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2018/6/10 19:45

西武鉄道の路線網にひそむ2つの謎――愛すべき「おもしろローカル線」の旅【西武国分寺線/西武多摩湖線/西武多摩川線】

おもしろローカル線の旅~~西武国分寺線/西武多摩湖線/西武多摩川線~~

 

東京都と埼玉県に路線網を持つ西武鉄道。その路線を地図で見ると、ごく一部に路線が集中して設けられている地域がある。一方で、ポツンと孤立して設けられた路線も。これらの路線網のいきさつを調べ、また訪ねてみると、「おもしろローカル線」の旅ならではの発見があった。

 

今回は、西武鉄道の路線網の謎解きの旅に出かけてみよう。

 

【謎その1】国分寺駅のホームは、なぜ路線で場所がちがうのか

下の地図は、西武鉄道の東京都下の路線図である。都心と郊外を結ぶ西武新宿線と西武池袋線、西武拝島線の路線が設けられる。東西にのびる路線と垂直に交わるように、南北に西武国分寺線と西武多摩湖線という2本の路線が走っている。

起点となる駅は国分寺駅で同じだが、国分寺線は東村山駅へ。その先、西武園線に乗り継げば西武園駅へ向かうことができる。一方の多摩湖線は萩山駅を経て、西武遊園地駅へ向かう。両路線はほぼ平行に、しかも互いに付かず離れず線路が敷かれている。途中、国分寺線と多摩湖線は八坂駅付近で立体交差しているが、接続する駅はなく、乗継ぎができない。

↑西武国分寺線とJR中央線の電車が並走する国分寺駅付近。路線を開業した川越鉄道は中央線の前身、甲武鉄道の子会社だった。以前は連絡線があり貨車の受け渡しも行われた

 

さらに、不思議なことに国分寺線と多摩湖線が発着する国分寺駅は、それぞれのホームが別のところにあり線路がつながっていない。国分寺線のホームはJR中央線のホームと並んで設けられているのに対し、多摩湖線の国分寺駅は、やや高い場所にある。同じ西武鉄道の駅なのに、だ。どうしてこのように違うところにあるのだろうか。

↑西武多摩湖線は、西武国分寺線よりも一段高い位置に設けられる。4両編成用のホームが1面のみでシンプルだ。駅に停まっているのは多摩湖線の主力車両、新101系

 

【謎解き】路線開発を競った歴史が複雑な路線網を生み出した

謎めく路線が生まれた理由は、ずばり2つの鉄道会社が、それぞれ路線を設け、延長していったから、だった。

 

国分寺線と多摩湖線の2本の路線の歴史を簡単にひも解こう。

◆西武国分寺線の歴史
1894(明治27)年 川越鉄道川越線の国分寺駅〜久米川(仮)駅間が開業
1895(明治28)年 川越線久米川(仮)駅〜川越(現:本川越)駅間が開業
*川越鉄道は後に旧・西武鉄道となり、1927(昭和2)年に東村山駅〜高田馬場駅間に村山線(現・西武新宿線)を開業させた。

◆西武多摩湖線の歴史
1928(昭和3)年 多摩湖鉄道多摩湖線の国分寺駅〜萩山駅間が開業
1930(昭和5)年 萩山駅〜村山貯水池(現・武蔵大和)駅間が開業
*多摩湖鉄道の母体は、堤康次郎氏(西武グループの創始者であり衆議院議員も務めた)が率いた箱根土地。経営危機に陥った武蔵野鉄道(現・西武池袋線)の再建に乗り出し、株を取得。1940(昭和15)年、武蔵野鉄道が多摩湖鉄道を吸収合併し、同じ会社となった。

 

川越線(現・国分寺線)を運営していた旧・西武鉄道陣営と、多摩湖線を含む武蔵野鉄道陣営の競り合いはすさまじかった。

 

武蔵野鉄道が1929(昭和4)年に山口線(現・西武狭山線)の西所沢駅〜村山公園駅(のちに村山貯水池際駅と改称)間を開業、また1930(昭和5)年1月23日に多摩湖鉄道が多摩湖線の村山貯水池(仮)駅まで路線を延ばした。すると1930年4月5日には旧・西武鉄道が東村山駅〜村山貯水池前(現・西武園)駅間に村山線を延伸、開業させた(現在の西武園線)。1936(昭和11)年には、多摩湖鉄道が0.8kmほど路線を延ばし、村山貯水池により近い駅を設けている。

