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2020/8/23 18:30

今も各地を走り続ける東急「譲渡車両」を追う〈東日本版〉

〜〜首都圏を走った私鉄電車のその後<3>〜〜

 

地方の鉄道事業者にとって新型車両の導入は悩みの種。そこで活用されるのが大手私鉄の「譲渡車両」である。

 

譲渡車両の中でも最も“人気”があるのが元東急の電車だ。各地の私鉄が譲り受けて主力車両として走らせている。なぜ東急の電車が人気なのか、現在の活躍ぶりだけでなく、東急電車が登場した時代を振り返り、その歴史にも迫ってみよう。今回は、東日本を走る東急の譲渡車両にこだわって見ていきたい。

 

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【はじめに】なぜ元東急電車の譲渡車両が多いのか?

北は青森県、西は島根県まで、津々浦々多くの私鉄路線を元東急の電車が走っている。三重県・岐阜県を走る養老鉄道のように、2018年秋に引退した元東急7700系を、“待ってました”、とばかりに大量に引き取り、走らせている例もある。東急では7700系に続くように、8500系が引退時期を迎えている。すでにこの8500系を導入している会社もあり、今後、この引退していく元東急の電車の導入を検討する会社も現れてきそうだ。

 

なぜ元東急の電車は人気があるのだろう。はじめにこの理由を探っておきたい。

↑東急池上線・多摩川線を走った7700系。2018年11月で引退まもなく、養老鉄道(三重県・岐阜県)に計15両が引き取られた

 

いま全国を走る元東急の電車はみな、ステンレス製の電車である。ステンレス製の電車は、鋼製と比較すると耐久性に富むとされる。何十年にわたり、走り続けてきた電車なのに、車体の劣化が少ない。そのため整備し直せば、充分に、あと何十年かにわたって走らせることができる。

 

加えて譲渡される電車が、みな登場した当時には革新的な技術を採用していた電車であったことも大きい。今も陳腐化していない技術を持つ車両なのである。

 

さらに東急の場合は、譲渡先へ旅立つ前に、東急グループの一員、東急テクノシステムにより、機器の更新、改造、整備が行われる。東急テクノシステムは、東急の車両のメンテナンスに長じた会社であり、業界での評価が高い。元東急電車の中間動力車を利用した標準タイプの電車も造られ、購入する側の会社も、発注しやすさがある。

 

また古い鉄道車両となると、部品探しにも苦労が伴う。ところが東急の電車の場合、大半の車両形式が大量に製造されているために、部品探しも容易にできるということも人気の一因であろう。そうした複数の要因があり、全国の多くの私鉄で第二の人生を送る元東急電車が多くなっているわけなのである。
次にそれぞれで会社で活躍する元東急電車の現在を見ていこう。まずは青森県から。

 

【注目の譲渡車両①】弘前を走る弘南鉄道の電車はみな東急出身

◆青森県 弘南鉄道7000系(元東急7000系)

↑弘南鉄道の7000系7000形が弘前市内にある中央弘前駅に到着した。大鰐線の電車は同形式が中心となっている

 

私鉄電車としては最北の路線が、青森県内を走る弘南鉄道。弘南線と大鰐線(おおわにせん)と2つの路線があり、すべて元東急の電車でまとめられている。形式は7000系で、元東急の7000系だ。

 

東急7000系は1962(昭和37)年から製造された電車で、日本初のオールステンレス製の電車だった。当時、国内ではまだ自力でオールステンレス製の車両を製造することができず、米バッド社と東急車輌製造(当時の東京急行電鉄の子会社)が技術提携して、この7000系が生み出されている。

 

この7000系の製造で学んだ技術が、その後の多くの日本のステンレス製車両の製造に役立てられている。東急7000系は134両と大量の車両が造られた。車体以外にも、多くの新技術を盛り込んだ非常に革新的な電車だった。東急の路線からは2000(平成12)年に引退している。

↑中間車を改造した7100・7150形の多くが弘南線で活躍する。正面の姿大きく異なり、元東急の電車らしさは薄れている

 

弘南鉄道へ譲渡されたのは1988(昭和63)年から。弘南鉄道でも7000系を名乗る。弘南鉄道の7000系は全24両(2両のみ廃車)で、細くは3タイプに分けられる。元東急7000系の姿を色濃く残す7000形。形は7000形とほぼ同じだが改番された7010・7020形、中間車を改造したために、正面の形が違う7100・7150形が走る。

