〜玉袋筋太郎の万事往来
第28回「泉銀」店主・森田釣竿
全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第28回目のゲストは、千葉県浦安市の鮮魚店「泉銀」(いずぎん)の3代目店主であり、魚と海をテーマにした世界で唯一のフィッシュロック・バンド「漁港」(ぎょこう)のリーダーでもある森田釣竿さん。「ギョギョッとサカナ★スター」にも出演する森田さんの熱い“サカナ愛”に玉ちゃんも共鳴!
【公式HP:https://www.gyoko.com/】
(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)
浦安の正しいベビーカーは台車にダンボール
玉袋 「ギョギョッとサカナ☆スター」(NHK Eテレ)をよく見ているんだけど、大将とさかなクンの掛け合いが大好きだから、このお店に来たくてしょうがなかったんですよ。番組の効果はありますか?
森田 ちびっこのお客さんが多くなりましたね。僕は「漁港」ってコワモテのバンドをやっているんですけど、前はそれ経由で来店する方が多かったんですよ。
玉袋 「漁港」も初めて見た瞬間、心を掴まれたんだよ。
森田 玉さん、「漁港」を知っているんですか!?
玉袋 もちろんだよ。かっこいいのが出て来たなと思った。
森田 魚を食べてもらいたい、水産業界を盛り上げたいって思いで活動をしているんですけど、同期のバンドはどんどん売れていくんですよね。
玉袋 同期だと誰がいるの?
森田 ライブでご一緒したのは氣志團、鳥肌実さん、意外な方ですと平原綾香さん、Perfumeですね。
玉袋 個性的なメンツだね。その中にいても「漁港」はインパクトがあるよ。
森田 これが売れなかったんですよ。
玉袋 いやいや、今も続けているんだからたいしたもんだよ。今日は会えて本当に嬉しいね。
森田 僕のほうこそ玉さんとお話できるなんて信じられないですし、今も緊張してます。
玉袋 浦安ってロケーションもいいね。
森田 今や浦安はリゾート地ですからね。
玉袋 俺の中で浦安といえば、山本周五郎の『青べか物語』だからさ。
森田 ありがとうございます。そう言ってくれる人がいなくなっちゃったんですよね。
玉袋 ディズニーなんて新参者だよ。前にロケで浦安のニュータウンに行ったことがあるんだけど、ショッピングモールで買い物をしている若いママがマクラーレンの乳母車に子どもを乗せてたんだ。それを見てたら、作られた街って感じがして、気持ちが悪くてしょうがなかった。
森田 本来、浦安の正しいベビーカーは台車ですから。台車から子どもが落ちないように、焼き海苔のダンボールに入れて散歩するんです。
玉袋 それが浦安スタイルだ(笑)。ロケで浦安のスナックに行ったことがあるんだけど、案内してくれた役場のおばちゃんが「ディズニー側とこっち側で仲が悪い」って言ってたけど本当なの?
森田 仲が悪いというよりは、僕ら側とディズニー側に住んでいる人たちとは、ほとんど接点がないんですよ。
玉袋 本来は泉銀さんこそがディズニーシーですよ。そもそも俺はディズニーシーに行ったことがないんだけど、「シー」って名乗るんだったら、なめろうぐらい出せよって話でさ。
森田 千葉県の郷土料理ですからね(笑)。
玉袋 大将はここの何代目なの?
森田 自分は3代目です。もともと浦安は漁師町で、父方の先祖が漁師、母方の先祖が魚屋だったんです。昔、ばあさんに聞いた話だと、浦安で獲れたアサリをリヤカーで浅草まで運んで引き売りしていたそうです。
小学生のころは軍歌、中学生のころはパンクにハマっていた
玉袋 「漁港」を始めたきっかけは何だったんですか。
森田 当時、浦安魚市場っていうのがあって、泉銀もその中にあったんですけど、お客さんが全然来なかったんですよね。それで二十代半ばで自分が魚屋を継いだときに、この先やっていけるのかなと不安になったんです。バンド活動自体は15歳からやっていたんですけど、ライブハウスには若いお客さんがいるよなってことで、じゃあライブハウスでマグロを捌いたらどうなんだろうと。そしたら、興味を持ってお店に遊びに来るんじゃないか。そうすれば漁師に興味を持ったり、第一次産業に焦点を当てていけるんじゃないかなってことで「漁港」を始めたんです。それで23年やっています。
玉袋 バンド結成前は、どんな音楽を聴いていたんですか。
森田 小学生のころは軍歌しか聴いてなかったんですよ。
玉袋 素晴らしいね!
森田 初めて買ったカセットテープも軍歌でしたから(笑)。当時はおニャン子クラブ全盛期で、友達はみんな聴いていましたけど、こっそり自分は軍歌を聴いていて、「なんで俺はみんなと違うんだろう」って思っていました。その後、中学生のときにバンドブームが到来して、そのタイミングで初めてセックス・ピストルズを聴いたんです。それでシド・ヴィシャスが大好きになって、シドがベースで人を殴っている映像を観て、「これだったら俺でもできるかもしれない」ってなっちゃったんです。それまで右だったのが急に左になったんですよね(笑)。
玉袋 「漁港」を組む前は、パンクバンドだったんですか?
