JR各社に残る国鉄形気動車を全チェック! 〜〜キハ32形からキハ185系まで〜〜
国鉄が分割民営化されたのは1987(昭和62)年4月1日のこと。JR各社が誕生して早くも32年の時が経つ。昭和末期生まれの国鉄形車両は平成、令和と時代を越え使われてきたものの、ここ数年、消滅する形式も増えてきた。今回は「国鉄形車両」紹介の2回目、気動車の動向をまとめた。
なお現存車両数は2019年4月1日現在のもの。その後、さらに車両数を減らしている気動車もある。
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【はじめに】後継の車両が先輩車両より先に消えていくケースも
国鉄形気動車の代表格といえば、やはりキハ40系だろう。登場してから約40年、800両以上が造られ、今もJR東海を除く、各社で利用されている。
一方で、下の写真はキハ31形。国鉄最晩年の1986年〜1988年に九州地区用に製造された。キハ40系よりもかなり後に生まれた車両ながら、2019年3月で運用終了となった(残るは保留車のみ)。形式自体の消滅も近いと思われる。
早く引退した理由の一つは、トイレがなかったためとされる。トイレがない車両は長距離用の列車としては使い難い。JR九州ではトイレの設置を検討したが、構造上、難しかったとされる。さらに国鉄最晩年に造られた車両で、コスト削減を重視するあまり、廃車部品を流用、バスの機器を利用するなどしたため、通常の車両よりも老朽化も早かったようだ。先輩格のキハ40系は、JR九州に142両(2019年4月1日現在)と大量に残っていたのにも関わらず、後継のキハ31形の方が先に消えてしまったのである。
国鉄分割民営化後に生まれたJR形の車両ですら、すでに消えてしまった車両が現れている。この先、国鉄形の中では比較的、新しい車両であっても、キハ31形の例のように、引退となる車両が現れても不思議がない状況になっている。
一方で、今回、紹介の国鉄形気動車の中にも意外に長生きしている車両もある。そんな国鉄形気動車の現状をチェック。まずはキハ32形から見ていこう。
【国鉄形気動車①】JR化後の四国用に造られたキハ32形
製造年 | 1987年(現存車両数23両) |
残る路線 | JR四国:予讃線、内子線、予土線、土讃線など |
国鉄分割民営化にあたり、6つのJR旅客会社のうち三島(北海道、四国、九州)の将来を危ぶむ声が強かった。そのため、国鉄では事前に古い気動車に代わる新造車両を用意しておこうと、キハ31形、キハ32形、キハ54形といった気動車を製造した。
このうちキハ32形は四国用の車両で、他車両と同じく廃車から発生した部品や、バス用の部品を利用するなどして、コスト削減が図った。さらにワンマン運転用の機器が取り付け可能な形とした。ちなみにトイレは設置されていない。
国鉄時代に21両が造られ、主にローカル線の普通列車に使われている。予土線では海洋堂ホビートレインや、新幹線の0系を模した鉄道ホビートレインなど観光列車にリメイクされて、人気となっている。
筆者が乗車した時には、トイレがない構造ながら、下り上り列車が行き違う駅で、列車の待ち時間が適度にある。その待ち時間がトイレ休憩となるので、あまり問題にはなっていないようだった。時刻に余裕があるローカル線ならではの話なのだが。
さらに運転台付きのトロッコ形車両、キクハ32形の2両が新造され、この2両がキハ32系の一員に加えられたことから、現存車両数は国鉄時代よりも2両増えている。四国の閑散路線には、ちょうど良いサイズだったこともあり、この先、かなりの期間、使われ続けることになりそうだ。
【国鉄形気動車②】まだ大所帯のキハ40系とはいえ消える地域も
製造年 | 1977年〜1982年(現存車両数660両) |
残る路線 | JR北海道からJR九州に至るまでの非電化路線(JR東海を除く) |
非電化区間を走る気動車は、電車に比べて開発の遅れが目立った。液体式気動車としてキハ10系、キハ20系といった車両が1950年代から70年代にかけて製造されたものの、非力さ、老朽化が目立つようになっていた。その代わりとして生まれたのがキハ40系だった。
