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2024/12/31 19:45

減益90%超……最近元気がない日産だけど、振り返ると記憶に残る名車は実に多い!

2024年4月から9月までの日産の中間決算は、主力のアメリカ市場での販売不振などから営業利益、最終的な利益ともに90%を超える大幅な減益。日産では経営の立て直しに向けて、世界で生産能力を20%削減し、9000人の人員削減を行う方針を明らかにしました。まさに正念場を迎えている日産。

 

本稿では、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員の一人でもある、モータージャーナリストの岡本幸一郎さんに日産の名車について振り返ってもらいました。

 

昔の日産は名車が多かった

若い方々にはピンと来ないかもしれないが、日産はかつて日本の自動車メーカーとしてトヨタと双璧をなすほどのメーカーだった。たしか80年代初頭には、日産とトヨタはお互いシェア率が30%前後で、最接近したときには約5%しか差がなかったほどだ。

 

ところが、時がたつにつれて差が開いていき、いつしかシェアはトヨタ約48%、日産約14%(2024年3月)というようになったわけだが、販売台数やシェアでは大差がついたものの、記憶に残る名車の数なら、日産もぜんぜん負けていない。むしろ昔は日産車のほうが名車が多かったぐらいだ。

 

そこで今回は、「スカイライン」「フェアレディZ」のような長い伝統を誇る名車や、比較的新しい「エクストレイル」「エルグランド」のように現在まで続いていている車種ではなく、今ではなくなってしまったなかで、印象的だった車種をいくつか紹介したい。

 

80年代終盤から90年代は「元気な日産」

まずは初代「シーマ」。1988年に登場し、当時のバブル景気もあって「シーマ現象」なる言葉を生み出すほど売れに売れた。当時としては相当なハイパワーである255psを発揮したエンジン・VG30DETが生み出す強烈な加速により、リアを下げて離陸するかのように走り去る姿が忘れられない。最近になっても、有名女優さんが長年愛用していることがたびたび報じられているのは、それだけ印象的なクルマだったからにほかならない。

↑初代「シーマ」。トヨタ「クラウン」の3ナンバー版の対向車として発表された

 

その少しあとに出た、「S13シルビア」も大人気を博した。この類いのクルマで月販がコンスタントに1万台を超えていた時期があるのは大したものだ。美しいデザインで女性ウケもよく、デートカーとしてだけでなく、手頃な価格とサイズのパワフルなFR車であることから、兄弟車でよりスポーティなスタイリングの「180SX」とともに走り好きにも大いにもてはやされた。

↑5代目となる「S13シルビア」。ホンダ「プレリュード」の対抗馬として開発された

 

その後シルビアはS14、S15と進化するものの販売は下降線をたどり、消滅してしまったが、いまや中古車市場では新車価格をゆうに超えるものがズラリ。走り好きからずっと支持されつづけている。

 

1990年登場の初代「プリメーラ」も印象的な1台だった。日本車ばなれしたデザインとセダンなのに車内が広々したパッケージングの巧みさに加えて、何より走りが鮮烈だった。FFでここまで極めたクルマはちょっと心当たりがない。開発陣は日本では売れないだろうと思っていたそうだが、ことのほか売れて驚いたそうだ。

↑初代「プリメーラ」。欧州市場でもヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーで日本車初の2位を獲得するなど、その評価は高かった

 

「Be-1」、「パオ」、「フィガロ」というパイクカー(※)を送り出して人気を博したのもその頃。日産はそうした他社にはあまりないユニークな取り組みもやっていたのだ。それらパイクカーの中古車には、おそるべき高値のついている個体もある。

※レトロ調であったり先鋭的であったりと、スタイリングが特徴的な自動車。
↑「Be-1」。1987年1月に限定1万 台で発売されると、高い前評判から限定数を超える受注が殺到し、購入者を抽選で決定する異例の事態となった

 

それらパイクカーのベースになった「マーチ」は、日産のエントリーモデルとしてこのクラスを支えてきたが、1992年登場の「K11マーチ」は国内と欧州でカー・オブ・ザ・イヤーを受賞するほど高く評価され、販売の面でも最盛期には1年間で約14万2000台が売れたほど非常に人気の高いモデルだった。次の「K12マーチ」もかわいらしいデザインで特に女性から人気を博したが、その次の「K13マーチ」はあまり評価が得られず、尻すぼみで消滅してしまったのは残念だ。

