【発見の旅3】沿線で多く使われるレトロ感たっぷりの架線柱は?
寄り道がやや過ぎた。先を急ごう。
高崎駅を出た電車は高崎市街を抜けて南下。南高崎駅、そして佐野のわたし駅を停車しつつ進む。この駅の先で烏川(からすがわ)を渡る。対岸に渡り、さらに山名駅まで南下、ここでカーブを大きく描き、西へ向けて走り始める。
さて、上信電鉄ではコンクリートの架線柱以外に、深緑色に塗られた鉄の架線柱を多数、利用している。レトロ感たっぷり旧レールを使った架線柱だ。ある柱の刻印を見ると「UNION D 1885 N.T.K」とあった。
この刻印された架線柱は上信電鉄では最古に近いものだと分かった。「UNION」とはドイツのウニオン製を表す刻印。1885年製と、今から130年も前に造られたレールだ。きっと海を越えて運ばれ、はるばる群馬の地で鉄道の開業当時に使われたレールなのだろう。1世紀以上たっても架線柱に姿を変え現役として頑張っている。
木造の架線柱に比べて、鉄製ともなれば、塗装し、メンテナンスさえしていれば、ほぼ耐用年数がないに等しいものだろう。開業した軽便鉄道頃の遺産がこうして今もこうして生かされていることに驚きを感じざるをえない。
【発見の旅4】南蛇井駅 –− さてこの駅は何と読むでしょうか?
山名駅を過ぎると沿線には群馬らしい田畑風景が広がる。上州福島駅を過ぎれば間もなく世界遺産に登録された富岡製糸場の最寄り駅、上州富岡駅に到着する。同駅で乗車していた人たちの多くが降りていく。さすが世界遺産に登録されたご威光なのだろう。
さらに電車は走り、上信越自動車道の高架橋の下をくぐる。そして着いたのが南蛇井駅。さてこの駅名、何と読む?
読み方はなんと「なんじゃい」だ。
「なんじゃい」その読み方は、と言うなかれ。伝説を元にして生まれたしっかりした地名なのだ。その言われは次の通り。
すぐ近くを流れる鏑川(かぶらがわ)のほとりに、温井(ぬくい)という夏は冷たく冬は温かい泉があり、蛇が集まって暑さ、寒さをしのいだとされる。「南」の方にあった「蛇」が好む「井」戸ということ「南蛇井」という土地名となったそうだ。もちろん、こうした地名には諸説ありなのだが、この説が最も一般的とされているようだ。
さて難読駅名の南蛇井駅を過ぎ、路線は険しさが増してくる。次の千平駅(せんだいらえき)と下仁田駅間は、路線の中で最も険しいところ。鏑川に沿って右に左にカーブを描きながら電車は走る。
白山トンネルを抜けて国道254号に沿ってしばらく走れば、間もなく終点の下仁田駅に到着する。高崎駅から下仁田駅まで、約1時間の行程だ。下仁田駅では平屋の古風な駅舎が出迎える。駅構内には留置線が並ぶ。
電車はここで折り返しとなるが、使われる電車の変更などで時に入れ換え作業が行われることがある。古風な転轍機を動かし、手旗信号で誘導するシーンなど、ローカル線ならではの趣ある光景に出くわすこともある。