【只見線を探訪する後編⑦】次の只見まで1駅間にかかる時間は?
大白川駅と只見駅の間は1971(昭和46)年8月29日に開業した。大白川駅まで路線が開業してから、29年後のことだった。
大白川駅〜只見駅間の距離は20.6kmある。この間に、トンネルが10本、橋梁はなんと41か所も設けられている。特に難工事だったのが6354mの長さを持つ六十里越(ろくじゅうりごえ)トンネルだった。
開通当時、日本の鉄道トンネルの中で、6番目に上げられるぐらい長いトンネルとなった。しかもトンネルの上にそびえるのは標高1000m級の山々だ。トンネル掘削の技術も、現代とは比べ物にならないくらい未熟だったに違いない。
難工事で、わずか1駅区間の開業のために5年以上の歳月と、当時の資金で51億円がかかった。現在でいえば、工事費は150億円前後になろうか。
大白川駅を出た只見行き列車は右に左にカーブを切りつつ、破間川の支流、末沢川に沿って走っていく。最大勾配25‰だが、意外に快調に気動車が飛ばした。
包む山々と渓谷の険しさが半端ない。間もなく、六十里越トンネルへ入る。トンネル内部で登り区間が終わったらしく、気動車はひと息つきつつ、快調に走り始める。
トンネルに入って10分あまり。ようやくトンネルを出たものの、しばらくすると再びトンネルへ入ってしまう。大白川駅〜只見駅間で2番目に長い田子倉トンネルだ(長さ3712m)。
この外に出る区間、スノーシェッドに覆われたところに、2013年3月まで田子倉駅という臨時駅があった。ホームから国道252号へ階段を登って出る構造だった。付近に家はなく、乗降客もほぼなかったが、時たま登山客に利用されていた。
過日に田子倉付近を車で訪れたが、やや遅めの時間帯だったこともあり、トイレ付きの休憩所(登山客の利用がある)付近は無人。「熊出没注意!」という貼り紙に怖れをなして早々に引き上げた。
話を戻そう。2本の長いトンネルを抜け、列車は坂を快適に下っていく。車窓から民家が見え始めると、間もなく只見駅に到着した。
大白川駅から只見駅まで一駅の間に、要した時間は何と30分。普通列車が、隣の駅まで無停車で30分間、走り続ける例は少ない。ちなみに日本で駅間最長区間は石北本線の上川駅〜白滝駅間(37.3km)で38分かかる(新幹線を除く)。北海道以外では最長と言って良いのではないだろうか。
【只見線を探訪する後編⑧】越えると大変さが身にしみる六十里越
乗車した日とは別の日、只見線とほぼ沿って走る国道252号の県境区間を車で往復してみた。只見と大白川の間は32kmほどの距離があり、六十里越と呼ばれる峠道となっている。
新潟県側、福島県側、どちらから上っても、つづら折りの道が続く。峠道の運転は嫌いでない筆者も、さすがに疲れを感じる上り下り、そして急カーブの連続だった。しかも標高差が半端ない。
六十里越という名からも分かるように新潟・福島の県境越えは厳しい。ちなみに小出駅付近の標高は92m、国道252号の六十里越の最高地点は760mにもなる(旧峠のピーク地点は863m)。
険しいこともあり、例年、降雪期には県境を越える国道252号は通行止めとなる。例年11月下旬〜4月末の長い間、この国道は雪に閉ざされるのだ。
国道が閉ざされる期間、只見の町から新潟方面へ抜ける方法は只見線しかない。
【只見線を探訪する後編⑨】ユネスコエコパークに指定された只見
只見という町の特徴を少し見ておこう。地図を見ると、福島県の西の端に位置する。会津地方に含まれ、南会津郡の一つの町となる。とはいえ、会津地方の中心、会津若松との距離に比べて、県を越えて小出へ出るほうがはるかに近い。
只見ダム、田子倉ダムが建設された当時には、建設に携わる人たちが多く移り住み、人口は3万人近くまでなった。ダム建設後は人口が減少し、2018年末で4235人となっている。
山あいにあるために冬は降雪量が多く、年間降雪量は平均すると1294cmにもなる。要するに13m近くの雪が降るというわけだ。雪に縁がほとんど無い太平洋側の都市住まいの人間には、ちょっとぴんとこない数字だ。
山間部がほとんどで、人口が少ない。そのため自然はとにかく豊かである。そのためにユネスコから「生物圏保存地域=ユネスコエコパーク」に2014年に指定された。日本では屋久島・口永良部島ほか7地域が指定されている。ユネスコエコパークとは、自然環境と人間社会の調和と共生、持続可能な発展を学び、実践する地域という解説がなされている。
只見駅に到着した列車は、しばらくホームに停車したのち、小出駅へと折り返していく。列車で停車時間はまちまちで、8分〜1時間12分と異なる。
只見駅の先、会津川口駅までは現在、不通区間となっており、代行バスが運転されている。