【人気の観光列車】 自然の風が楽しめる「お座トロ展望列車」
会津線には週末、観光列車も走っている。その名は「お座トロ展望列車」。2両編成で、1両はガラス窓がないトロッコ席(春〜秋の期間)、もう1両は展望席+お座敷(掘りごたつ式)席の組み合わせとなっている。
会津線の絶景スポットとされる3か所の鉄橋上で一時停車。絶景ビューが楽しめる。さらにトンネル内ではトロッコ席がシアターに早変わりする。
お座トロ展望列車は乗車券+トロッコ整理券310円(自由席)が必要になる。会津若松駅〜会津田島駅間の運転で、所要約1時間30分。のんびり旅にはうってつけの列車だ。
【歴史秘話】江戸時代の会津線沿線は繁華な街道筋だった
会津線の旅を始める前に、ここで会津、そして南会津の歴史について簡単に触れておこう。
まずは「会津西街道」の話から。会津西街道は会津線とほぼ平行して走る街道(現在の国道121号と一部が重複)のことを指す。会津藩の若松城下と今市(栃木県)を結ぶ街道として会津藩主・保科正之によって整備された。江戸時代には会津藩をはじめ、東北諸藩の参勤交代や物流ルートとして重用された。いわば東北本線と平行して延びる東北道とともに、東北諸藩には欠かせない重要な道路だったわけだ。
その栄えた面影は、大内宿(おおうちじゅく)で偲ぶことができる。すなわち、いまでこそ山深い印象がある南会津の里も、江戸時代までは華やかな表通りの時代があったということなのだ。
あと忘れてならないのは、会津藩の歴史だろう。会津若松の鶴ヶ城を中心に3世紀にわたり栄えた会津藩。戊辰戦争により、西軍の目の敵とされた会津藩の歴史はいまでも、その悲惨さ、非情さが語り継がれる。会津藩の領地でもあった南会津や、会津西街道は戦乱の舞台となり、多くのエピソードが残されている。
【会津の人柄】朴訥な人柄を示す言葉「会津の三泣き」とは?
会津の人柄を示す言葉として「会津の三泣き」という言葉がある。
会津の人は山里に育ったせいか、朴訥な趣の人が多い。それはよそから来た人、とくに転勤族にとっては、時に“とっつきにくさ”を感じさせてしまう。そのとっつきにくさに、他所から来た人は「ひと泣き」する。
やがて暮らしに慣れると、その温かな心に触れて「二泣き」する。さらに会津を去るときに、情の深さに心を打たれ、離れがたく三度目の「三泣き」をするというのだ。
筆者は、個人的なことながら、会津とのつながりが深く、ひいき目につい見てしまうのだが、このような人々の純朴さは、訪れてみて、そこここで感じる。
先にあげたように列車に乗り降りする客人を迎え、見送る駅スタッフや乗務員の人たちの笑顔。こうした会津の人柄を知ると、旅がより楽しくなるだろう。