2019年9月8日、第10回世界性の健康デー東京大会で、シンポジウム「男性への性教育から考えるすべての人の性の健康」が企画された。女性の性や身体については女性誌やWEBマガジンでよく取り上げられ、悩み相談が盛んに行われる。しかし男性の性や身体については、ニュートラルに語られることが少ないという。それがどんな問題を生んでいるのか、3人の専門家たちとモデレーターの柳田正芳氏による鼎談が行われた。
話は「包茎は治すべきものなのか」「メディアはどのような情報を喧伝しているか」そして「性教育が行われないことによる弊害」へとつながっていく。この機会に、男性自身の性について考えていきたい。
内田洋介(泌尿器科医)
澁谷知美(東京経済大学)
赤谷まりえ(編集ライター)
ペニスや包茎は、教科書やメディアでどう扱われているか
内田:2016年6月に、日本国民消費者センターから包茎手術に関する警告がありました。そこに掲載されていた金額がだいたい15~6万円。でも泌尿器科で手術すれば5~6万円、ある条件を満たして保険適応されると1~2万ぐらいです。ところが実際に払った値段で一番多かったのは50~100万なんです。亀頭を大きくするためにヒアルロン酸を入れるとか、長茎術といって靱帯を切るとぽんと跳ね上がって長くなる。それを包茎の手術中に言う訳です。まな板の鯉になった状態で「あー、これはちょっとヒアルロン酸打たないと元に戻っちゃうよ」とか「どうする? 打つ?」とか言って契約させる。持ち合わせがないとローンを組ませるんです。全部が全部そうじゃないと思うんですけど、そういうところもあるということですね。
澁谷:『まちがいだらけの包茎知識』(飛波玄馬・山本直英・岩室紳也著、青弓社)という、包茎手術を受けて失敗をしてしまった青年の手記があります。本人からしたらどう見てもおかしいのに、医師は決して失敗を認めない様子が詳細に描かれています。もうひとつ、『切ってはいけません! 日本人が知らない包茎の真実』(石川英二、新潮社)は知る人ぞ知る超名著で、仮性包茎はまったく問題ないことを豊富な医学的知見によって明らかにしています。この2冊を読んでそれでもなお手術したいというならば、私はあなたを止めません、と学生さんにお伝えしています。
赤谷:50代くらいが読む男性誌には健康問題、血圧やEDなどが載っています。10代20代は体のことっていうと筋肉かセックスかで、男性の健康情報ってすごく偏っているんです。あと男性の弱みは男性誌に載せづらいテーマなのかなと感じています。「奥さんががんになったらどうする」とか「自分ががんになったらどうする」という実務的な内容は載っているけれども、メンタルの落ち込みを補うような記事は少なく、ちょっと強がりがある。
澁谷:ここ数年間、戦前から1990年代末までのありとあらゆる包茎に関する言説を調べているんですけれど、1980年代半ばから90年代半ばまで、すごく雑誌記事が多いんですね。なかでも、中高年向け雑誌に載っているのは、ほぼほぼタイアップ記事です。タイアップ記事というのは、クリニックが出版社にお金を払って載せてもらうもので、一般的な記事のように見えて、実質的には広告です。だから、決して病院や手術に関するマイナスなことは書かれない。「包茎を放置しておくと性病にかかりやすくなる」などの、中立な健康情報に見えるものも、医学的には包茎であっても清潔を保つことはできるわけですから、商業主義にまみれたものと言えます。
内田:僕は手術はなるべくしない派で、ましてや仮性包茎は絶対しないですね。患者様が来られても説得して止めさせます。どうしてもしたい方は他の所に行っていただきます。
澁谷:そういった言説は決して一般の商業雑誌には出てきません。そして、男性に対するプレッシャーをかけるような語り口も特徴です。「包茎を放置するのは男としてマイナスだぞ」「半人前だぞ」「仕事能力が疑われるぞ」とたたみかけてくる。中高年向けの記事によく出てくるのがゴルフ後の風呂です。サラリーマンが取引先の相手と一緒にゴルフ場へ行くと、そのあと一緒にお風呂に入ることになる。そのさいに「ちんちんを見られるのが死ぬほど恥ずかしい」という悩み相談があったり、「包茎を放置しているとビジネスマンとしてよろしくない」といったアドバイスがあったりします。包茎を放置するようなうっかり者は仕事もできないと見なされると言うんですね。そうした記事を作っている人のほとんどが男性です。男性が男性にプレッシャーをかけている。一般の商業雑誌に載っている包茎記事においては、中立な情報提供がなされているとは言えません。
内田:80年代の半ばからそういった記事が増えてきたのはなぜなのでしょう?
