【長井線の疑問⑧】蚕桑駅の横に連なる木々はいったい?
古い駅舎が残る駅として紹介した長井駅と羽前成田駅。その間にあるのがあやめ公園駅だ。この駅、長井線では2002(平成14)年開設と新しい。長井線では、あやめ公園駅や四季の郷駅(2007年開設)と新たに開業した駅がある。
駅と駅の距離を短くして利用者の利便性を高める。比べては申し訳無いが、JR山形線では赤湯駅の前後区間など、駅間がかなり離れたところが多い。一方で地方自治体絡みで運営される第三セクター鉄道の長井線。このあたり利用者サイドに立てる強みなのだろう。
あやめ公園駅、羽前成田駅を通り白兎駅へ。白い兎と書いて、そのものずばり「しろうさぎ」と読む。地元が白兎地区だったため、この駅名となった。ただし地区名は「しろさぎ」と読む。駅名は「しろうさぎ」だ。さらに小さな白い駅舎はウサギの耳のイラスト入りだ。
ちなみに長井線の宮内駅ではウサギの「もっちぃ」が名物駅長として勤務。人気となっている。この人気にあやかってということらしい。
さて白兎駅の次は蚕桑駅。さてこの駅名、何と読むのでしょうか? かなりの難読駅です。
蚕(かいこ)の桑と書いて、「こぐわ」と読ませる。路線が開業した1922(大正11)年からある駅で、現在は白鷹町ながら、古くは蚕桑(こぐわ)村内の駅だった。それこそ養蚕に必要な桑を盛んに植えられた地域なのだろう。
さてこの蚕桑駅のホームを包むように西側に美林が連なる。この林は雪が多く、また冬に季節風が強い地方で多くが見られた鉄道防雪林だ。かつて北国の鉄道路線では、こうした林を育てることで風を防ぎ、また雪を防ぐことで、列車の遅れが生じることを防いだ。
現在では用地確保と、樹林を育てることに時間と手間がかかり、防雪林は重視されていないが、こうした先人の知恵をこの蚕桑駅では見ることができる。
【長井線の疑問⑨】日本最古の鉄橋がどうしてここに?
長井線の旅も最終盤。白鷹町(しらたかまち)に入り、白兎駅、蚕桑駅(こぐわえき)、鮎貝駅(あゆかいえき)と動物や昆虫、魚絡みの名前が続く。町名も白鷹なのだから、そうした動物絡みの名が多いことも不思議がないのかも知れない。
開設が他の駅とくらべて新しい四季の郷駅を過ぎると、列車はカーブしつつ坂を上り最上川の堤防へ至る。ここで2度目の最上川との出会い、古風な形の鉄橋で川を渡る。
荒砥駅の手前で渡る最上川橋梁は日本の鉄道史でも、今となっては歴史的な財産とも言える橋が残っていた。なんと日本一古い鉄橋があったのだ。
さて、長井線が開業したのは大正時代。もっと古い鉄橋があるのでは、とお思いの方もあるだろう。長井線の橋梁に使われる資材は、以前は東海道本線の木曽川橋梁に使われていたものだった。木曽川橋梁は1887(明治20)年に建造された。設計は日本の鉄道史に大きな功績を残したイギリス人技術者のC・ポナール。イギリスから取り寄せた資材を使って造られた。
その後に木曽川橋梁は2代目となりかけ替え、その古い橋梁を移設したのが長井線の最上川橋梁だった。ダブルワーレントラス橋と呼ばれる構造で、鉄橋の上の桁部分に三角形の鉄骨資材を組み合わせた構造が用いられている。
長井線に明治期に造られた橋の資材が使われていたとは。同橋は土木学会選奨土木遺産に選ばれている。また経済産業省の近代化産業遺産にも選ばれている。
さらに、この橋は頑丈で、最上川で起きた水害にもたびたび耐えて抜いてきた。長井線を水害から守ってきた優れた“守り神”だったわけである。