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2018/11/25 17:30

日本最古級のお宝電車が走る「琴平線」に乗車ーー 讃岐らしい風景に癒される

 

【琴平線のお宝3】かつて都市部を走った名車両たちが集結

琴平線を走る電車は現在5種類の車両が使われる。かつてはみな都市部を走った車両ばかりだ。京浜急行電鉄(以降「京急」と略)や京王電鉄での主力車両として活躍し、現在は琴平線で“第二の人生”を過ごしている。それぞれの生い立ちをたどろう。

 

◆琴平線600形 元名古屋市営地下鉄1600形、1900形

↑600形は元名古屋地下鉄の名城線を走っていた電車だ。主に琴平線では朝のラッシュ時に使用され、高松築港駅〜仏生山駅・一宮駅間を走る。日中は仏生山駅の南側にある側線に停められていることが多い

 

琴平線の600形は名古屋市営地下鉄名城線を走っていた1600形、1700形だ。志度線、長尾線用に、ことでんが譲り受けた車両で、長尾線で余剰になったことから、琴平線用に使われている。15.5mと他車両に比べて短く、輸送力が劣ることから、主に朝のラッシュ時に使われている。

 

◆琴平線1070形 元京急600形

↑1070形は、京急当時、快速特急として利用された600形(2代目)で人気の車両だった。ことでんにやってきた後は正面が2枚窓から貫通トビラ付きに改良されている

 

琴平線の1070形は、元京急の600形だった車両。6両が高松へやってきて、そのうち4両が今も走り続けている。

 

京急では1956(昭和31)年に導入、正面が2枚窓の姿がおなじみで、快速特急として活躍した。ことでんに来た後は、正面に貫通トビラを設けたため、面立ちはずいぶん変ってしまったが、今でも人気車両であることは変わりない。製造から60周年を迎えたこともあり2017年の秋から数回にわたり、特別運行が行われ注目を浴びた。

 

◆琴平線1080形 元京急1000形

↑高松城趾を横に見て走る琴平線1080形。琴平線の冷房化に役立った車両だ。現在も琴平線の主力車両で、写真のように派手なラッピング広告をまとった車両が増えている

 

ことでんには元京急の車両が多い。京急がことでんと同じ1500Vで電化され、線路幅も1435mmと同じ。大きく手を加える必要がないためだ。この1080形も京急の元車両で、京急では1000形(初代)として走った。1959(昭和34)年から製造を開始。都営浅草線への乗り入れ用として計356両が造られ、2010年まで活躍した。

ことでんには1988(昭和63)年から1991(平成3)年にかけて計12両が入線、現在も10両が在籍する。

 

◆琴平線1100形 元京王電鉄5000系

↑琴平線の1100形は元京王電鉄京王線用5000系。車両の長さが18mとやや短く使いやすいことから、多くの地方鉄道に引き取られていった。ことでんには8両が在籍する

 

琴平線を走る1100形は、元京王電鉄の初代5000形で、京王線が1500Vに昇圧した1963(昭和38)年に導入された。ことでんへやってきた車両は、その最終盤の1969(昭和44)年に造られた車両で、1997(平成9)年から琴平線を走り始めている。

 

京王線が1372mmという特殊な線路幅ということから、台車を京急の1000形のものに履き替えた上で、ことでんに入線している。

 

◆琴平線1200形 元京急700形(2代目)

↑元京急700形を利用した琴平線1200形が、土器川橋梁を渡る。写真の1205編成は金刀比羅宮(ことひらぐう)の全面ラッピング車で、「しあわせさんこんぴらさん号」と名付けられている

 

琴平線を走る1200形は琴平線で最も多い14両と主力車両として使われている。元は京急の700形で、1967(昭和42)年から導入された。京急700形は同社初の4扉車で、本線の普通列車として使われる予定だった。ところが加速性能に問題があったことから、大師線やラッシュ時用の優等列車に使われた車両だ。ことでんでは2003(平成15)年から運用開始、琴平線だけでなく、長尾線も走っている。

 

【琴平線のお宝4】高松築港駅では内堀の魚たちに注目したい

車両の話が長くなってしまった。このあたりで琴平線の沿線模様に戻ることにしよう。琴平線の起点は高松築港駅だ。この駅、初めて訪れた時はちょっとびっくりさせられた。

 

駅のすぐ横に高松城趾がある。もちろん高松城が造られた方が駅の開設よりもずっと前のことで、西暦1590年のこと。讃岐国を治めた大名、生駒親正(いこまちかまさ)により築城された。江戸時代には高松藩の藩庁が置かれた。生駒家が17世紀中ごろに転封されて以降は、親藩である松平家(水戸徳川家の血を受け継ぐ)の統治が続き、明治を迎えている。

 

松平家は高松藩を長年治め、特に水利の悪い讃岐の地でかんがい用のため池の整備に力を投じたとされる。これが讃岐にため池が多い一つの理由となっている。

↑高松築港駅はJR高松駅から約300m、徒歩で約5分の場所にある。駅の裏手に高松城趾があり、取り巻く緑が印象的だ。ことでん琴平線と長尾線の電車の始発駅となっている

 

高松城は瀬戸内海に面して造られた海城。内堀には海水が流れ込んでいる。高松城跡は玉藻(たまも)公園として親しまれていて、園内では堀を泳ぐ鯛に向けてのエサやり体験が楽しめる。この体験の名は「鯛願城就(たいがんじょうじゅ)」と名付けられている。

 

さて高松築港駅のホームからも、そんな高松城趾の様子を望むことができる。琴平線用の1番線が城趾の横にあり、ホームの壁は城趾の石垣そのものだ。さらに、ホームの中ほどが内堀に面している。目の前に高松城の二の丸と天守閣跡を結ぶ木の橋・鞘橋(さやばし)が見える。またホームのすぐ横にある内堀に、魚が群れる様子が楽しめる。

 

1番線ホームに高松城と内堀の案内板がある。この案内によると、内堀にはクロダイ・マダイやスズキ、ボラ、ヒラメ、フグといった魚が生息しているそうだ。

 

駅のホームが室町時代に建てられた城趾に接していて、さらに内堀が眺められ、しかも海の魚たちが泳ぐ姿が楽しめる。このような駅は、日本の数ある駅の中でも、たぶん高松築港駅のみではないかと思われる。

↑琴平線の電車の到着を待つ間に、ぜひホームから高松城趾の内堀の様子を楽しみたい。海水が流れ込むため、多くの海水魚が生息する。稚魚のうちに水門の網をくぐり城の堀の中に入り、この内堀で成長した魚たちだとされる

 

高松築港駅を発車した電車は高松城趾の周囲を回り込むように走っていく。左手には内堀、そして艮櫓(うしとやぐら)を過ぎると、電車は高松の繁華なエリアへ進んで行く。2駅目が瓦町駅(かわらまちえき)。ことでんで最も大きな駅で、同会社のターミナル的な役割をしている。志度線と長尾線の乗換駅としても機能している。

↑琴平線の沿線で最も大きな駅である瓦町駅。駅上にコトデン瓦町ビルが建つ。駅前はJR高松駅前よりも賑わいが感じられる。駅ビルは、現在テナントビルとなっているが、同ビルの経営はことでんにとって、重荷となった時代があった(詳細は後述)
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