 

7000形は大鰐線の主力車両として、7100・7150形は主に弘南線の主力車両として使われている。

 

◆青森県 弘南鉄道6000系(元東急6000系)

↑津軽大沢駅の車庫に停められた元東急6000系。例年10月に開かれる鉄道まつりなどのイベントでその姿を見ることができる

 

実は弘南鉄道には東急の車両史から見ても、非常に重要な車両が残されている。弘南鉄道6000系である。この車両はすでに静態保存されている電車だが、東急の記念碑的な車両のため、触れておきたい。

 

弘南鉄道6000系は、元東急6000系である。東急6000系は1960(昭和35)年3月に最初の編成が造られた。当時の電車としては画期的な空気バネ台車、回生ブレーキ、そして1台車1モーター2軸駆動というシステムを採用している。さらに車体はセミステンレス構造を取りいれた。セミステンレス構造とは、普通鋼の骨組み、その上にステンレス板を貼り付けて組み立てられている。その独特な姿から“湯たんぽ”とも呼ばれた。そう言われれば、それらしくも見える。

 

東急6000系は、試験的な電車という意味合いもあり、東急の電車としては珍しく、わずかに20両のみの製造となった。とはいえ、その後の7000系以降の車両造りに大きな影響を与えた電車でもあった。弘南鉄道へは量産型の12両が譲渡されたが、2000年代に入って7000系が増強されたことで、ほとんどが引退、今では2両×1編成が大鰐線津軽大沢駅の車両基地に静態保存車両として停められているほか、倉庫にも使われている。

 

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【注目の譲渡車両②】元東急電車が「いい電」となって福島を走る

◆福島県 福島交通1000系(元東急1000系)

↑元東急1000系の中間車を改良した福島交通1000系。正面に「いい電」のヘッドマークが付く。同タイプが他の私鉄にも導入されている

 

福島市の福島駅と飯坂温泉駅を結ぶ福島交通飯坂線。主力電車は1000系で、元東急の1000系が元となっている。

 

東急1000系は1988(昭和63)年12月に登場したステンレス製の電車で、世界初の制御方式を採用していた。すでに東横線の1000系は引退したものの、池上線・東急多摩川線では、今も主力として走り続けている。

 

福島交通に導入された1000系は、2両×4編成と、3両×2編成の合計14両。既存の7000系(元東急7000系)の置き換え用として導入された。

 

福島交通の1000系は、元東急1000系とは正面の形が異なる。元東急1000系の中間電動車を東急テクノシステムが改造した電車で、非貫通タイプの運転台が取り付けられた。主回路にはVVVFインバータ制御方式が使われている。福島交通にとって、始めての同方式の採用で、省エネ型電車として役立てられている。さらに車両の長さが18m(3扉車)と、東京の都市部を走る電車の平均的な長さ20m(4扉車)よりも短いことから、地方の私鉄路線では扱いやすい車両サイズとなっている。

 

ちなみに、同タイプの中間車を改良した1000系は、ほかに上田電鉄(長野県/詳細後述)や、一畑電車(島根県)にも導入されている。姿形はほぼ同じで、デザインや機能を共通化した地方の私鉄向け電車といって良さそうだ。

 

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【注目の譲渡車両③】秩父では東急出身の3タイプが走っている

埼玉県内を走る秩父鉄道。ここでは東急8500系、8090系を元にした3タイプの電車が使われている。線路がつながり、電車の甲種輸送まで行う東武鉄道の車両を導入せずに、あえて東急の電車を利用しているところが興味深い。

 

◆埼玉県 秩父鉄道7000系(元東急8500系)

↑元東急8500系は秩父鉄道では7000系として運用されている。秩父鉄道の元東急電車はみな先頭に緑色と黄色のグラデーション模様が付く

 

2009(平成21)年3月から運行を開始した秩父鉄道7000系。元は東急の8500系である。8500系は、1975(昭和50)年生まれで、主に田園都市線と、乗り入れる東京メトロ半蔵門線、東武伊勢崎線、そして大井町線を走った。新造当時、通勤電車の技術を集約した車両とされ、鉄道友の会からローレル賞を受賞している。車両数も多く400両が造られた。すでに導入されてから40年以上になる。