↑1930(昭和10)年ごろの旧・西武鉄道の路線案内。すでに多摩湖線が開業していたが、熾烈なライバル関係にあったせいか多摩湖線や武蔵野鉄道の路線が描かれていない

 

村山貯水池(多摩湖)の付近には、似たような名前の駅が3つもあり、さぞかし当時の利用者たちは、面食らったことだろう。両陣営の競り合いは過熱し、路線が連絡していた所沢駅では乗客の奪い合いにまで発展したそうだ。

↑東京市民の水がめとして1927(昭和2)年に設けられた村山貯水池(多摩湖)。誕生当時は、東京市民の憩いの場にもなったこともあり路線の延長が白熱化した

 

村山貯水池を目指した激しい戦いの痕跡が、いまも複雑な路線網として残っていたわけである。

 

そんなライバル関係だった両陣営も、1945(昭和20)年に合併してしまう。会社名も西武農業鉄道と改め、さらに現在の西武鉄道となっていった。

 

【補足情報その1】両路線とも本線系統とは異なる古参車両が運用される

筆者は、西武鉄道の路線が通る東村山市の出身であり、国分寺線や多摩湖線は毎日のようにお世話になった。いまもそうだが、国分寺線や多摩湖線は、西武鉄道のなかではローカル線の趣が強い。西武池袋線や西武新宿線といった本線の運用から離れた、やや古めの車両が多かった。

 

子ども心に、新しい電車に乗りたいと思っていたものだが、やや古い車両に乗り続けた思い出は、いまとなっては宝物となって心に残っている。そのころに撮影したのが下の写真2枚だ。

↑国分寺線を走る351系(1970年ごろ)。同車両は西武鉄道としては戦後初の新製車両として誕生した。晩年には大井川鐵道に譲渡され、長年にわたり活躍した

 

↑西武園線を走るクハ1334。西武鉄道では急速に増える沿線人口に対応するため、国鉄から戦災車両の払い下げを受け再生して使った。クハ1334もそんな戦災車両を生かした一両

 

現在、多摩湖線を走るのが新101系。西武鉄道の車両のなかで唯一残る3扉車で、1979(昭和54)年に登場した車両だ。40年近く走り続ける、いわば古参といえるだろう。

↑多摩湖線の車両は新101系のみ。写真のような黄色一色、先頭車がダブルパンタグラフという新101系や、グループ企業の伊豆箱根鉄道カラーの車両も走っていて楽しめる

 

一方の国分寺線や西武園線は2000系。西武初の4扉車として登場し、こちらも40年にわたり走り続けてきた。国分寺線には2000系のなかでも角張ったスタイルの初期型の2000系も走っている。古参とは言っても、それぞれ内部はリニューアルされ、乗り心地は快適だ。

↑国分寺線の主力車両は2000系。写真は初期の2000系で、角張った正面に特徴がある。この初期型も最近になって廃車が進みつつある

 

多摩湖線には、レトロな塗装車も走っているので、そんな車両に乗りに訪れるも楽しい。

 

【補足情報その2】国分寺線と多摩湖線のおすすめの巡り方は?

昭和初期に生まれた国分寺線と多摩湖線をどう乗り継げば楽しめるだろうか。手軽に楽しめるルートを2パターン紹介しよう。

 

◆ルート例1
国分寺駅(多摩湖線) → 萩山駅 → 西武遊園地駅 →(西武レオライナーを利用)→ 西武球場前駅 → 所沢駅 → 東村山駅 → 国分寺駅
*多摩湖線の電車は国分寺〜西武遊園地間を直通する電車と、国分寺〜萩山間を走る電車がある。

◆ルート例2
国分寺駅(多摩湖線) → 萩山駅 → 西武遊園地駅 →(徒歩10分)→ 西武園駅 → 東村山駅 → 国分寺駅
*西武園〜国分寺間は、直通電車の本数が少ないので、東村山駅での乗換えが必要となる。

 

ちなみに西武園駅から徒歩約10分の北山公園では6月17日まで菖蒲まつりが開かれている。駅からは八国山緑地などを散策しつつ歩けるので、訪ねてみてはいかがだろう。

↑西武遊園地駅と西武球場前駅を結ぶ西武レオライナー(西武山口線)。大手私鉄で唯一の案内軌条式鉄道(AGT)が走っている。古くはこの路線をSLや、おとぎ電車が結んでいた

 

↑北山公園は狭山丘陵すぐそばにある自然公園で、初夏には200種類8000株(約10万本)の花菖蒲が咲き誇る。6月17日までは菖蒲まつりが開かれ多くの人で賑わう
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