【廃線に至るまで①】最盛期に比べて人口は93%減という状況に
まずは夕張市の人口の推移を見てみよう。人口が最多となったのは1960(昭和35)年のことで、人口は11万6908人を記録している。
沼ノ沢駅の駅舎内で31年にわたりレストランを営む「レストランおーやま」のご主人、大山幹雄さん(66歳)。若いころには帝国ホテルのレストランでフライパンを握った経験を持つ。賑やかだったころのことを、こう振り返った。
「私は駒大岩見沢高校へ通っていたのですが、夕張線では最盛期、D51形蒸気機関車が客車6両を牽いていました。混んでいる列車に上り下り揺られて片道1時間半かけて通ったものでした」。高校2年生の時にSLの牽引からディーゼルカーに変ったが、混雑ぶりは相変わらずだったそうだ。
しかし、相次ぐ炭鉱の閉山で人口は急激に減少していく。1965(昭和40)年には10万人を切り9万1183人に。1977(昭和52)年には5万人を切って4万8663人となった。
歯止めはきかず、1992(平成4)年に2万人を切り、1万9956人となった。その後、20年にわたりかろうじて1万人台を維持していたが、2013年に9968人となり、今年の1月1日には8087人にまで減ってしまっている。
現在の人口はピーク時のなんと6.9%という状態で、これでは夕張支線に乗客が乗っていないという現象もおかしくないところだろう。
夕張市の面積は763.07平方kmある。この面積は東京の23区がある東京都区部(626.70平方km)よりも広い。その大きな土地に8000人という人口なのだから想像が付き難い。
加えて夕張市は道内でも高齢化が著しく進んでいる町となっている。平均年齢は59.3歳(平成27年度調べ)で、道内でランキング1位だ。ちなみに札幌市は46.2歳。つまり働き盛りの若い世代が少ないわけだ。さらに65歳以上の高齢化率は50.55%で全国にある815市区の中で、1位となっている。
【廃線に至るまで②】北海道新幹線の開業年に列車本数が激減した
今からちょうど10年前の2009年春の時刻表を見ると夕張支線は9往復の列車が走っていた。夕張駅着の最終列車は21時52分着と、地方路線としては“まっとうな”時刻に走っていた。
長年、この9往復体制が続いていたが、大きく変わったのが2016年3月26日のダイヤ改正からだった。この年に北海道新幹線の新青森駅〜新函館北斗駅間が開業している。北海道民としては長年の夢だった新幹線が北海道乗り入れを果たした。
ところが、当初から北海道新幹線の延伸は、JR北海道の経営を圧迫することになることが予想された。そのためJR北海道では採算が取れていないローカル線の列車本数を減らすなど事前の対策を打ち出した。
2016年3月のダイヤ改正以降、夕張支線の列車が9往復から、5往復となっている。列車の減便は市内の人の移動を鈍らせる結果となったことは否めない。
乗客が減って稼げないから、鉄道会社も列車を減便していく。減便して不便になった分、さらに乗客が減っていく。負の連鎖を見る思いだった。
「レストランおーやま」の店主、大山さんは、その状況をつぶさに見てきた。「乗客がどーんと減っていったわけでなく、徐々に、じわじわと減っていったんです」と話すのだった。
【廃線に至るまで③】夕張市も“条件付き”での路線廃止に応じた
夕張市の人口が減った一つの要因として市の財政破綻に関して触れておかなければいけないだろう。炭鉱の廃坑がつづいているさなか、夕張市では石炭から観光を中心にした町造りへ、舵を大きく切った。ところが造った施設が思い通りに客を呼ぶことには結びつかず、いつしか巨額の債務を抱えていった。
2007(平成19)年3月6日には全国で2例目の財政再建団体となった。自主財政再建団体とは自主再建が困難な破綻状態の自治体を指す。夕張市の運営は国の管理下に置かれつつ、財政再建を進めていくこととなった。2027年度に借金の完済を目指しているが、住民サービスの低下や税金などの負担が増えるなど、住人にとって厳しい現実に直面することになった。
その後の、2011(平成23)年には当時30歳という若さで鈴木直道現市長が当選する。鈴木市長は自らの給料を低く抑え、退職金100%カットをはじめとするさまざまな施策を取り入れるなどして、積極的な改革を推し進めた。
その鈴木市長が率いる夕張市が2016年8月8日、夕張支線の廃止を“条件付き”で容認したのだった。
それに合わせてJR北海道から2016年8月17日に夕張支線の鉄道事業の廃止が発表された。すでにJR北海道では複数の閑散路線の廃止の検討を地元自治体に提案しているが、廃止されることになったのは夕張支線が初めてのこととなった。
2018年3月23日にはJR北海道と夕張市が廃止について同意。さらに3月26日にはJR北海道から国土交通大臣宛に鉄道事業廃止届が提出された。
さて前述した「条件付き」の条件とはどのような内容だったのだろう。
昨年の3月に発表された内容によると「JR北海道は、鉄道事業廃止後、夕張市において持続可能な交通体系を再構築するために必要な費用として7億5千万円を拠出すること」。さらに、
「JR北海道は、夕張市が南清水沢地区に進めている拠点複合施設に必要となる用地を一部譲渡すること」としている。
4月から夕張支線に代わる代替バスが新夕張駅から夕張支線沿いに走り始める。バスは夕張鉄道株式会社が運営する夕鉄バスによって運行される予定。新夕張駅〜石炭博物館は日に10往復のバス便が予定されている(夕鉄バスターミナルでの乗継ぎ便も含む)。鉄道好きとしては悲しいことだが、列車よりも俄然、便利になるわけだ。
このバスとデマンド交通機関をリンクさせる試みや、高齢者を念頭にしたタクシー乗車料金補助制度などを一部の地区で取り入れている。
さらに夕張中学校、夕張高校がある南清水沢地区に、交通の結節点の機能と文化施設の役割を合わせ持つ拠点複合施設の建設が2019年度中の完成を目処に着工されている。
沼ノ沢駅の駅舎で長年にわたり営業を続けてきた「レストランおーやま」はどうなるのだろう。大山さんにうかがうと、
「一時は、市が駅舎を買い取って賃貸契約を結ぶという話があったのですが、いつしかそんな話はしなかったという話に。毎月のようにJRの担当者が来られて今後どうするかという話をされていきますが、どうにも結論が出ないのです」。
JR北海道としては廃線となることだし、線路や駅舎は危険のないようにしておきたいというところなのだろうか。
一方で、沼野沢駅で営業を続けてきた大山さんや、夕張駅近くで商売を営む人たちなど、沿線に住む人々の暮らしは廃線された後も続いていく。路線はなくなっても、まだまだ難しい問題は抱えているようだ。
廃線への流れが進むさなか、夕張市を率いてきた鈴木直道市長が、2月1日に北海道の知事選に出馬することを表明した。
市民にはやはりそうだったのか、という思いと、「少なくとも借金完済までは面倒を見て欲しかった」という声が聞かれた。所詮、短期間の旅をした筆者に是非を言う権利はないものの、夕張支線の廃線を無念に感じるとともに、やるせなさが残った旅となった。
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