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2018/8/12 18:30

東京方面行きが“下り”になる不思議ーー会津線はほのぼの旅に最高の路線

【人気の観光列車】 自然の風が楽しめる「お座トロ展望列車」

会津線には週末、観光列車も走っている。その名は「お座トロ展望列車」。2両編成で、1両はガラス窓がないトロッコ席(春〜秋の期間)、もう1両は展望席+お座敷(掘りごたつ式)席の組み合わせとなっている。

 

会津線の絶景スポットとされる3か所の鉄橋上で一時停車。絶景ビューが楽しめる。さらにトンネル内ではトロッコ席がシアターに早変わりする。

 

お座トロ展望列車は乗車券+トロッコ整理券310円(自由席)が必要になる。会津若松駅〜会津田島駅間の運転で、所要約1時間30分。のんびり旅にはうってつけの列車だ。

↑阿賀川を渡る「お座トロ展望列車」。左側のAT-351形がトロッコ席のある車両。右のAT-401形が展望席+お座敷席付きの車両だ。ちなみに阿賀川は福島県内の呼び方で、新潟県に入ると阿賀野川(あがのがわ)と名が改められる

 

↑湯野上温泉駅〜芦ノ牧温泉南駅間にある深沢橋梁。若郷湖(わかさとこ)の湖面から高さ60mを渡る橋で一時停止する。なお写真の黄色い車両AT-103形はすでに引退している

 

【歴史秘話】江戸時代の会津線沿線は繁華な街道筋だった

会津線の旅を始める前に、ここで会津、そして南会津の歴史について簡単に触れておこう。

 

まずは「会津西街道」の話から。会津西街道は会津線とほぼ平行して走る街道(現在の国道121号と一部が重複)のことを指す。会津藩の若松城下と今市(栃木県)を結ぶ街道として会津藩主・保科正之によって整備された。江戸時代には会津藩をはじめ、東北諸藩の参勤交代や物流ルートとして重用された。いわば東北本線と平行して延びる東北道とともに、東北諸藩には欠かせない重要な道路だったわけだ。

 

その栄えた面影は、大内宿(おおうちじゅく)で偲ぶことができる。すなわち、いまでこそ山深い印象がある南会津の里も、江戸時代までは華やかな表通りの時代があったということなのだ。

↑茅葺き屋根の家並みが残る大内宿。会津西街道の宿場として栄えた。会津線の湯野上温泉駅から乗り合いバス「猿游号」が利用可能。所要約20分(日に8往復あり)

 

あと忘れてならないのは、会津藩の歴史だろう。会津若松の鶴ヶ城を中心に3世紀にわたり栄えた会津藩。戊辰戦争により、西軍の目の敵とされた会津藩の歴史はいまでも、その悲惨さ、非情さが語り継がれる。会津藩の領地でもあった南会津や、会津西街道は戦乱の舞台となり、多くのエピソードが残されている。

 

【会津の人柄】朴訥な人柄を示す言葉「会津の三泣き」とは?

会津の人柄を示す言葉として「会津の三泣き」という言葉がある。

 

会津の人は山里に育ったせいか、朴訥な趣の人が多い。それはよそから来た人、とくに転勤族にとっては、時に“とっつきにくさ”を感じさせてしまう。そのとっつきにくさに、他所から来た人は「ひと泣き」する。

 

やがて暮らしに慣れると、その温かな心に触れて「二泣き」する。さらに会津を去るときに、情の深さに心を打たれ、離れがたく三度目の「三泣き」をするというのだ。

 

筆者は、個人的なことながら、会津とのつながりが深く、ひいき目につい見てしまうのだが、このような人々の純朴さは、訪れてみて、そこここで感じる。

 

先にあげたように列車に乗り降りする客人を迎え、見送る駅スタッフや乗務員の人たちの笑顔。こうした会津の人柄を知ると、旅がより楽しくなるだろう。

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