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2019/12/19 21:00

包茎を恥じてしまう、現代の性教育の歪みとは? 性の専門家たちによる「性器のホント」鼎談【後編】

2019年9月8日、第10回世界性の健康デー東京大会で行われた、シンポジウム「男性への性教育から考えるすべての人の性の健康」。あまり語られることのない男性の性や身体について、3人の専門家たちとモデレーターの柳田正芳氏による鼎談が行われた。

 

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メディアと教育が生んだ「包茎への誤解」を解くーー性の専門家たちによる「性器のホント」鼎談【前編】

 

内田洋介(泌尿器科医)

玉昌会高田病院(鹿児島市)泌尿器科科長。専門は男性生殖器疾患、性機能障害、トランスジェンダー医療。中高生への性教育講演や、幼児の保護者へ「おちんちん講座」などを行っている。日本性機能学会専門医、日本性科学学会認定セックスセラピスト、日本性感染症学会認定医、日本思春期学会性教育認定講師、GID学会認定医

 

澁谷知美(東京経済大学)

東京経済大学准教授。専門は社会学、教育社会学、ジェンダー論。とくに男性の性の歴史を研究。著書に『日本の童貞』(河出書房新社)、『立身出世と下半身 男子学生の性的身体の管理の歴史』(洛北出版)、『平成オトコ塾 悩める男子のための全6章』(筑摩書房)がある。現在は包茎の歴史を研究中

 

赤谷まりえ(編集ライター)

編集者&ライター。セクシュアリティ関連と飲食店の取材が主な活動分野。直近の共同企画・執筆に『首都圏バリアフリーなグルメガイド』(交通新聞社)がある。カリフォルニア州立大学ソノマ校を女性学&ジェンダー研究専攻で卒業のち、お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科ジェンダー社会科学専攻中途退学

 

性器に対するイメージと、メディアと広告の関係性や教育の実情に触れた前回から、本稿はさらに話を掘り下げていく――。

 

包茎を恥じる男性の意識はまちがい?

内田:文献で包茎だとかなにか言われるんですか?

 

澁谷:M検で包茎が見つかって、医師から「手術をしなさい」と言われたという方に会ったことがあります。M検の様子を小説にしている医師兼作家もいて、不潔にしている包茎の青年が注意される場面も描かれています(木下杢太郎「體格検査」)。ちなみに「仮性包茎」の概念は海外ではほとんど広まっておらず、英語で訳そうとすると「贋物の包茎」といった、不自然な表現になります(石川英二『切ってはいけません!』新潮社、79-80頁)。

 

内田:病名としてあるにはありますけど、治療すべきものではないです。

 

澁谷:治療しなくていいものがここまで病理化されているのは、かなり特異な現象だと思っています。包茎はおかしい、治すものだと思いこんでいる男性は少なくないようです。そこで思い出すのが自分の体験。私、昔は童貞の歴史の研究をしていたんですね。研究テーマを聞かれて「童貞です」と言ったら、100人中80人くらいの男性がヘラヘラした態度で、「ほんとは違うんだけどね」って空気を出しながら「僕も童貞です」って言ってくるんですよ。「童貞じゃないのに童貞って言ってる俺おもしろいでしょ」みたいな。今は包茎の研究をしているので、「包茎の研究です」と答えるのですが、みんな「僕も包茎です」と言ってくるのかと思いきや、下を向いて黙ってしまうんですよ。いやいや、なんの自己申告だよ!って思うんですが。みなさん、童貞じゃないから童貞をいじることは平気なんですね。余裕があるけど、包茎については当事者で、かつ悩んでいるからいじることはできない。童貞をバカにする風潮にはのっかるくせに、包茎についてはその単語が出てきただけでしょげかえる。それくらい悩んでいるということなんでしょうけど、他者の悩みには鈍感なくせに、自分のそれには敏感すぎる。この非対称性について「あなたご自身、どう思われます?」と聞きたいですね。

 

赤谷:包茎を気にするのは男性だけで、女性向けのマンガではあまり包茎の話って話題になりませんよね。

 

澁谷:けれども男性誌を見ると「女の子は包茎が大っ嫌い」といったことが書いてある。確かに、恥垢だらけのちんちんが好きな女性はとってもまれだと思います。だからといって包茎は気にしてないですね。そのことを客観的に調べた人もいます。「皮付きペニス男性とのセックス」と「手術等で皮を切った男性とのセックス」の両方の経験がある女性にたずねて、両者を比較した調査です。結果として、評価が高かったのは「皮付きペニス男性とのセックス」でした(K. O’HARA and J. O’HARA, 1999, “The effect of male circumcision on the sexual enjoyment of the female partner,” BJU International, 83, Suppl. 1)。商業雑誌に出てくるお医者さんたちは「女の子は包茎が大っ嫌い」と言うけど、言ってるお医者さんは男ですからね。女の子が包茎を嫌っているんじゃなくて、女を利用しながら男である医師が包茎男性をディスっている、つまり「女の子は包茎が大っ嫌い」は男から男へのディスりのメッセージだと私は声を大にして言いたい。高須クリニックの高須克弥さんが自ら白状しています。開業した1980年に集客目的で、「雑誌の記事で女のコに『包茎の男って不潔で早くてダサい!』『包茎治さなきゃ、私たちは相手にしないよ!』って言わせた」と(『週刊プレイボーイ』2007年6月11日号)。この情報、あちこちで言ってるんですが、なかなか広がらないですね。