澁谷:タイアップ記事は、出稿する病院や医師があるていど決まっているんです。特定の医師が「この媒体にタイアップ記事を集中的に出そう」と決めると、記事の数が一気に増えるんですね。80年代半ばから90年代半ばに活躍したのが、新宿形成外科というクリニックで、当時院長をしていた岡和彦さんという人です。他の医師よりも、圧倒的に多く記事を出稿していました。 けれど岡先生が亡くなられて、雑誌の包茎記事全体の数が減りました。記事の数はそういう俗人的な事情で左右されます。
赤谷:メディアには「手術をしなさいよ」っていう脅迫的なものが載っていて、選択肢から選べるようなほどよい情報があまり手に入らないんですね。たいして、シスヘテロ女性の性の情報の変化は活発だと感じます。近年、生理用品を作ってる会社が生理のイメージを変えるメディア戦略をやり始めて、おもにツイッターでそれに対する支持もどんどん集まっています。だから男性も、自分たちから包茎について語ったほうがいいと思うんだけども、なかなか言語化が難しいようですよね。
ところで教科書に包茎の絵って載ってないですよね?
澁谷:戦前から現代までの医学書に載っている男性性器の解剖図をずっと調べているんですけど、感覚的に言って、包皮が載っているのは10件に1件くらいです。
赤谷:性器の図はあるんだけど、より生活に密着した性器の情報が教科書にはないですよね。包茎が教科書に載らないのは、医学的に問題がないからスルーされているっていう理解でいいですかね。
内田:だいたい教科書に載っているペニスってむけてますよね。便宜上、亀頭を説明するためには出てないとということだと思うんですけど、ちゃんとかむった状態もひいきしてほしいな思ってます。
赤谷:自分の体のことなのに、ちゃんと知る機会を奪われていて、本当にかわいそうです。
澁谷:本格的に研究に着手するまでは、仮性包茎って商業主義のお医者さんが患者を増やすためにねつ造した概念だと思ってたんですね。そういう仮説で研究を始めたんですが、調べてみたら、「仮性包茎」という言葉は戦前にもありました(澁谷知美「戦前期日本の医学界で仮性包茎カテゴリーは使われていたか」『東京経済大学人文自然科学論集』140号所収)。京都帝国大学医学部教授だった足立文太郎博士が1899年に他の研究者とコラボをしながら包茎の実態調査をしています。足立博士は日本の軟部人類学の基礎を築いたと言われる人で、足立博士の「本邦人陰茎の包皮について」(『東京人類学会雑誌』161号所収)は、私が知るかぎり学術雑誌に載っている一番古い包茎調査です。軍隊の身体検査において、結構な数の人たちが亀頭を露出していることが分かったが、よくよく調べてみると、そのうちの多くは余っている皮をたくし上げていたっていうんです。「皮被りは恥だから」と。「包茎は恥ずかしい」という観念がもうその当時からあったということが分かります。でも、1980年代以降、クリニックが中心になって「包茎は恥ずかしい」ということをことさら強調し始めたのはまた別の問題であり、現代的な現象だと思ってます。
本稿で語られたメディア、教育が生んできた性への誤解についてはまだまだ触り。後編ではさらに雑誌文化を交えたメディアと性の歴史や、今後の社会への影響へと話を掘り下げていく。