【南武線の意外⑦】駅名が異なる武蔵溝ノ口駅、溝の口駅の謎
武蔵小杉駅から、武蔵中原駅、武蔵新城駅(むさししんじょうえき)、そして武蔵溝ノ口駅と4駅ほど「武蔵」が付く駅が続く。武蔵溝ノ口駅は東急田園都市線との乗換駅となる。
さて「武蔵溝ノ口駅」、隣接する東急田園都市線の駅は「溝の口駅」である。筆者は迂闊なことに、この駅名表記の違いに気付かず、同駅を利用していた。
なぜこうした違いが生じたのだろう。
武蔵溝ノ口駅が生まれたのは南武鐵道が路線を開業させた1927(昭和2)年3月9日のこと。私鉄時代の路線案内には「武蔵溝口駅」とある。
対して東急の溝の口駅が生まれたのは同じ年の7月5日のことだった。玉川電気鉄道溝ノ口線の「溝ノ口駅」として誕生した。玉川電気鉄道とは、後に玉電の名で親しまれた路面電車の路線で、1938(昭和13)年に東急電鉄と合併している。
その後、武蔵溝口駅は武蔵溝ノ口駅となり、溝ノ口駅は溝の口駅となった。駅が造られたのが同い年。どちらかに駅名をすり合わせるということはなかった。お互いにライバル心のようなものがあって、それが今まで続いてきたということなのだろうか。
ちなみに駅名の元となった地名だが、川崎市高津区の土地の名は溝口だ。いずれも「みぞのくち」と読む。なお南武線の駅に「武蔵」を付けたのは、国鉄播但線に溝口駅(みぞぐちえき)という駅がすでにあり、同駅との間違いを防ぐためだったとされている。
【南武線の意外⑧】南武線と平行して走る武蔵野線の不思議
武蔵溝ノ口駅からは一駅ごとに多摩川が近づいてくる。宿河原駅は前述したように多摩川まで砂利採取用の引込線が設けられていた駅だ。さらに登戸駅で小田急小田原線と接続する。
登戸駅から2つめの稲田堤駅は、京王相模原線との接続駅。最寄りの京王稲田堤駅とは徒歩約5分と離れている。南武線では他線との乗換がスムーズにできる駅が多いが、この駅のみ離れているのがちょっと残念なところだ。
稲田堤駅を過ぎると南武線は多摩川橋梁まで高架路線が続く。そして電車は矢野口駅から東京都へ入る。
高架を走る電車の車窓からは多摩川が眺められ、手前には住宅地が広がる。地元の稲城市は「多摩川梨」の産地でもあり、車窓からも梨園が見えるが、近年は梨狩りが楽しめる農園が減ってしまったのが残念なところ。17世紀に栽培が始まったという多摩川梨、晩夏から初秋にかけて、その豊潤な味覚を楽しめる。
南多摩駅を過ぎると、南武線は右に大きくカーブ、多摩川南岸を離れ、多摩川橋梁を渡る。手前で合流するのは武蔵野線だ。武蔵野線はこの先、府中本町駅からは旅客列車が走るが、多摩側橋梁を渡った南側は、貨物専用線となる。武蔵野線は突然のように、トンネルを出て、南武線と平行して橋を渡る。武蔵野線はここまでどこを走ってきたのだろう。
多摩川橋梁から南側の地図を見ても、武蔵野線が走る所には点線が続くのみだ。
多摩川南岸を走る武蔵野線の路線は、ほぼトンネル区間となっている。途中、地上部分に出る箇所が少ない。
かつて武蔵野線を旅客路線として活用しようとした時に、府中本町駅から南側も旅客利用できないか、検討された。ところがトンネル区間が連続するため旅客利用は断念されたという。ほぼ平行して走る南武線が旅客線として存在していたことも、断念した理由の一つとしてあったのだろう。