【鉄道貨物の秘密⑥】寝台特急を牽いた機関車が最前線で活躍中
客車で定期運行した最後の寝台特急といえば特急「北斗星」「カシオペア」、そして「トワイライトエクスプレス」。2015年3月まで走ったものの、北海道新幹線の開業とともに姿を消した。その一方で、「北斗星」「カシオペア」を牽いた機関車は今も貨物輸送の最前線で活躍していた。
日本海縦貫線で活躍するEF510形式500番台交直流電気機関車(以降「EF510・500番台」と表記)である。この機関車ほど予期せぬ出来事で使われ方が変った機関車もない。
EF510・500番台はJR東日本が発注した機関車だった。2009(平成21)年度と2010年度に計15両が製造された。「北斗星」「カシオペア」の牽引機、EF81形式交直流電気機関車の置き換え用だった。北斗星の車体色に合わせた青い車体(青窯)が13両、カシオペアの車体色に合わせた銀色の車体(銀窯)が2両という陣容だった。
寝台特急2列車のために造られた機関車にしては車両数が多い。多く製造されたのには理由があった。導入当時、JR東日本は、常磐線の貨物輸送業務をJR貨物から受託していた。常磐線は、東北本線の貨物列車の迂回路として有効に活用されていた。そのため常磐線は貨物列車の本数も多かった。2010年12月1日から常磐線の貨物列車もEF510・500番台が担当した。ところが……。
常磐線の貨物牽引を始めて間もなくの2011年3月11日。東日本大震災が起る。常磐線は福島県内、宮城県内で不通となり、その後、貨物列車も一部区間内の列車のみとなり、それこそ本数が激減してしまった(常磐線はその後の2020年3月にようやく全線復旧)。
JR東日本で15両が製造されたEF510・500番台だったが、真価を発揮せずに一部は、ほとんど稼働せずに東京の田端運転所で眠ることになる。さらにJR貨物からJR東日本が委託を受けていた貨物輸送の業務が2013年3月で、終了してしまった。
その後に定期運行していた寝台特急2本が廃止となり、EF510・500番台は、ほぼ働き場所を失った。そのため、2013年から2016年にかけて、順次、JR貨物に売却されることになった。EF510は基本番台24両が富山機関区に配置されていて、日本海縦貫線の列車輸送に活躍していた。さらに古いEF81と代わる形で富山機関区にEF510・500番台の全車が配置された。
今では青窯、銀窯が赤い「レッドサンダー」の愛称を持つ基本番台に混じって運用されている。走る範囲は、北は青森県の八戸貨物駅、南は名古屋貨物ターミナル駅、西は山陽本線の岡山貨物ターミナル駅までと走る範囲が広い。
残念なことといえば首都圏への列車牽引がないことだろうか。いつの日は故郷・首都圏を走る日を夢見たいものだ。
【鉄道貨物の秘密⑦】日本で唯一! 貨物列車が走る可動橋とは
可動橋という構造の橋がある。かつては港や大きな河川の河口部に架けられる橋の複数が可動橋だった。隅田川に架かる勝鬨橋(かちどきばし)も可動橋である。大きな船が通過する時には、上部の橋桁を上げて船を通過させた。
勝鬨橋の場合はその後、車の通行量が増え、河川を船舶が通ることがなくなったこともあり、今は可動しなくなっている。近年、新しい橋は、橋脚が長くなり橋桁の下を船が通れるようになっている。可動橋は次第に淘汰され、珍しくなりつつある。そうした時代に逆らうかのように、鉄道橋で唯一、可動橋が残されているところがある。
その橋は、三重県の四日市港内に架かる。橋の名前は末広橋梁。1931(昭和6)年に竣工された。跳開式可動橋梁と呼ばれる構造で、いま国内に残る唯一の可動鉄道橋梁となっている。そのため国の重要文化財に指定されている。通るのは四日市駅と港に面した太平洋セメント出荷センターを結ぶ貨物専用線。この橋上を三岐鉄道三岐線の東藤原駅と出荷センターを結ぶ専用列車が走る。タンク車に積まれるのはセメントの粉体。この列車をDF200形式ディーゼル機関車に牽いて走る。駅構内の入換えと同じ扱いの列車ということもあり、スピードは抑え目。1日に5往復の列車が、末広橋梁上をゆっくりと越えていく。
場所が四日市の港内ということもあり、見守るのは鉄道ファンや、鉄道好きの親子連れぐらい。ここでは、可動橋を渡る光景があたりまえで、風景に溶け込んでいる印象だ。