1987年4月のJRグループ発足前の、国鉄時代に開発され、製造された電車(車両)を国鉄形電車(車両)と呼ぶ。やや武骨な出で立ち。走行音や乗り心地も、現在の静かで乗り心地の良い電車とは、ちょっと差がある。だが、その姿に親しみを感じ、郷愁を覚える人も多いことだろう。
長年走り続け、日本の経済発展にも寄与してきた国鉄形電車も、誕生してから30年以上の年月が経ち、終焉も近づきつつある。2018年の3月から5月にかけてそうした車両の著しい動きを見ることができた。
いまや残り少ない国鉄形電車のうち、動向が注目される車両と、さらにそうした車両に乗ることができる、また撮影できる路線に注目した。なお、今回は国鉄形電車のオリジナルな姿をなるべく留めた車両を中心に紹介したい。
いよいよ見納めか? 関西地区の103系
103系といえば、国鉄形の通勤電車を代表する存在。1963(昭和38)年から1984(昭和59)年まで3500両近い車両が製造され、首都圏を始め、近畿圏の多くの路線で通勤用に使われてきた。この103系が急激に車両数を減らしている。JR西日本が103系の最後の“牙城”となっていたが、大阪環状線や、大和路線(関西本線)、阪和線から、相次いで姿を消した。
近畿の都市部路線で残るのは奈良線、さらに朝夕しか運行のない和田岬線(兵庫駅〜和田岬駅間)のみとなっている。奈良線の103系は運行本数も減り、廃車の情報がちらほら見られるようになっている。早々に消えるのは避けられないようだ。最後まで残りそうなのが和田岬線。そのほか、更新され形を変えているが、播但線、加古川線、JR九州の筑肥線といった路線の103系が残りそうだ。
近郊形電車113系・115系の行く末は?
103系と同じ時期に造られたのが113系。近郊路線用に開発された直流電車で、この113系を寒冷地区用、急勾配路線用にした115系が造られた。
この113系、115系も活躍の場が狭められつつある。JR東日本に残っていた115系はこの春に、高崎地区での運用がなくなり、新潟地区のみの運行となった。その姿も貴重になりつつある。
JR西日本では湖西線、草津線で113系の運用が、また山陽本線を中心に113系、115系が多く使われている。新車両の導入が急速に進んでいるものの、あと数年は活躍ぶりを見ることができそうだ。とはいえ、深緑色、また濃黄色といった独自カラーに塗られた姿に、一抹の寂しさを覚える人も多いのではないだろうか。
新快速として活躍した117系が最後の輝きを放つ
117系といえば、国鉄時代に生まれた近郊形電車のなかでは異色の存在。1979(昭和54)年からの製造で、そのころ私鉄の車両にくらべ見劣りした、京阪神地区の車両のレベルを高めるべく開発された。東海道本線を走る新快速列車に投入、速くて快適と沿線の人たちに愛された。そんな華やかな活躍もすでに過去のものとなり、JR東海で走っていた117系はすべて引退、残るはJR西日本の117系のみとなっている。
深緑色の117系が湖西線・草津線を、濃黄色の117系が山陽本線などを、オーシャンブルーの117系が和歌山地区を走る。山陽本線、和歌山地区での117系の運用は少なめだが、湖西線・草津線では頻繁に走っている。京都駅まで乗り入れていて、いましばらくは両路線や京都駅で目にすることができそうだ。
JR西日本では新車両導入を各路線で進めている。湖西線・草津線の113系や117系も、ここ数年で代わることが十分に考えられる。
大阪環状線や大和路線が201系の最後の活躍の場所に?
201系が開発されたのは1979(昭和54)年のこと。「省エネルギー形電車」として生まれた。首都圏では中央快速線、中央・総武緩行線などで201系が使われていたが、すでに引退。残るは関西地区のみとなっている。
この関西地区でも201系の活躍の場が狭まっている。多く走っていた大阪環状線やゆめ咲線では新型323系の導入が進み、先輩格の103系が先に引退、201系も運用が減りつつある。残りは大和路線(関西本線)・おおさか東線のみとなっている。新型車両の増備で、先に大阪環状線用のオレンジ色車両が消えていきそう。ゆめ咲線用のラッピング電車と、ウグイス色の大和路線用の車両が最後に残りそうな気配だ。