「たばこと塩の博物館」は東京スカイツリーの近く、本所吾妻橋にある、JTが運営する企業博物館である。「渋谷の公園通りになかったっけ?」と思った人はなかなかの物知り。1978年から2013年までは渋谷の神南にあったが、2015年に現在の場所に移転。引き続き、たばこと塩に関する資料の収集、調査や研究を行なっており、その所蔵点数は約4万という膨大な数を誇る。
これまで取材会場として何度か足を運んだことはあったが、今回改めて「たばこと塩の博物館」の展示を見る機会を得た。常設展や特別展の展示物は約4万点のうちのごく一部。それでもボリュームがたっぷりで、最低でも半日、ゆっくり見たら1日では見終わらないぐらいの情報量だ。
本記事では、そのなかで思わず「ほぇ〜、なんか知って得した」という蘊蓄を紹介。愛好家にとっては定番のネタもあるかもしれないが、知的好奇心をくすぐるものを6つピックアップしたので、ぜひ楽しんで欲しい。
【その1】かつてたばこは、神との交信を媒介する神聖なものだった
人間がいつからたばこを摂取するようになったのか、というのは実はよくわかっていない。最も古い文献として残っているのは、7〜8世紀のマヤ文明。メキシコ・チアパス州にある世界遺産「パレンケ遺跡」に、たばこをくゆらす擬人化された神のレリーフが遺されており、少なくとも1300〜1400年の歴史があると言われている。
マヤの人々は、祭祀や儀式、占いといった神との交信のほか、病気の治療にも広くたばこを用いていたという。それが時代を経るにつれ、徐々に嗜好品へと変化していく。
なお、たばこと塩の博物館ではこのパレンケ遺跡の一部のレプリカ(上写真)があり、たばこ常設展示室最初の展示物になっている。原寸大で再現されており、存在感は抜群である。
【その2】江戸時代にも歩きたばこは禁止だった!?
現代において「歩きたばこ」が禁止されたのは2002年の東京都千代田区が最初とされている。が、それより300年以上前、江戸時代の元禄期にはすでに「歩きたばこ」が禁止されるという法令がみられたことをご存知だろうか?
1693年(元禄6年)10月に、江戸城下馬所における喫煙の禁令が発令され、10年後の1703年(元禄16年)には将軍の休息所付近でも喫煙の禁令が出ている。これは、風紀の乱れに加えて、失火に対する対応策として実施されたもの。失火、という点が実に江戸らしい。
ただ、江戸時代初期にはたばこの「喫煙」「売買」「耕作」自体が禁じられており、犯したものには厳罰が処されていた点も触れておきたい。たばこは鉄砲の伝来とともに日本国内に入ってきたという説もあり、庶民の嗜みとして普及。
風紀の乱れや火災のほか、税制面(次項参照)でも権力者を悩ませる存在となり、禁制が敷かれるようになった。だが、これらの処罰は実態に則しない部分が多いことから元禄のころには「歩きたばこ禁止」といった現実的なルールが設けられた、といった流れである。
【その3】江戸時代にはたばこ税があった
「歩きたばこ」ついでに「たばこ税」についても触れてみたい。中世・近世を通じて、年貢として納められる米(や麦)は経済活動の土台であった。
しかし「歩きたばこ」の項で触れたように、喫煙が庶民の愉しみになってくると既存の田畑でたばこ耕作を行う農家が出現。1660年代には毎年のように本田畑(江戸前期に検地を経て年貢高を定められた田畑/出典:旺文社日本史事典 三訂版)でのたばこ耕作が禁じられるなど、幕府や藩でも対策に乗り出していた。
禁令の流れとは別に、1630年代以降、たばこ関連の産業自体に税金をかけてしまおうという流れも発生した。幕府が一律で行っていたわけではないうえ、地域ごとにルールも異なっていたため一概には言えないが、藩が買い取って流通させたり、土地と肥料を与えてできたものを納めさせたりするといった手法が取られていたようだ。
【その4】たばこが専売制になったのは欧米に対抗するため
