おもしろローカル線の旅36 〜〜JR武豊線(愛知県)〜〜
愛知県内を走る武豊線(たけとよせん)。地元の方々を除き、その名を聞いてすぐに思い出した方は、かなりの鉄道通といって良さそうだ。実はこの武豊線、1886(明治19)年開業と、愛知県で最も古い由緒ある路線なのだ。
この武豊線に乗ると「へえ〜」という発見に多く遭遇した。老舗路線だからこその歴史的な施設も残っていた。そんな不思議発見、そして謎解きを楽しんだ。
【武豊線の謎①】なぜ武豊線が愛知県初の鉄道路線となったのか?
歴史に触れる前に、武豊線の概要を見ておこう。
路線と距離 | JR武豊線・大府駅(おおぶえき)〜武豊駅19.3km |
開業 | 1886(明治19年)年3月1日、武豊駅〜熱田駅(現・東海道本線)間が開業 |
駅数 | 10駅(起終点を含む) |
大府駅〜武豊駅間の全線が単線で、走る列車は普通列車のみ。朝晩を除き列車は30分間隔で走り、大府駅から終点の武豊駅までは32分ほどかかる。朝晩は、名古屋駅(一部は岐阜駅・大垣駅)間との直通列車が走る。
武豊線の歴史を振り返ってみよう。
新橋駅(仮営業期間は品川駅)〜横浜駅(現・桜木町駅)間に日本初の路線が生まれたのが1872(明治5)年のこと。その2年後には大阪駅〜神戸間の路線が開業した。明治政府はこの東西の路線を少しでも早く結ぶことに心血を注いだ。
路線は徐々に東西から延ばされていった。東と西の路線の延伸は順調に進められたものの、さらに路線の延伸を加速させるためには東海地区からの路線開業が不可欠と考えられた。この地区にどうやって建設資材を運べば良いか。この課題を解消すべく生まれたのが武豊線だった。武豊駅近くの武豊港(現・衣浦港)に建設資材を陸揚げ、誕生したばかりの武豊線を利用して運んだ。
武豊線を開業させた効果は大きく、1887(明治20)年4月25日には、武豊駅〜長浜駅(滋賀県)間が開業。1988(明治21)年9月1日には大府駅〜浜松駅間が開業している。
1889(明治22)年7月1日には、後に東海道本線となる新橋駅〜神戸駅間が全通した。武豊線の開業からわずか3年ほどの期間でこの長い路線を開業させたというのだから、当時の突貫工事ぶりが目に浮かぶ。
【武豊線の謎②】なぜ愛知県最後の電化路線となったのか?
愛知県で一番古い路線である武豊線。その一方で、電化されたのはごく最近の2015(平成27)年3月1日のことだった。愛知県内のJRの旅客路線としては最も遅い電化路線となった。なぜ、遅くなったのだろう?
JR東海の在来線には非電化区間が意外に多い。高山本線、関西本線(亀山駅以西)、紀勢本線、参宮線など、多くの路線が非電化のまま残る。武豊線は首都圏や京阪神といった尺度で見れば電化が遅めで、愛知県内では最後の電化路線となったが、JR東海の在来線の中では電化が決して遅くなかったことがわかる。
その一方で、武豊線は今も「地方交通線」に分類されている。地方交通線とは日本国有鉄道(国鉄)の末期に、全国の路線を「幹線」と「地方交通線」に分けたもので、地方交通線とは「適切な措置を講じたとしてもなお収支の均衡を確保することが困難であるもの」とされている。
地方交通線は、その運行を維持するために基準となる運賃に加算額が上乗せされている。武豊線の場合は路線距離が短いこともあり、同線内では幹線とほぼ同じ運賃となっているが、武豊線以外の駅からの直通運賃を支払う場合には地方交通線の料金が適用される。
とはいえ、「収支の均衡を確保することが困難であるもの」である地方交通線に分けている現状にはちょっと疑問も残る。
地方交通線に指定された一つの基準として輸送密度がある。地方交通線の輸送密度は8000人(日)以下とされる。武豊線は2008年度の段階ですでに9156人と基準となる輸送密度を超えている。さらに武豊線の10の駅のうち4駅が11万人都市の半田市内にある。半田市は名古屋のベッドタウンとして成長している都市だ。さらに中部国際空港にも近く、沿線での工業生産も盛んだ。
こうした取り巻く環境にも関わらず、実際に乗車してみると、朝夕を除いて走る列車の車内は空き気味だ。その理由は後述するとして、日中の武豊線はローカル線の雰囲気そのものだった。
路線の高架化などの都市再開発計画もこれまでなく、近代化という影響を受けなかったこともあり、貴重な鉄道遺産が数多く残されていることも武豊線の魅力となっている。