【左沢線の秘密⑩】最後に左沢の地名の由来をひも解く
たどってきた左沢線の旅。最後に、どうして左の沢と書いて「あてらざわ」と読ませるのか。このあたりの謎をひも解いてみよう。
諸説あるが、代表的なのが「あちらの沢」が「あてらざわ」となった説。なぜ「こちらの沢」が右側で、「あちらの沢」が左側になったのかは疑問が残るが、あちらは左だったので「左沢」としたという。
さらに大江町を治めた領主・大江氏が山に登った時に、左に見えた山谷を「あちの沢」と称し、それが「左沢」の語源になったという説も残る。また、東北地方の地名の語源として多いアイヌ語を元にするという説も残る。
要は古くから地名と使われてきただけに、「絶対にこれ」という説はないようだった。
地名の由来についてはさらに謎が深まってしまったが、次回は、もっとゆっくりと巡ってみたいと感じさせる左沢線の旅だった。
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