キハ40系にはいくつかタイプがある。両運転台を持ち1両でも走ることができるのがキハ40形、片運転台のみのキハ48形、扉を都市近郊用に両引きとしたキハ47形の3形式がまずは造られた。以降、モーターを強力にするなどいくつかの派生形式が生まれた。それらすべてまとめてキハ40系と呼ばれている。
キハ40系は888両と大量の車両数が造られ、各地の非電化区間に配置された。その中で、JR東海の車両はすでに消滅している。ほかJR各社に残り、計660両が今も使われている。中でもJR西日本が252両と多い。とはいえ、長年、使われてきたこともあり、車内外を更新した車両や、観光列車(JR九州は、観光特急に改造している例が多い)に改造される車両も多い。
残るキハ40系の中で近年、JR東日本の車両に減る傾向が目立つ。2020年春までに新津運輸区の車両(計41両)が新型GV-E400系気動車と入換えされることが発表された。
新津運輸区のキハ40系といえば、磐越西線や羽越本線、信越本線のほか、只見線の小出駅〜只見駅間で使われている。報道発表では只見線のキハ40系とまでは言及されておらず、このあたり気になるところだ。
来春までの削減は新津運輸区のみだが、JR各社では代わりの車両を開発し、増備しつつある。JR九州の香椎線などのように、キハ40系全車をBEC819系電車(交流用蓄電池駆動電車)に変更するというような例も出てきた。各地から例年のように姿を消していく現状が続く。
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【国鉄形気動車③】北海道と四国で今も一線で活躍するキハ54形
製造年 | 1986年〜1987年(現存車両数40両) |
残る路線 | JR北海道:宗谷本線、留萠本線、函館本線、石北本線など JR四国:予讃線、予土線、内子線など |
キハ54形は、キハ31形や、キハ32形と同じく国鉄最晩年に三島(北海道、四国、九州)の経営基盤整備を目的に生まれた車両である。北海道と四国用に計41両が造られた。
キハ32形に比べて全長が21.3mと長いことが特徴で、1両での運転が可能なように前後部に運転台が取り付けられた。北海道向け酷寒地仕様50番台(トイレ付き)と、四国用の温暖化仕様0番台(トイレなし)を用意、廃車から発生した部品や、バス用の部品を利用することでコスト削減を図っている。
JR北海道のキハ54形は旭川運転所と釧路運輸車両所に配置され、より気象条件が厳しい道北・道央の路線での利用がメインとなっている。北海道ではキハ54形よりも車歴が長いキハ40系の車両数が多いことから、まずはキハ40系が先に新造車(H100形気動車DECMO)と入換えということになると予想されている。
JR四国では松山運転所に配置され、愛媛県内の予讃線や予土線の路線での運用が多くなっている。四国では特急形気動車の入換えが優先して行われている。そのため普通形気動車の入換えは、かなり先のことになりそうだ。
【国鉄形気動車④】誕生して40年以上も走り続けたキハ66系
製造年 | 1974年〜1975年(現存車両数28両) |
残る路線 | JR九州:大村線、長崎本線など |
国鉄ではキハ58系といった急行形気動車を1960年代に開発した。キハ58系は計1823両と大量の車両が造られ、各地で運用された。この急行形気動車の技術を引き継ぎ、さらに次世代形の気動車を目指して開発されたのがキハ66系だった。
キハ66系はまず山陽新幹線の博多駅開業に合わせ、新幹線連絡用列車として筑豊本線などの路線用に造られた。従来の急行形気動車よりも、動力性能、乗り心地を良くするなど接客設備の向上が図られた。1976年には優れた車両に贈られるローレル賞(鉄道友の会が選定)も受賞している。しかし、車両自体が重いこと、コスト高といったマイナス面もあり、増備は行われず計30両が製造されたのみとなった。
キハ66系は増備がかなわなかったものの車両性能は優秀だった。その後のキハ40系などにも、その技術が応用されている。
