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2018/10/7 17:30

横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅

【高島線をたどる5】昭和40年まで臨港線の路線整備が続いた

ここで高島線の歴史にふれておきたい。

 

ご存知のように横浜の開港は鎖国が解かれた江戸時代末期のこと。新橋駅〜横浜駅(現・桜木町駅)を結ぶ路線が日本初の鉄道として1872(明治5)年に開業した。しかし、横浜港を結ぶ鉄道路線の開業は、意外なことにだいぶ後のことだった。

 

その理由は、船と岸壁間の輸送の主役だった艀(はしけ)の権益が強く主張されたため。また横浜港の整備や拡張・増設に時間がかかったためだった。

↑大正時代に発行された「横浜新桟橋」の絵葉書。同ポイントは新港埠頭3号岸壁でクレーン下に引込線が確認できる。現在は赤レンガパークが広がるところ(絵葉書は筆者所蔵)

 

横浜港に鉄道が初めて延びたのは1911年(明治44)年のこと。東神奈川駅と海神奈川駅(現在の千鳥橋踏切と瑞穂橋梁の間にあった)間に線路が敷かれた。

 

ちょうどその年に、横浜駅(現・桜木町駅)と横浜港荷扱所の間、0.8km間の路線(横浜臨港線とも呼ばれる)が開業した。以降、横浜港を巡る路線は徐々に整備されていき、1917年(大正6)年に鶴見駅〜高島駅間の路線が開業し、現在の高島線が全通している。

↑昭和40年代の横浜東部の地図を見ると、港は横浜駅近くまで入り込み、また高島線の線路(臨港線)も山下埠頭へ延びていた(国土地理院「横浜東部」2万5千分の1、昭和42年10月10日発行)

 

上の地図は昭和40年代のものだが、1965(昭和40)年に横浜港〜山下埠頭間の路線が開業、この当時が、最も横浜港を巡る線路網が充実していた時代でも合った。同臨港の輸送量が、国内の鉄道貨物輸送量の1割近くを占めるまでに延びたとされる。

 

その後、鉄道貨物輸送からトラック輸送へのシフトが始まり、昭和50年代も半ばに入ると、港湾部の路線がどんどん廃止されていく。

 

1989(平成元)年に、横浜市制100周年、開港130周年を祝い「横浜博覧会」が開かれた。この博覧会の期間中、桜木町から先の路線(横浜臨港線)を走る特別列車が運行された。これが臨海部を走る最後の列車となった。

 

その後、臨海部の路線はどうなったのだろう。旧路線跡をたどった。

 

【高島線をたどる6】ウッドデッキが敷かれた汽車道を歩く

◆高島線を歩くその3◆
桜木町駅 → 0.2km徒歩約2分 → 日本丸 → 0.65km徒歩約7分(汽車道) → ホテルナビオス横浜 → 0.5km徒歩約6分 → 旧横浜港駅 → 0.5km約6分 → 山下埠頭線プロムナード → 0.5km徒歩6分 → 山下公園 *同区間2.4km徒歩約30分

高島線(横浜臨港線)は、かつて桜木町駅から先、港湾部まで線路が延びていた。その線路が今も残されていて、廃線跡を偲ぶことができる。

 

臨港線では桜木町駅からまず2つの人工島を造って、途中の艀が通る水路部分に鉄橋を架けた。そのルートを生かしたのが「汽車道」と名付けられた遊歩道。線路が敷かれたままで、線路にはウッドデッキがかぶせられ、歩きやすくなっている。

↑桜木町駅から続く臨港線の路線跡は遊歩道「汽車道」となっている。橋桁に付く銘板を見ると1907(明治40)年、アメリカン・ブリッジ製とあった

 

↑臨海パークから見た汽車道。横浜臨港線は艀(はしけ)の出入りを考慮。大岡川河口に2つの人工島を造り、さらに橋で結ぶという手間のかかった路線造りを行った

 

試しに汽車道に残された線路の幅をメジャーで測ってみると1067mm! つまり在来線の線路幅のままだ。

 

ここを列車が走ることはもうないだろうが、桜木町駅や最寄り駅から意外に遠い施設もあり、歩くとかなり距離がある。将来、ライトレールと呼ばれる現代風の路面電車を走らせたらおもしろいだろうに、とふと感じた。

↑汽車道には線路も残されている。ウッドデッキで覆われているので歩きやすい。試しにメジャーで測ったら1067mm。在来線の線路幅のままだった

 

↑汽車道を通る線路は横浜赤レンガ倉庫方面に延びている。みなとみらいに立つホテルナビオス横浜の下は大きく開けられ、下を線路と遊歩道がくぐっている

 

線路が残る遊歩道はホテルナビオス横浜の建物をくぐり、万国橋交差点まで延びている。

 

さらに港側へ歩いて行くと、商業施設「MARINE & WALK YOKOHAMA」と「横浜赤レンガ倉庫」の間に旧横浜港駅プラットホームがある。ホーム近くには線路も残っている。

 

ここは新港と呼ばれる地区で、1911年(明治44)年、臨海部初の路線が敷かれた。旧横浜港駅へは旅客列車も運行され、国際航路を乗船した人たちが、ここから列車に乗車して横浜駅や東京駅を目指した。

↑新港にある旧横浜港駅プラットホーム(旅客昇降場)。1920(大正9)年には同駅へ向けて東京駅発の汽船連絡列車も運転が始まった。往時のプラットホームは長さが140mもあったと伝わる

 

旧横浜港駅のプラットホームからは赤レンガパーク越しに、現在、旅客船が多く寄港する横浜港大さん橋国際客船ターミナルを望むことができる。大さん橋に横付けされた巨大で美しいクルーズ船。時代の変貌ぶりが強く感じられるポイントだ。

↑旧横浜港駅プラットホームがある赤レンガパークから、横浜港大さん橋を望む。国際客船ターミナルがあり、写真のような世界を旅する大型クルーズ船も寄港する

 

臨港線の線路は、旧横浜港駅の横に立つ横浜赤レンガ倉庫の前を抜けて、さらに山下公園へ延びていた。

 

横浜赤レンガ倉庫の先に架かる新港橋に併設された遊歩道用の鉄橋は、旧臨港線の線路だったところ。ここにも線路が残っている。さらにその先の象の鼻パークからは高架線が山下埠頭へ向けて延びていた。この高架は遊歩道となり、山下公園の入口まで「山下埠頭線プロムナード」の名で整備されている。

↑横浜赤レンガ倉庫の南側に架かる新港橋。写真でわかるように線路が敷かれたままで、ウッドデッキが付けられる。臨港線の路線は写真の手前側、山下埠頭まで延びていた

 

↑臨港線の旧高架線は山下埠頭線プロムナードとして整備される。写真の正面に見えるみなとみらい地区は、高島線の高島駅や東横浜駅、三菱重工横浜工場の跡地が整備され造成されたものだ

 

汽車道や山下埠頭線プロムナードを多くの人たちがのんびり散策している。歩いている人たちのうちどのぐらいの方が、かつて、この遊歩道を旅客列車や貨物列車が走っていたことを知っているのだろう。

 

横浜の変貌ぶりに驚くとともに、鉄道好きにとっては、ちょっと寂しさを感じる臨港エリアでもある。

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