【南武線の意外⑨】立川駅の先にも南武線の支線区間があった
新鶴見信号場から武蔵野線を走ってきた貨物列車のうち、甲府、松本方面へ向かう列車は府中本町駅から南武線を走り立川駅へ向かう。南武線の電車と貨物列車がすれちがうシーンをこの先、見ることができる。
府中市、国立市、立川市と東京の三多摩地区の都市が続く。京王線との乗換駅は分倍河原駅(ぶばいがわらえき)。南武線の進行方向右側には崖状の地形が見られるが、これは武蔵野台地と多摩川河畔(かつて氾濫を繰り替えした地帯を含む)との境を示す証しでもある。多摩川南岸とは異なる地形が見られる。
西国立駅を過ぎれば、ほどなく右側から中央線の線路が合流する。多くの商業施設が建ち並ぶ立川駅もまもなくだ。
立川は三多摩地区の中心的な都市。かつては駅近くに軍用の立川飛行場があり、太平洋戦争前は陸軍が、戦後はアメリカ軍が利用していた。1977(昭和52)年に全面返還された後は、一部を陸上自衛隊のヘリコプター基地として利用。他は国営昭和記念公園などになっている。
立川駅を通る多摩都市モノレールの駅に立飛駅(たちひえき)という駅があり、また地名にも立飛という名称が残っているが、これはもちろん立川飛行場の名にちなんだものだ。
さてこの先、南武線の紹介するにあたり、忘れていけない路線が残っている。
7・8番線の南武線の線路の先は行き止まりではなく、その先、単線となって中央線の上をクロスして通り、西立川駅までつながっている。現在は「青梅短絡線」と呼ばれる路線で、時刻表にも記載されていない知る人ぞ知るルートだ。
起源は1931(昭和6)年に造られた貨物支線で2.1kmの距離がある。この路線こそ、五日市鐵道、青梅電気鐵道の沿線で採掘された石灰石を、南武鐵道を使って川崎へ送るために造られた短絡ルートだった。
この青梅短絡線を利用すれば、中央本線を平面交差する必要がない。青梅快速と呼ばれる東京駅発、青梅駅行の下り列車もこの路線を使って走る。さらに鶴見線の安善駅と青梅線の拝島駅を結ぶ石油輸送列車も、このルートを使って走る。
【南武線の意外⑩】浜川崎支線は東海道貨物線のメインロード
最後に浜川崎支線の様子を紹介しておきたい。浜川崎支線は、鉄道ファンには注目される支線ながら、一般の人たちには馴染みが薄いのではないだろうか。この路線、4.1kmながらなかなか興味深い。
尻手駅のホームは南武線用に2つ、浜川崎支線用が1つ。同駅の3番線ホームから2両編成の浜川崎駅行き電車が発車する。この線路の外に側線があり、この側線は駅の北側で尻手短絡線に入り新鶴見信号場へ向かっている。
浜川崎支線は沿線に工場が多いことから朝の列車本数が多い。対して日中は1時間に1〜2本という超閑散路線となっている。
一方、貨物列車の運行本数が多い。武蔵野線の新鶴見信号場から尻手短絡線を使って貨物列車が乗り入れる。さらに東海道本線の川崎駅〜鶴見駅間から分岐したアクセス線が八丁畷駅(はっちょうなわてえき)付近で合流して走る。
八丁畷〜浜川崎間には1918(大正7)年5月1日にすでに国鉄の貨物線(東海道貨物支線)が設けられていた。当時の地図を見ると、東海道本線の川崎駅からカーブして、現在の八丁畷駅付近で合流、旧川崎貨物駅まで線路が伸びている。
浜川崎支線が造られたのが1930(昭和5年)のことで、同区間は国鉄の貨物線に平行して線路が敷かれた。ちなみに現在は、川崎駅と同支線を直接結ぶルートは廃止されている。代わりに東海道本線の鶴見方面から八丁畷駅付近へアクセス線が造られ、東海道本線を走る貨物列車は同支線へ直接、走り込める。
終点の浜川崎駅からは、その先、貨物線が川崎貨物駅、そして海底トンネルを抜けて東京貨物ターミナル駅まで延びている。
旅客面から見れば浜川崎支線はローカル線そのものなのだが、貨物ルートとしては東海道本線にあたり、幹線そのものとして使われている。早朝着の上り貨物列車、そして夜、下り貨物列車が頻繁に走る光景は、同線が東西の大動脈そのものであることを示してくれる。
南武線はローカル線として誕生したが、現在では旅客、貨物ともに欠くことのできない路線となっている。ひと時代前に計画を立てた人たちには、それこそ先見の明があったということなのだろう。
【ギャラリー】