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2019/7/7 17:00

奥州三名湯・飯坂温泉へ走る福島交通の「いい電」10の秘密

【いい電の秘密⑥】今やこの駅のみ「岩代国」にちなむ駅名が残る

JR東北本線を越えたいい電は、しばらく盛土を走り、右に緩やかなカーブを切り、次の駅、岩代清水駅へ到着する。

 

この岩代清水駅。今となっては珍しい駅名なのだ。

 

↑JR東北本線を越え、岩代清水駅へ向かう下り電車。信夫山は桜の名所としても知られる。東北本線との立体交差区間を過ぎた付近にも桜の木が連なって植えられていた

 

↑ホームひとつの簡素な岩代清水駅。今では珍しくなった「岩代」という地名を残している。入口には交通系ICカード読み取り機があるが、いい電路線内では、「NORUCA」という専用カードのみの利用に限定されている

 

岩代清水駅に付く「岩代」という地名。元は「岩代国」という地方区分された地名を元にしている。かつて「岩代」という地名は、岩代清水駅以外に、磐越西線の岩代熱海駅(現在の磐梯熱海駅)といった駅にも付けられていた。また磐越西線の始まりが岩越鉄道であったように、岩代国を元にした名前がちらほらみられた。岩代(現在の二本松市の一部)という町もあった。

 

ところが、岩代と付く駅名は今はやこの岩代清水駅のみとなっている。岩代国は福島県の西部地域の呼び名で、現在ほとんど忘れられ、使われなくなっているようだ。この岩代国、実は明治元年に設けられた国の名前。それまでこの地方は会津藩、二本松藩、梁川藩(やながわはん)などのいくつかの藩に分かれていた。

 

つまり戊辰の役後、明治政府によって付けられた地域の名前で、当初は使われていたものの、浸透していないようだ。裏には戊辰の役で、敗れてしまった側の思い、お仕着せの地方名は使うまい、という思いもあったのではなかろうか。

 

 

【いい電の秘密⑦】平行して走る道路名は県道「福島飯坂線」

岩代清水駅を発車したいい電。線路の左側に片側一車線の道路がほぼ平行して走るようになる。

 

この道路、県道(主要地方道)3号線で、福島市街と飯坂温泉を結ぶ地域では重要な道路だ。いい電と並走する区間は飯坂温泉駅の手前、花水坂駅まで。6kmに渡って県道に沿って延びる。

 

↑桜水駅の横を走る県道3号線。6kmにわたり、いい電と並走している。朝夕は混みあいがちな県道。渋滞する車の列をしりめに、電車はすいすい走る。ホームにあるレトロな接近表示(写真左上)。なぜか隣駅ではなく、2駅手前の駅の医王寺前の名が表示されていた

 

地元の人たちには「飯坂街道」の名で呼ぶ県道3号線。「福島飯坂線」という名前でも呼ばれる。いい電は正式名が福島交通飯坂線だから、非常に似通った名前で呼ばれているわけだ。

 

その県道3号線の横にある桜水駅。この駅には車両基地と検修施設がある。今は常時、走っていない7000系も、2両1編成が停められていた。

 

↑桜水駅に併設された車両基地。左に3両編成の1000系電車が停まる。主に朝夕のラッシュ時に使われている。7000系(写真中央)は2019年3月31日に定期営業を終了したのちも車両基地内に停められていた

 

路線距離9.2km中の6kmという3分の2の区間を県道3号と並走することもあり、この区間の風景は似ている印象。沿線は郊外の住宅街が点在し、そして一部に田畑が広がる。医王寺前駅を過ぎて、小川を渡れば飯坂温泉も近い。

 

路線開業当時の終点駅、花水坂駅を過ぎ、電車は右カーブをきり、飯坂温泉駅へ入っていく。駅ホームは摺上川沿いにある。駅の玄関口は階段を上がった上にある。駅前広場には温泉に立寄ったとされる松尾芭蕉の像も立つ。

 

↑いい電の終点、飯坂温泉駅。左手に摺上川が流れる。駅前には松尾芭蕉の像も立つ。芭蕉が記した「おくのほそ道」には当時の温泉場を「飯塚」として紹介した。泊まった宿が今一つだったのか、ノミや蚊に悩まされ眠れなかったとぼやいている
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