 

赤谷:そういう恐怖からは解放された方がいいと思うんだけど、なぜ広まらないんでしょうね? 不潔なことが問題なんであって、綺麗にしていたら包茎に文句を言う人はいないと思います。

 

澁谷:2010年代後期に中高年向け雑誌で散見されるのが「中高年の今こそ包茎を治そう」っていう記事です。少子化の時代だから、包茎病院は若者より数の多い中高年にターゲットを定めているのでしょう。「介護士さんに迷惑をかけるかもしれないから元気なうちに手術しておこう」っていう言説がよく出てきます。

 

赤谷:ないわ(笑)。

 

澁谷:でも、介護する人が介護しながら内心「わあ、こいつ包茎だ」などと思っているかというと、そんなことはありません。ある記事は看護師さんに取材して、「包茎だから何なんですか? 現場の看護師やヘルパーは誰もそんなところを気にしていませんよ」という回答を得ています。けれど、記事の地の文が、「ただそれでも、『いくつになっても雄々しく立派でありたい』と願うのが、男心というもの。女性がどう思うかではなく、これはプライドの問題なのだ」などと書いている(『週刊現代』2014年7月12日号)。じゃあ人に聞くなよって話です(笑)。包茎を気にするおじさんたちは、女の人や世間が「包茎はダメだ」と言っている絵を勝手に自分の頭の中で描いちゃってるんですよね。で、60代半ばになっても「手術しようかな」などと悩んでいる。当事者の気持ちを考えない発言かもしれませんが、包茎で悩むなんて、いい年した大人がすることだろうかと思います。

 

内田:商業主義的には、手術しないことをうたってもお金にならないですからね。

 

澁谷:お金にならないけれども、精神的に解放されませんか?

 

内田:それをわざわざお金を出してPRはしないですよね。だからちょっと弱いんです。地道に本や診療や講演、学校とかでやっていくしかないのかなとは思っています。

 

赤谷:逆に「皮はいいな」みたいな、皮に対するポジティブメッセージはあるんですか?

 

澁谷:あるっちゃあ、あるんですね。例えば「オナニーのときにティッシュがいらない」って言説はたまにあります。皮を伸ばして精液を溜められるので、ティッシュいらずでエコだ、みたいなことを言ってます。

 

赤谷:でもシャワーがなきゃできないですね(笑)。

 

澁谷:あと、ナースシーナさんという、80年代にナース服を着て活動されてたタレントさんがいたんですが、その方がすごくいいことを言っています。包茎手術をするべきかという相談にたいして、セックスできるのなら手術は必要ないと明言し、「だいたい包茎が悪いなどと誰が決めたのですか。むきだしの生ものは早く腐るんだ。それに比べボクのは用のないとき、ラップでくるんだ始末のいいモノだぜ。これくらいの感覚で堂々と道を歩いてください」と応援しています(『POPEYE』1988年7月6日号)。ただ、やっぱりそういう言説は少なくて、圧倒的に多いのは手術をすべきだ、ってやつですね。『切ってはいけません! 日本人が知らない包茎の真実』を書かれた石川医師も、自分が泌尿器科医として30年間こつこつ積み上げてきた知識よりも、「包茎は女性に嫌われる」などの雑誌に書いてあることのほうを若い人は信じてしまうと困っていらした(148頁)。商業主義的な言説が存在するのはかまわないと思うんです。でもそれを相対化する言説があまりに少ないことが問題です。

 

赤谷:人々は、「弱いところを救ってくれそうなもの」につい惹かれてしまうものと思うんです。でももしも保健体育の先生が「切らなくてもいいんだよ」って言ってくれれば、包茎恐怖からの解放はもっと広がると思うんですよ。でも今の学校教育は保健を軽視しているところがある。日本の指導要領が想定してる性の幅が狭いのが原因なんじゃないですかね。性の話は敬遠されがちですが、そうして偏った情報だけが流布されることも問題です。商業主義は、人々のリテラシーのなさを利用してお金儲けをしようとするので、コマーシャリズムに関しては批判的に見る態度が大事です。それが養われてないのも今の日本の問題なのかなと思います。

 

性教育と同時に、社会とのつながり方を教えなければいけない

内田:仮性包茎の子が就学旅行でお風呂に皮をむいて入って、それをそのまましていたら夜中に嵌頓包茎になって、養護の先生に「ちんちんが腫れてもう痛くて痛くて」って言って近くの病院に運ばれ、その後は修学旅行に参加できなかったという悲しいエピソードを聞いたことがあります。自分の体のことを教えていかないといけないと思うので、僕はこの話は必ず性教育のときにするようにしています。

 

