【松浦鉄道の真実⑤】日本一短い駅間はぜひ歩いて確認したい
ここから松浦鉄道の旅を始めよう。
路線の起点は有田駅ながら、本原稿では佐世保駅からスタートしたい。松浦鉄道の列車は高架上にある佐世保駅の1・2番線ホームから発車する。JR佐世保駅の1・2番線の西側に連なるようにホームが設けられている。JRとの乗換口があり便利だ。地上の自由通路から直接、松浦鉄道の構内に入る乗降口も設けられている。
列車は左手に佐世保港や佐世保川、そして大小の商業ビルを眺めつつ発車した。
佐世保駅の次の駅は佐世保中央駅だ。この佐世保中央駅と隣の駅、中佐世保駅の間はわずかに200mしかない。200mという距離は普通鉄道の中で日本一短い。ちなみに筑豊電気鉄道の黒崎駅前駅〜西黒崎駅間と同距離だ。筑豊電気鉄道の場合は、路面電車タイプの車両が走る鉄道路線だけに、普通鉄道用の車両が走る松浦鉄道のこの区間は日本最短の駅間と言ってしまって良いだろう。
この最短の駅間が歩いてみたく、佐世保中央駅で降りた。ホームの前に大形ショッピングセンターの壁があり、閉塞感を感じた。線路は高架上にあり、階段を下りると駅入口という造りだ。家々の奥に駅があり、ちょっと分かりにくい。
駅から小道を降りていくと、四ヶ町商店街(よんかちょうしょうてんがい)に出る。この商店街はつながる三ヶ町商店街(さんかちょうしょうてんがい)をくわえると直線で960mにもなり、アーケード街としては日本一の長さ(※切れ目がない直線に連なった複数の商店街のアーケードの総延長として)になるだそうだ。両商店街を合わせて「さるくシティ4○3(よんまるさん)」の名が付いている。佐世保中央駅は同商店街を利用する人が多く乗り降りする駅でもある。そうした経緯もあり、駅には「日本一長い『さるくシティ4○3アーケード』の駅」という“長い”愛称が付いている。
立派なアーケードのある四ヶ町商店街を横切り、中佐世保駅を目指す。すぐに幹線道路・国道35号の交差点へ。ここで左を見ると、松浦鉄道の高架橋と国道が交差していることが分かる。この橋、橋梁自体は新しくなっているものの、橋桁部分が古く感じる。日本遺産の史跡にも指定されている構造物だ。
交差点を渡り、直進して本島町内の道を歩いて行く。地図で確認すると、中佐世保駅はこのあたりのはずだが。通りのどこにも駅の案内がない。すぐには見つからずにウロウロ。このあたりだろう、と駐車場横の小道を抜けて行くと、駅にあがる小さな階段を見つけた。中佐世保駅はそれこそ街中の秘境的な趣のある駅だった。
ホームから200m手前の佐世保中央駅が見えるかな、と西側をのぞき込む。ところが、わずか200mなのに隣の駅が見えない。線路が心持ちカーブしていて、また建物がすき間なく立ち並んでいるせいもあり見えなかった。200mの距離なのに摩訶不思議な“最寄り駅”だった。
【松浦鉄道の真実⑥】かつて支線が出ていた左石駅、佐々駅に注目
さて、中佐世保駅からたびら平戸口駅行き列車に乗り込んだ。
平日の早朝だったこともあり、高校生の姿が目立つ。とはいえそれほど混んではいない。中佐世保駅を発車すると、トンネルを抜け高架線を走る。車窓からは山の上まで連なる家並みが見える。
北佐世保駅など佐世保市街にある駅をいくつか通り、左石駅(ひだりいしえき)へ。この駅の手前で路線は大きく左にカーブする。ちょっと不思議な曲がり方だ。
この左石駅、佐世保軽便鉄道が開業させた最初の路線部分にあたる。当時はこの駅の東にある柚木(ゆのき)まで、そしてこの先、7つめの駅、相浦駅(あいのうらえき)まで路線が敷かれた。相浦駅は相浦港に隣接している。柚木周辺で採炭された石炭輸送のため路線が敷かれたのだった。
佐世保駅〜左石駅間が南北に路線が走るのに対して、左石駅〜相浦駅間の方向が変わり東西に路線が走る理由は、この生い立ちが絡んでいる。
左石駅からいくつかの駅を停まるうち、乗車する高校生が増えていき、列車はほぼ満員となる。相浦駅から先は、佐々浦に沿って路線は北へ向かい走り始めた。4つほどで佐々駅(さざえき)に到着した。ここには佐々車両基地がある。佐世保駅発の列車には佐々駅止まりが多い。
この佐々駅からもかつて支線が延びていた。臼ノ浦線(うすのうらせん)がその支線で、この駅から南西方向にある臼ノ浦へ向けて列車が走っていた。臼ノ浦には臼ノ浦港があり、ここから石炭が運び出されていた。
貨物輸送が廃止されたのは、意外に早く1962(昭和37)年のこと。貨物輸送が途絶えたものの、すぐには廃止されず1971年まで路線は存続された。