようなんて考えていなかったけどね。じゃあ何を考えていたかというと、ちょっと有名になって、お金をもらって、船を作りたい。本当にそれだけなんだよね(笑)。その軽い考えのまま、60年近くやってきたわけだから。その船だって燃えてなくなっちゃったから、今度は揺れない船、燃えない船、燃料が要らない船を作ろうと今は躍起になっている。自分でもバカだなって思うよ。人間、根本的なところは変わらないんだろうね。

 

──「石に噛りついてでも」という意気込みじゃなかったのが逆によかったのかもしれませんね。

 

加山 結局、そうだったのかもね。そんな調子で始めた芸能活動だから、親父の紹介で東宝に入っても芝居なんて興味がなかったわけ。演じることなんかよりも、早く芸能界を辞めて船を作るんだという夢で頭はいっぱいだったしね。そんな僕を変えたのは、黒澤 明監督(故人)との出会い。黒澤さんの存在は、自分にとってものすごく大きかったな。あるとき、黒澤さんはこう言ったんだよ。「セリフはな、思えば出るんだよ」って。

 

──どういうことですか?

 

加山 正直、僕も最初は意味がわからなかった。それでポケーっとしていると、「普段、人間は何かを言う前に頭で考えているよな。何かを思っているよな。何も思わずに何かを言えるわけがない」って、黒澤監督は言うわけ。盲点だったけど、考えてみたらその通りじゃない。目から鱗が落ちる思いだったよね。

 

──台本のセリフ部分を丸暗記するだけじゃなく、その場面を強くイメージしろということですかね。

 

加山 思えるくらい台本を読み込めということだろうね。カメラが回っていない台本読みの段階でも、臨場感を持たせるために本身の日本刀を持たせるしね。なんていう人だって驚くことばかりだったよ。

 

──リアリティの追求ということなんでしょうか。

 

加山 でも結局のところ、芝居というのは生きることそのものなんだよね。役者にとっては毎日が芝居の連続なんだよ。「セリフは思えば出る」の典型が『若大将』シリーズであってね。あれなんて演技とはいえ、かなりの部分で当時の僕のリアルな実像が反映されていたわけだから。現実の人生と密接にシンクロしているんだ。でもそれは演技だけじゃなくて、いろんなことに当てはまるかもしれないな。生きていれば、いろんな試練が降ってくるじゃない。僕はそれを修行だと思って、とりあえず一度、受けとめるようにしているの。「よし、また次のやつが来たな」って感じで。

 

──借金の件も船が燃えた件もそうなんですけど、加山さんは絶望的な状況も飄々と受け止めるような印象があります。

 

加山 深刻に考えないようにしているからね。「真剣に考える」と「深刻に考える」は似ているようでいて全然違うと僕は思う。深刻に考えすぎると、自分で自分をダメにすることが往々にして起こるんだ。別に建設的なアイディアが浮かぶわけでもないしね。「冒険」と「無謀」の違いと同じで、似て非なるものだよ。生きていればいろんなことが起こるけどね、とにかく絶対に他人のせいにしない。すべては自分の責任。それだけは肝に銘じてこれからも頑張っていきますよ。

 

 

 

 

【プロフィール】
加山雄三(かやま・ゆうぞう)

1937年4月11日、神奈川県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、’60年に東宝入社。『男対男』で映画デビュー。’61年、映画『大学の若大将』に主演し、大人気となった「若大将シリーズ」がスタート。黒澤明監督の『椿三十郎』『赤ひげ』にも出演。歌手としては’65年に「君といつまでも」が大ヒット。以後も『お嫁においで』など数々のヒット曲を世に送り出す。幼少より作曲を始め、弾厚作のペンネームで、ロック・ポップスからクラシックまで幅広いジャンルの楽曲を創作し続けている。

 

 

【INFOMATION】

加山雄三コンサートツアー2019-20 ”START”

現在、24か所、10か月以上に渡る大規模な全国ツアーを開催中!

http://www.kayamayuzo.com/special/start_concerttour2019-20/

 

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2万7000円+税

 

・『岩谷時子=弾 厚作ワークスコレクションBOX』【通常盤】
MUCD-1429~1435
2万円+税

 

・『岩谷時子=弾 厚作 ベスト・ワークスコレクション』
MUCD-1427
2778円+税

 

 

 

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