↑2代目となる「K11マーチ」。ボディ形式は3ドアと5ドアのハッチバック型、後期型にはワゴン型「マーチBOX」やオープンモデルの「マーチカブリオレ」もラインナップされていた

 

80年代終盤から90年代にかけて、「元気な日産」をアピールしていた通り、ここで紹介していない車種も含めて、日産には存在感のある印象的なクルマがいくつもあった。

 

90年代中期から勢いに陰りが現れる

90年代中期には一転して、ちょっと元気がなくなってしまったのだが、そんな中でもいくつか記憶に残る名車がある。

 

1994年に登場した「ラシーン」は、前述のパイクカーの流れをくむ商品企画が受けて、現役時代もそれなりに人気を博したが、その後に絶版車となってから、あらためてその魅力が再認識されて、現在では中古車がプチカルト的な相場となっている。

↑「ラシーン」。クロスオーバーSUVの先駆け的なモデル

 

1996年に登場した「ステージア」は、当時のワゴンブームの中で日本勢の頂点に立つことを念頭において開発されたモデルだ。目論見通り、それなりの価格帯でありながら売れ行きは好調だった。97年秋には、「スカイラインGT-R」ゆずりのエンジン・RB26DETTを搭載した、「260RS」まで登場したことには驚いたものだ。

↑「ステージア」。ワゴン人気が絶頂期を迎えたなかで、堂々としたサイズ感と高級感、優れた走行性能や使い勝手などが評価されて人気モデルとなった

 

21世紀に入ってからの日産

ここからは、現在も販売されているモデルを紹介。おそらく読者のみなさんもまだ記憶に新しいことと思うが、21世紀に入ってからの日産車でやはり際立つのは「R35GT-R」だ。すでに登場から17年が経過するが、その間ずっと絶大な存在感を発揮してきた。

↑2007年に誕生して以来、モデルイヤーごとに進化を続けた「R35GT-R」。2025年モデルは、青を基調とした専用特別内装色「ブルーヘブン」が特徴

 

2024年は、日本カー・オブ・ザ・イヤーの規定に該当するニューモデルがなく、ノミネートなしというさびしい状況となったが、それでも現行型が発売されていながら長らく滞っていた「アリア」と「フェアレディZ」の受注が正常化されたことや、「アリアNISMO」のような興味深いモデルが加わったのはうれしいニュースだ。

↑アリアのe-4ORCEに、NISMO専用の加速チューニングを施し、動力性能をさらに引き上げた「アリアNISMO」。欧州市場でも発売されている

 

一方で、近年の日産はどちらかというとよいニュースよりもよろしくないニュースのほうが多かった印象だ。2024年も、業績の低迷や大規模なリストラでせっかくの創立90周年を祝う空気が吹き飛んでしまったのが残念でならない。要因はいろいろあるには違いないが、とにかくクルマが売れないことに尽きる。

↑2024年12月23日、日産とホンダは、両社の経営統合に向けた協議・検討を開始することについて合意。共同持株会社設立による経営統合に向けた検討に関する基本合意書を締結した

 

「BEV(バッテリー式電気自動車)はあってもハイブリッドカーがないのがいけない」という声もあるが、本格的ハイブリッドカーがなくても北米で成功している他メーカーはある。そのうえ、そもそも日産には発電専用ガソリンエンジンとモーターを融合した「e-POWER」があり、可変圧縮比を実現したVCターボエンジンと組み合わせたことで、苦手といわれた高速燃費を大幅に改善することに成功している。

 

先進運転支援装備については、業界をリードするほど高度なことをすでにやってのけている。

 

個人的にはそれほど悪くないと思うのだが、うまくいっていないのは、商品の微妙なところや売り方に問題があるのではないかと思う。すぐに改善するのは難しいだろうが、ぜひ仕切り直して、いずれ「元気な日産」が再来するよう期待したい。

 

 

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