日本でたばこが専売制となったのは1904年のこと。同年に可決された煙草専売法案が施行されたのだ。この時代、世界のたばこ産業は英米の企業によって寡占化が進み、その影響は日本にも及ぼうとしていた。
日本国内では、岩谷商会や千葉商会、村井兄弟商会といった企業が大手のたばこ製造業者として名を馳せていたが、村井兄弟商会は米国のアメリカ・タバコ社と資本提携を結び株式化。海外企業が国内企業を乗っ取り、国富が流出する懸念が高まったのだ。この年は日露戦争が開戦した年であり、国のキャッシュが流出するのは避けたい。こうした流れで国は専売制へと舵を切っていた。
【その5】ハイライトのパッケージには採用されなかった幻のデザインがある
ハイライトは1960年(昭和35年)に販売を開始。現在も存続する、JTの長寿銘柄のひとつである。パッケージは、日本を代表するイラストレーターでありグラフィックデザイナーであった和田誠がデザイン。「ハイライトブルー」とも称されるコバルトブルーが特徴的だ。
このハイライト、デザイン段階で提案された別案が存在する。こちらも和田が作成したもので、黒を基調にゴシック文字でHI-LITEの文字が入っている。採用されたものとは印象が大きく異なるが、和田の中での本命は「黒に銀」だったという。
たばこと塩の博物館でこの展示がある箇所は壁一面に、明治から現代までのパッケージやポスターが掲示されており圧巻のエリア。昔懐かしいビジュアルや広告も見つけることができるだろう。
【その6】ライターは戦争の影響を色濃く受けるプロダクト
取材したタイミングは特別展として「ヴィンテージライターの世界 炎と魅せるメタルワーク」も開催されており、そちらを見学することも叶った。この特別展では、たばこの必需品であるライターの歴史を知ることができ、こちらも興味深い内容であった。
ライターの基本構造は火花を起こして、その火花を燃料に移して燃やすというもので、それをいかに簡単に安全に行うかを試行錯誤して進化してきたプロダクトだ。現在のライターの基礎になっているオイルライターが登場したのは20世紀に入ってから。
それまでのライターは大きさ的にも構造的にもポケットに忍ばせて手軽に使えるものは少なかったが、第一次世界大戦期に、戦場に持って行って使える「ポケットライター」が普及。
第一次世界大戦が終わり、世界に安定が訪れると、戦争で普及した金属加工技術が転用され、大量生産が行われるようになっていく。ハンドメイド品から大量生産できる工業製品としての性格を持つようになるのだ。
第二次世界大戦時もライターは戦争の影響を色濃く受けている。例えば、ライターブランドとして高い知名度を誇るジッポー社は1941年、アメリカが第二次世界大戦に参戦すると一般向けの販売を全て取りやめて軍の支給品に振り向け、ビジネス的にも大きな成功を収める。
ベトナム戦争でもジッポー社は軍にライターを支給。兵士たちはその表面に思い思いの加工を施すのが流行った。これはベトナム・ジッポーと呼ばれ、戦争に対するメッセージや信念が記されるなど、文化面にも大きな影響を与えている。
このほかにも、喫煙具は国や地域によって材質も形状も大きく異なるものであったり、ファッションブランドとして有名な「ダンヒル」は喫煙具やたばこのブランドでもあったりと、知っておくと世界の見識が広がりそうな話題がそこかしこに散りばめられている。
特別展は12月25日までとなるが、常設展は開館時ならいつでも見られる。また、今回は見学できなかったが「塩」の展示も豊富である。場所は東京スカイスリーの足元とも呼べる場所なので、東京スカイツリー観光&ショッピングと併せて訪れるのもよいだろう。
【たばこと塩の博物館 施設概要】
所在地:東京都墨田区横川 1-16-3
入館料:一般・大学生 100円、小・中・高校生 50円、満65歳以上の方(要証明書) 50円
開館時間:10時~17時(16時30分入館締切)
休館日:月曜日(月曜日が祝日、振替休日の場合は直後の平日)
年末年始の休館:2022年12月29日~2023年1月3日