【別所線で発見⑦】駅なかに焼鳥屋がある上田駅から旅が始まる
さて、だいぶ寄り道が長くなった。ここから別所線の旅を進めることにしよう。上田電鉄の駅の入口は、しなの鉄道と改札口と同じ、上田駅の南北自由通路沿いにある。この入口にはおしゃれな暖簾がかかる。
おもしろいのは駅なかに焼き鳥店があること。日中に旅することが多い筆者にとって、焼き鳥店が夕方からの営業となっていてちょっと残念だった。もしこの沿線の住民だったら、帰り道、つい寄り道してしまいそうな駅の造りである。
暖簾をくぐり駅構内へ。自動販売機で1日まるまるフリーきっぷ1180円を購入する。ちなみに上田駅〜別所温泉駅の片道運賃が590円。往復した金額と同じになるわけで、途中下車するとしたら、フリーきっぷを購入した方が断然お得となる。
上田駅の単線ホームに入線してきたのは1000系。赤色帯の東急オリジナル色の車両だった。折り返す電車から降りてくるのは、夏休みのせいか若い世代が多かった。
上田駅には10分ほど止まり発車する。週末の日中ということもあり乗客は少ない。なお、上田駅発の下り電車は、朝晩のみ途中の下之郷駅行きがあるものの、日中はほぼ別所温泉駅行となる。電車の間隔はほぼ20〜30分間隔で、地方私鉄としては便利だ。
高架上の上田駅を発車した1000系電車は、駅を出たらすぐに左カーブ、そのまま市内の高架上を走る。
そして千曲川上にかけられた赤い鉄橋を渡る。千曲川といえば、新潟県に入ると信濃川となる大河である。上田市付近は、それほどの川幅はないものの、前日の雨のせいか、川の流れは濁り、また水量も多かった。
川を渡った次の駅は城下駅(しろしたえき)。上り下り行き違いが可能な構造の駅で、この駅で上り下り電車の行き違いすることも多い。
さらに三好町駅、赤坂上駅と市街地の中の駅が続く。路線は単線だが、この区間、線路の幅にゆとりがある。その昔、青木線が走っていたころの名残だ。一部が複線だったため、今はその複線区間の線路が外され、空き地として残される。
【別所線で発見⑧】下之郷駅で大事に保存される車両は?
上田原駅は元青木線との分岐駅。この駅を発車した電車はほぼ90度近くに折れ曲がるカーブを走る。キッ、キッという車輪のきしみ音が、急カーブであることを教えてくれる。上田原駅を発車すると、次第に左右に田畑が見えるようになる。
寺下駅を過ぎれば塩田平と呼ばれる河岸段丘上の平坦な地形となり、進行方向右手に独鈷山などの山並みが見えてくる。神畑駅(かばたけえき)、大学前駅と過ぎれば、下之郷駅だ。このあたりまで来ると郊外の趣が強くなる。
下之郷駅には上田電鉄の車庫がある。本線に沿って車両点検用の検修庫が建てられている。この裏に銀色の車両が停められている。車両の正面にカバーで覆い大切に保管されている。さてこの車両は何だろう?
銀色の車両は上田電鉄5200系。元東急でも5200系とされた車両だ。この5200系は日本の鉄道車両の中で記念碑的な電車でもある。
今から60年ほど前の1958(昭和33)年、外板にステンレス鋼を使って造られた日本初の車両だった。骨組みとなる柱は普通鋼で、その柱を骨組みにしてステンレスの外板をつけた、後の世で言うセミステンレス車両でもあった。
記念碑的な車両であったが、試験的な意味合いで造られたこともあり4両しか造られなかった。
そのうち3両(1両は部品取り用)が、東急電鉄を走った後の、1986(昭和61)年に上田にやってきた。上田電鉄では1993(平成5)年まで走り続けたが引退、1両は東急に戻され、現在は総合車両製作所横浜事業所(旧・東急車輌製造横浜製作所)内で保存されている。ちなみに渋谷駅のハチ公前に設置された元東急5000系(初代)も、かつては上田電鉄で働いていた車両だ。東急グループの一員であるため、こうして歴史的な車両が使われることも多かった。