まず、こちらの画像をご覧下さい。
秋葉原の駅前が洪水に。これはゲリラ豪雨によって秋葉原が水害に遭ったときのニュース映像……
ではなく、東京海上日動火災保険株式会社が提供するウェブサービス「災害体験AR」によって映し出した洪水の疑似体験画面です。スマホアプリではなくブラウザでアクセスすれば、自分の住んでいる地域や指定した箇所の災害を可視化できる内容になっています。
近年はデジタル技術を用いて効率化を図ったり、新たな価値創出を行ったりする「DX(デジタルトランスフォーメーション)」というワードが盛んに用いられています。「災害体験AR」は、このDXを防災に活用した「防災DX」のひとつといえるでしょう。今回は、「災害体験AR」の開発を担当した株式会社キャドセンター プランナーの古川 修さん、プロジェクトマネージャーの安嶋 盛能さん、CGクリエイターの内ノ村 嘉康さんに、防災がDX化することの意義と、擬似的な災害をARで表現する際の苦労について伺いました。
DX化によって進化する防災
まず、「防災DX」と言われてもピンと来ない方も多いのではないでしょうか。まずは防災のDX化によるメリットを聞きてみます。
「従来は紙のハザードマップをもとに、自分の住んでいる地域を探して地図を見なければいけなかったんですね。それが、スマホならGPSで連携しているので、『現在地』を押すだけでリスクを瞬時に把握できる。これがデジタルの強みです」(古川さん)
防災マップがウェブ上で簡単にチェックできるだけでも大きなメリット。また、最近ではいざというときのシミュレーションとして、バーチャル上で擬似的な防災訓練を行うケースも出てきています。
「たとえば、住んでいる場所が水害に遭った状況を紙やイラストで描いてもわかりにくいですよね。それが、AR表示だと直感的に把握しやすい。あらかじめ災害リスクがイメージでき、自分事として捉えられる。ITで拡張することによって、防災の取り組みがより簡単にわかりやすくなって、安心につながるというのが“防災のDX化”の意義かと思います」(古川さん)
今から6年前の2016年に、内閣府は“「防災4.0」未来構想プロジェクト”を提言しました。
「1.0は伊勢湾台風、2.0は阪神淡路大震災、3.0は東日本大震災と、節目ごとに防災への取り組み方に大きな変化が起きています。『防災4.0』は近年の気候変動による災害の激甚化を受けて唱えられるようになりました」(古川さん)
「防災4.0」の取り組みの方向性は具体的に4項目挙げられています。「1.住民・地域における『備え』」「2.企業における『備え』」「3.進展する情報通信技術の防災分野への活用」「4.災害等のリスク対応全般に係る基本的枠組み・視点」(※)。このうちの3番目が簡単に言えば「ITの活用」。多くの人がスマホを持ち、時間・場所を問わず情報を手軽に得られる社会。それに合わせて、防災も進化することが被害を軽減化するカギになります。
※:『「防災4.0」未来構想プロジェクト有識者提言 本文』より抜粋
全国で発生しうる洪水と土砂災害を可視化
さて、話を戻しましょう。冒頭の秋葉原の洪水シーンはどのような仕組みで生成されているのでしょうか?
「水害の基本的なデータについては、国管理河川(東京海上ディーアール株式会社様が独自に収集)及び大阪府管理河川の想定浸水深データと連携しています。土砂災害のデータについては、国土交通省のデータも活用。現在地に応じて、専用サーバーからそのデータを取得する形を取っています」(安嶋さん)
場所を指定すると、専用のサーバーにあるデータをもとに災害状況のARが瞬時に作成されます。ストアからわざわざアプリをダウンロードする必要もなく、ブラウザ上からすぐに使えるのもポイントです。この「災害体験AR」でARの対象となっているのは洪水と土砂災害の2つ。
「洪水は都市部で発生しやすいんですね。一方で、土砂災害は都市部ではそれほど発生せず、山間部にお住まいの方からご要望があります。洪水と土砂災害をフォローすることで全国で活用していただけると考えています」(古川さん)
実際に「災害体験AR」を試してみると、その臨場感に驚かされます。まずは「洪水を体験」「土砂災害を体験」のどちらかを選び、洪水の場合は「深さを設定して体験」「地点を設定して体験」のいずれかを指定します。実際に1mの洪水を設定したところ、濁った水がなみなみとあふれ、恐ろしい状況に……。こうした水の表現には難しさもあったのではないでしょうか。
「今回はブラウザベースのAR動画のテクスチャーが使えないなどの制約がありました。ですので、動いている水面の映像をそのまま貼り付けることができないんですね。動いていない水面をいかに動いているように見せるか、これが大変でした」(内ノ村さん)
「iOSとAndroidではARの仕様が違うこともあって、かなり試行錯誤しました」(安嶋さん)
技術的にはさまざまな制限がありながら、濁った水に鈍く光が反射する様子まで入れ込んだ、臨場感あるARがブラウザ上で実現した格好。「ここまでブラウザで作り込んだARはなかなかないんじゃないかな」と開発陣の自信も聞かれました。
危険地域が紙のハザードマップ上で描かれていたり、デジタルであってもPDFの地図上で赤く塗られていたり……というのがこれまでの常識。もちろん、それぞれにメリットはありますが、リスクを実感するのは難しいでしょう。見慣れたいつもの風景がどう変わってしまうのか、それをあらかじめ知っておくことで心の備えとなって、いざというときに冷静に対応できるはずです。
「防災の日」である9月1日が近づいてきました。「災害体験AR」は、自分の住む地域だけではなく場所を指定してARを体験することも可能です(「災害体験AR」が対象とする災害想定区域のみ)。離れて暮らす両親や大切な人の住む地域を調べて、防災意識を共有する使い方もできそうです。時間・場所を問わない手軽さと、複雑な情報の可視化、それが防災DXの長所と言えるでしょう。
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まとめ/卯月 鮎 撮影(人物)/鈴木謙介