澁谷:包茎の男の子が気にするのは同性からの視線ですよね。「同性からバカにされるのでは?」と思っている。男の子の性教育を考えるときに性知識を与えるだけでは不十分で、「どのようにしたら同性と豊かな人間関係を作れるか」から教えないとダメだと思うんです。そうしないと、「僕は包茎なのですが、同性の視線が気になります」といった悩みが出てくる。また、同世代の女の子にたいして優しく接したいと思っても「そんなことをしていると、同性から『女ったらし』などとからかわれるんじゃないか」と心配して、自分の思うような行動ができないことがあり得る。まず性の話以前に、同性との関係性を考えた方がいいのではないかと思います。

 

内田:自分への自信の前に、まずは人との関係作りですね。

 

澁谷:本当にそう。「人との関係作り」もそうだし、「自分自身にたいするセルフケア」について考えることが、女性に比べると男性は足りてないんじゃないかと思いますね。

 

柳田(モデレーター):孤独死をされた男性に関してこんな話を聞いたことがあります。結構時間がたってから発見されたそうなんですが、ご遺族の方が最後に携帯を見てみたら、人間から来たメールはほんの数通だけで、他はメルマガ系。人から来たもので一番最後に受信したのが、生前に想いを寄せていたらしい女性からのメールで「パートナーができて云々」っていう絶望的なメッセージでした。彼は失意の中で死んでいったんだってご遺族の方は思われた、と。どうもその亡くなった方はずっと厳しく育てられてきて、人に頼ることを恥ずかしいって思っていたようなんです。「生活保護をもらって病院に行くとか、誰かにSOSを出す、弱みを見せることができていたら、彼はもうちょっと生き延びられたのかもしれない」ってご遺族の方がさみしそうに。暴力って高いところから低いところへしか流れないって言われてますけど、例えば会社で上司に叱られると、自宅で奥さんに当たったり、帰りの電車で駅員さんに暴言を吐いたりしてしまう。性暴力や人との関係性の避け方も、性教育の中にどういう形でかは入れていくことが大事になるかなと考えています。

 

赤谷:男性性器を通じて自己像を構築していくというモデルがものすごく貧困ですよね。ペニスを通じてでしか自己像を作れないのはものすごく残念というか、生きづらいだろうなと思います。わたしが飲食店のバイトしていたとき、28~35ぐらいの男性に450円のカルピスサワーを持って行ったら「一回の注文で覚えろ!ブス」って、何回も連呼されたことがあります。この人はそういう言葉を普段から浴びせられているから、安い居酒屋で働いている人にそんなことを言えちゃうんだろうな、「この男性、ものすごいかわいそう人だな」と思ったことがあります。人との関係が貧困で、人から大事にされた経験がない人は、自分を大事にできないと思います。ちなみに、保健体育の教科書にはヘルスコミュニケーションまで書いてあるんでしょうか。

 

内田:私はDV、デートDV、LGBTも含めて話すようにはしていますが、正規の授業では話をされていないと思います。

 

赤谷:わたしは女子中学生向けのファッション情報誌を作っていたことがあるんですが、10代の女の子からのアンケートを読むと、自分を取り巻く人間的なやり取りのことですごく悩んでいるのを感じました。その悩んでいる部分に、商業的な広告がものすごく悪影響を及ぼすこともある。だから広告について「このメディアには何が書かれているんだろう」と批判的に読み解く力があればいろいろと相対的に立ち向かえるので、その力をどうやって身に付けていくのかですね。

 

澁谷:Promundoという英語とポルトガル語で発信をしている団体があります。男の子にジェンダー平等と非暴力を伝える教育に力を入れていて、いろいろな教材を作っています。たとえば、「普通」に育てられているように見えて、男の子は競争や支配や暴力への志向性など、特定の資質を身につけるよう教育されていることを分かりやすく表現するアニメーションムービー”Once Upon a Boy”などがあります。これはYouTubeでも公開されていています。

 

 

また、この教材を使ってファシリテーターがどんな質問を男の子たちに投げかけたらよいかを解説した教育者用のテキストもあります。ビデオでは、男の子と女の子が遊んでいて、男の子が女の子の持っている人形を手にすると、大きな消しゴム付き鉛筆が出てきて、男の子の手元の人形を消してしまう場面が出てきます。そのかわり、男の子の手には銃のおもちゃが持たされる。消しゴム付き鉛筆はジェンダー規範の象徴です。男の子が規範にそぐわない行動をすると、パっと出てきて「修正」をほどこします。

 

「人間」も「男」も同じManという単語で表現されることに端的にあらわれているように、この社会では、いろいろな場面で「男」が基準になっています。「基準」は中立で偏りがないと思われがちです。が、男の子は男の子で特殊な育てられ方をしている。人形のかわりに銃を持たせるというのは、やはりおかしい。人びとがそのことに気づいて、「男の子の競争や支配への志向が行きすぎて、心身を病んでしまったり、他者に対してひどい態度をとってしまったりするのはいけない」「男の子が暴力的な資質を身に付けないようにするべき」というふうに話が広がっていくといいですね。男が「基準」の世の中で、男が特殊な育てられ方をされていることに気付くのは、なかなか難しいと思うんです。が、まずはそういった事実があるという認識を社会で共有するところから始めるのが適切なんじゃないかと思います。