森田 そうですね。ちょっとだけプログレッシブロックをやっていたこともあって、売れない音楽ばかりやっています。バンド活動を続けていく中で、やっぱりバックボーンの魚屋に戻っちゃうんですよね。それで自分に表現できるものは何かというと、パンクでもないし、軍歌でもない。それでフィッシュロックという自分だけのジャンルを作るしかなかったんです。
玉袋 浅草キッドも裏を張るみたいなところでやってきたから、「漁港」のコンセプトは「やられた!」と思ったよ。しかも本物の魚屋なんだから。
森田 二十代のころは魚屋をやりながらバンド活動も活発にやっていたから大変だったんですよ。朝一番で魚屋をやって、午後から車で京都まで行ってライブをやって、その日に浦安に戻って寝ないで仕事をしていました。
玉袋 マグロと一緒で止まると終わりだ(笑)。バンドブームと言えばカブキロックスの氏神一番なんて、デーモン小暮ほどコンセプトが徹底していなかったから説得力がなかったじゃない。でも「漁港」は専門的な言葉もバンバン飛び出すから嬉しくなっちゃうんだよ。
森田 僕もビートだけしさんの大ファンで、「北野チャンネル」も放送開始直後から月謝を払って見ていたんですけど、そのときに初めて浅草キッドさんの漫才を見て感動したんです。ライブも何回も観に行きました。
玉袋 それは恥ずかしいね。
――たけしさん繋がりで言えば、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で浦安のフラワー通り商店街を盛り上げる企画がありました。
玉袋 そうだそうだ。「ここに来なけりゃ 死んでしまう」
森田 「コイコイ」。
玉袋・森田 「フ フ フラワー商店街」。
森田 お店には番組グッズ「たけし猫招き」の置物も飾っています。ただフラワー商店街も一過性で盛り上がっただけで、今では見る影もないです。
玉袋 浦安みたいにイオンなんかができちゃったら、駅前は全部シャッター商店街になっちゃうけど、俺は大型ショッピングモールが大嫌いでさ。やっぱ魚は魚屋さん、野菜は八百屋さん、肉は肉屋さんっていうのが一番で、そんな厳しい状況でも、個人店で頑張っている大将に惚れちゃう訳よ。巨大戦艦に対して、手漕ぎのべか船で立ち向かうようなものでしょう。もはや人間魚雷だよ。
森田 思いの強さは誰にも負けないつもりです。僕もよく「イオンだらけ、Amazon頼みの世の中で、お前らいいのかって」いう風に言うんですよ。玉さんのように、画一的な街に違和感を抱く方もいらっしゃって、そういう人たちに支えられています。結局、日本は島国なので、田舎者の集まりなんですよね。ニュータウンに住んで、おしゃれな乳母車を引いたところで、出身が浜育ちですから、やっぱり田舎を思い出しますよ。そういう方が検索して、「おかしな魚屋があるぞ」と泉銀に来てくれるんです。
お客さんとの会話は魚が段取ってくれる
――森田さんはSNSで積極的に発信をしていますよね。
森田 自分から仕掛けていかないと個人店は注目してもらえないですからね。でも映えるとかバズるとかそういうことじゃなくて、本質的なことを大切にしたいんです。対面で会話をして、今日の献立を決めるとか、そういうことを令和の時代にやり直してみてもいいんじゃないのかなと思うんです。お客さんとの会話は魚が段取ってくれるんですよ。たとえば産地が神津島の魚をお店に出して、神津島出身の人がお店に来れば、それだけで話が盛り上がる。魚が時空を結んでくれるんですよね。
玉袋 まさに一心太助だね。お母さんが子どもを魚屋に連れて行けば、勉強にもなるしね。真珠の核入れみたいなものでさ、魚屋に行けば社会も見えてくるし、後の世代にも繋がっていくんだ。
森田 魚はナマモノですから、最後までしっかり見届けるというのが魚屋の仕事。だから葬儀屋以上に働かなきゃいけないと思っています。上田勝彦さんという元々漁師で水産庁に入ったという面白い方がいらっしゃって。上田さんが言うには、「人は必ずしも魚を見て買ってはいない。その人を見て魚を買うんだ」と仰っていたんです。玉さんの番組を観るのも、番組がどうこうではなく、玉さんが好きだから観る訳で。魚屋にしても、その店の人が好きだから買いに来るというのを僕は信じているんですよね。
玉袋 それが商売の根本だよね。
森田 「今日は調子悪そうだな」とか、店主とお客さんで確認し合いながら、コミュニケーションを取るのが大切だと思うんです。
玉袋 俺は水族館に行くのが好きでさ、帰りに絶対に寿司屋に行くんだ。ここも水族館と一緒だよ。わくわくするよね。
森田 水族館だと見た魚を持って帰れないですけど、魚屋だと持って帰って触って食べられますからね。
玉袋 骨抜きの魚なんて言語道断だよ。
森田 自分で魚を獲りに行かなくてもいいだけで、だいぶ楽だと思うんですよ。しかも海から運んでくれる人もいて、目利きをする市場の人たちもいる。あなたたちが買う魚には、どれだけの人が携わって、ここまでたどり着いていると思っているんだと。それなのに、骨があって食べるのが面倒だとか言って、どこまであたなたちのためにやってあげなきゃいけないのかと。食べることまで面倒だったら生き物として終わりだと思うんですよね。
魚屋も音楽活動も継続することに意味がある
森田 せっかくなんでイワシクジラを食べませんか? うちはクジラが強いんですよ。
玉袋 いいね! 俺はグリーンピースもシーシェパードも大嫌いだからさ。
森田 僕は漁港のときにオープンフィンガーグローブをつけているんですけど、いつでも反捕鯨団体と戦えるようにするためなんです(笑)。格闘技経験はないんですけど、戦う気持ちの表れです。
玉袋 調査捕鯨はどうなの?