優れた車両だったこともあり長年、使われ続け、残る国鉄形車両の中では、かなりの長寿車両となりつつある。2両のみ廃車となったが、残る28両は、すべて佐世保車両センターに配置され、大村線を中心に走り続けている。
すでに車内外の更新、エンジンなどの機器の交換などの改造が行われている。JR九州では、後継のYC1系ハイブリッド気動車の開発を進めており、キハ66系との入れ替えを発表している。外観はキハ40系に近いが、乗り心地は、まったく違う車両とされている。早めに乗っておいたほうが良い国鉄形気動車の1つと言って良いだろう。
【国鉄形気動車⑤】キハ183系が残るのは石北本線の特急のみ
製造年 | 1979年〜1992年(現存車両数67両・JR九州の車両は除外) |
残る路線 | JR北海道:函館本線、石北線 |
北海道の非電化路線の特急には1960年代からキハ80系が使われてきた。このキハ80系は酷寒地の運転には不向きで、接客設備の貧弱さも目立っていた。代わる車両として、キハ181系をベースに北海道用に開発・製造したのがキハ183系だった。
初期の基本番台は高運転台で非貫通の「スラントノーズ」と呼ばれる先頭車が特徴だった。さらに国鉄最晩年にあたる1986年には500番台と1500番台の後期型が造られ、JR化後も550番台、1550番台という新車両が増備された。
北海道内を走る多くの特急に使われてきたキハ183系だったが、後進の車両が増備されるに従って活躍する路線が減ってきていた。さらに2010年代なかごろには、不具合が相次いで見つかり、列車の減便が余儀なくされた。すでにスラントノーズを特徴としていた基本番台は消え、残るは後期型のみとなり、定期運用は特急「オホーツク」「大雪」と、石北本線(一部は函館本線)を走る特急のみとなっている。
JR北海道はキハ261系の増備を図っている。キハ183系の定期運用はここ数年のうちに消え、あとは臨時列車の運用を残すのみとなっていきそうだ。
ちなみにキハ183系には1000番台が造られている。こちらは国鉄分割民営化された後すぐの、1988年にJR九州が製造した車両で、1階に展望席、2階に運転台がある。現在は特急「あそぼーい!」として活躍している。こちらはキハ183系とはいうものの、形が大きく異なり、国鉄形というよりも、JR形式として見たほうが良いかと思われる。
【国鉄形気動車⑥】四国と九州に残る特急形キハ185系の現状
製造年 | 1986年〜1988年(現存車両数51両) |
残る路線 | JR四国:徳島線、牟岐線、予讃線など JR九州:鹿児島本線、久大本線、日豊本線、豊肥本線など |
キハ185形は国鉄分割民営化を間近に控えた1986年から四国用に製造された特急形気動車。それまで急行用のキハ58系などの車両が中心だった優等列車を、接客設備などが整った特急形に置き換え、四国の経営基盤を強化する狙いで造られた。
長年、JR四国を走ってきたキハ185系だったが、後継の2000系は制御付自然振り子式を備え、最高時速120kmでの運転が可能となった。2000系の増備により、余剰となったキハ185系はJR九州に20両が譲渡されている。
JR四国に残るキハ185系は計31両。幹線での運用は無くなり、現在は徳島線、牟岐線(むぎせん)の特急、そして松山地区の普通列車に利用されるようになっている。JR四国では8600系、8700系といった新型特急を増備しつつあり、それに合わせて残ったキハ183系を「四国まんなか千年ものがたり」といったジョイフルトレインに改造、再利用を行う。こうした観光列車に改造されなかったキハ185系は徐々に消えていくことになりそうだ。
一方のJR九州に譲渡されたキハ185系は、改造工事が行われ、また一部は観光特急「A列車で行こう」に模様替えされ、利用されている。JR九州では特急形気動車の開発が行われていないだけに、今しばらくは活躍する姿を楽しむことができそうだ。
次回は意外に長生きする車両が多い国鉄形機関車の動向を紹介の予定。ご期待いただきたい。
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