【南武線の意外⑤】南武線には複数の支線があり今も活かされる
南武鐵道には複数の支線を持っていた。その支線は今も活かされている。
まずは尻手駅〜浜川崎駅館を走る浜川崎支線。旅客列車の本数こそ少ないものの工場が多い川崎臨海部と市街地を結ぶ貴重な足となっている。さらにこの路線は支線ながら、貨物列車にとっては本線的な役割を担っている(詳細後述)。
今は青梅線の路線の一部となっているが、立川駅と西立川駅間を結ぶ貨物支線(現・青梅短絡線)も、南武鐵道時代に造られた支線だった。
さらに、1973年と造られたのは近年だが、尻手駅〜新鶴見信号場間を結ぶ尻手短絡線も貨物列車にとっては、欠かせない路線となっている。
このように南武線には本線区間とは別個に、列車の運行に欠かせない支線が今も活かされている。電車に乗っていて、つい注目したくなる支線ばかりだ。
【南武線の意外⑥】武蔵小杉駅は戦後まで乗換駅でなかった
ここからは南武線の沿線模様を、起点となる川崎駅から見ていこう。
南武線は全線が複線区間で、川崎駅発を例にとると朝夕は3〜6分間隔、日中は10分前後で列車が発車する。10時〜19時台には一部の駅が通過となる立川行の快速電車も運行されている。
川崎駅の5・6番線が南武線専用のホーム。列車はそれぞれの番線からほぼ交互に折り返して走る。川崎駅を走り出した南武線の電車は、しばらく東海道本線に沿って走る。まもなく右にカーブして、高架路線へ。左から近づいてきた浜川崎支線と合流する。合流地点の下を通るのが国道1号線(第二京浜国道)だ。そして浜川崎支線の始発駅、尻手駅に到着する。
尻手駅を発車してまもなく平行して走っていた線路が一本、住宅街の中へ消えていく。こちらが新鶴見信号場へ向かう尻手短絡線だ。
次は矢向駅。この駅からはかつて川崎河岸まで1.7kmの貨物線が設けられていた(1972年に廃止)。廃線跡の一部は緑道として残っている。鹿島田駅、平間駅を停まり向河原駅(むかいがわらえき)へ。駅を過ぎれば、左へ大きくカーブする。そして横須賀線と東海道新幹線の線路とクロスする。
到着した武蔵小杉駅は2社5路線が走る乗換駅。この武蔵小杉駅のように南武線の魅力はやはり、他線と接続する駅が多く、また乗換しやすいことだろう。
この武蔵小杉駅、南武線で最も変貌した駅でもある。まず初代の武蔵小杉駅は今と異なり、現在の府中街道(国道409号)付近に造られた。同駅の東隣にはグラウンド前停留場という名の駅が生まれた。こちらの駅の位置が現在の武蔵小杉駅にあたる。グラウンド前停留場は1944年に武蔵小杉駅と名称変更、旧武蔵小杉駅は廃止された。
一方、南武線とクロスする東京横浜電鉄(現・東急東横線)は1926(大正15)年に路線が開業していた。ところが武蔵小杉駅付近には駅が造られなかった。東横線の駅が出来たのは路線が開業してほぼ20年たった1945(昭和20)年のことだった。
できたものの仮駅で、通勤客のみが利用可能、一般客は利用できない特殊な駅だった。その後の1947(昭和22)年に一般旅客の利用が可能になった。この時点ではじめて乗換駅として機能し始めた。古い歴史を持つ駅かと思っていたのだが、駅の歴史は意外に新しく、乗換駅として活かされたのは戦後からだったわけである。
さらに横須賀線はまだ走っていなかった。線路は付近を通っていたが、品鶴線(ひんかくせん)と呼ばれる東海道本線の貨物用の路線だった。1980(昭和55)年に横須賀・総武快速線が同線を走り始める。走り始めたものの駅は長い間、造られずで、ようやく横須賀線の武蔵小杉駅が造られたのは2010(平成22)年のことだった。
現在は、東急目黒線も乗り入れ、さらに2年後には相模鉄道の電車も同線に乗り入れる予定で、ますます武蔵小杉は発展していきそうだ。
このように駅が生まれ、また乗換駅として機能することで、街は大きく発展していく。鉄道の駅の誕生が何と大きな実をもたらすのか、目を見張る思いだ。