森田 終わったんですよ。調査捕鯨が終わって、商業捕鯨になったんです。日本は令和元年6月30日でIWC(国際捕鯨委員会)を脱退して、捕鯨業を再開しました。
玉袋 『ザ・コーヴ』なんてつまらない映画があったけどさ、観終わった後に、「ふざけんな! 俺の2時間を返せ」って思ったよ。
森田 閉場した浦安魚市場には壁画があって、それがクジラだったんです。千葉県は和田町に小型捕鯨基地があったり、有名な捕鯨集団がいたりと捕鯨が有名な土地なんです。昔、今は葛西臨海水族園がある場所に大きいクジラが座礁して、それを浦安の漁師が引っ張ってきて、飢餓から救ったという話があるんですけど、クジラはありがたくいただくものなんですよ。僕も小さいときから慣れ親しんだ味ですから、どうして捕鯨を批判されなきゃいけないんだと思うんです。子どものときに、売れ残ったクジラをブルドックのウスターソースで炒めて食べていたんですけど、その味は今でも忘れられません。
玉袋 クジラの仕入れは難しくないんですか?
森田 個人店では難しいですね。まだ泉銀でクジラを扱ってなかったころに、鋸南勝山捕鯨の祖 醍醐新兵衛さんのお墓に行って、「何とかクジラを仕入れさせてください」とお願いしました。そのおかげか、その後いろんな人との出会いがあって、クジラを仕入れられるようになったんですよね。
玉袋 それってそろばん勘定とは別だよね。
森田 そうなんです。金儲けのためじゃないんですよね。
(玉ちゃんにクジラの刺身が提供される)
玉袋 おお! 感謝していただきます!
森田 イワシクジラの赤身と、ニタリクジラの皮を味噌漬けにしたものです。イワシクジラは大きめのクジラで、昔の人はミンククジラよりも美味しいって言います。イワシクジラは獲れる頭数が限られているので貴重なんです。
玉袋 うめえ! この味は子どもたちにも伝えたいね。
――何種類ぐらいクジラを扱っているんですか。
森田 今はニタリクジラとイワシクジラとミンククジラ。あとは今の時期が旬のツチクジラです。ツチクジラは刺身よりも、焼いたほうが美味しいんです。
――泉銀さんでは、クジラは年中購入できるんですか?
森田 はい。いつでも反捕鯨団体が来てもいいように、クジラは欠かさないようにしています(笑)。こういう食文化を繋いでいくのってガッツがないと駄目なんです。やられてもいい。いつでもかかってこいと、そういう気持ちが食文化を繋いでいくと思うんですよね。
玉袋 すごいね。感動しちゃったよ。最後に「漁港」の意気込みも聞いておきたいね。
森田 「漁港」はライブハウスでマグロを解体するというところだけクローズアップされて、一時期はイロモノ扱いになっちゃいました。本人はそれを狙ってやっていた訳じゃないですからね。音楽業界もどう売っていいか分からないし、水産業界も漁港は音楽業界が作ったものだと思っていたから、どこに行っても理解してもらえませんでした。でも23年間続けてきて、やっと魚屋だって認知してもらえるようになりました。だから魚屋も音楽活動も継続することに意味があるんだと思っています。本当に大変ですけど、やるしかないなって。
玉袋 バンドとしてもう一丁、のろしを上げようよ。
森田 魚を食べてもらうには発信力がないといけないし、売れないとダメだと思っているんですよね。だから夢は紅白歌合戦ですね。紅白に出て、大みそかにお店を休んでみたいです。
玉袋筋太郎
生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中
一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階)
<出演・連載>
TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」