 

東急田園都市線では新型車両の導入が進み、徐々に減りつつあり、引退が近づきつつあるが、立派なご長寿車両と言って良いだろう。ちなみに筆者も最近、同車両に乗車したが、エアコンに加えて首振り扇風機が天井に付いた車両が走っていて、懐かしく感じられた。

 

秩父鉄道へ譲渡されたのは3両×2編成。本来は同車両が多く譲渡される予定だったが、東急からの提供車両の予定が変更され、この車両数にとどまっている。

 

◆埼玉県 秩父鉄道7500系(元東急8090系)

↑秩父鉄道7500系。写真は秩父鉄道のオリジナル塗装車両。7500系のラッピング電車も出現している

 

7000系(元東急8500系)が計6両にとどまっているのに対して、今や秩父鉄道の主力電車となっているのが、7500系と7800系である。元となった電車は両形式とも東急の8090系だ。

 

8090系は1980(昭和55)年12月に登場した。この車両も意欲的な電車だった。日本初の量産ステンレス軽量車体を採用している。強度を保ちつつも、従来のオールステンレス車両よりも、1両で2トンほど軽量化、編成全体で8%の軽量化を実現した。当時は、まだ鉄道業界では縁が薄かったコンピューター解析による車体設計が行われたとされる。90両が製造され、当初は東横線を、さらに田園都市線や大井町線を走った。本家では徐々に車両数が減っていき、昨年2019年、静かに引退を迎えている。

 

車両の軽量化を実現した8090系だったが、2010年以降から秩父鉄道に譲渡された。形式は7500系と7800系に分けられる。7500系は3両編成、7800系は2両編成で運行されている。正面の形が少し違うので、ここでは分けて紹介しよう。まずは7500系から。

 

7500系は元東急大井町線を走っていた8090系で、5両編成を3両に短縮するにあたり、パンタグラフの位置の変更などの改造を受けている。車体の帯も側面に緑色、正面は緑色と黄色のグラデーション模様が入る。色が異なっているものの、外観は東急当時の8090系のままを保っている。すでに3両×7編成と秩父鉄道の電車の中では大所帯となった。

 

◆埼玉県 秩父鉄道7800系(元東急8090系)

↑秩父鉄道7800系は元東急8090系の2両編成タイプ。中間車を改造したため、正面のデザインが7500系と大きく異なっている

 

秩父鉄道にやってきた元東急8090系。東急大井町線を走っていた頃は5両で走っていた。秩父鉄道に譲渡されるにあたり、5両のうち3両がまず7500系に改造された。残りの2両を使って編成されたのが7800系である。中間車を改造、運転台を設けたため、顔形が7500系と異なっている。

 

7500系は8090系のオリジナルな姿そのままで、正面に傾斜が付いた顔形。一方の7800系はほぼ平面で、連結側の平坦な妻面を利用したことが分かる。運転台の窓部分がブラックに塗装され、7500系に比べると、やや渋くなった印象も。7800系は2013年から走り始め、2両×4編成が運用されている。

 

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【注目の譲渡車両④】上田電鉄では1000系2タイプが走る

◆長野県 上田電鉄1000系(元東急1000系)

↑上田電鉄の1000系。写真は1003編成で「自然と友だち2号」と名付けられた。同鉄道の1000系はみなデザインが異なっている

 

長野県上田市内を走る上田電鉄。昨年秋の台風19号の影響で千曲川橋梁が倒壊、現在は上田駅〜城下駅間がバスによる代行輸送となり、電車の運行は城下駅〜別所温泉駅間のみとなっている。

 

そんな上田電鉄の主力車両が1000系、元東急の1000系である。1000系は2両×4編成が走り、皆デザインが異なる。1001編成は元東急の1000系のままの赤帯電車、1002編成は自然と友だち1号、1003編成は自然と友だち2号と名付けられたラッピング電車。1004編成は丸窓電車として人気だった車両デザインを踏襲した「まるまどりーむ号Mimaki」で、上田電鉄の伝統色、紺と白に塗装されている。

 

上田電鉄は東急の系列会社であり、1986(昭和61)年の1500V昇圧後以降は元東急電車のみを使用している。昇圧後当初は5000系、5200系、さらに7200系を利用してきた。7200系は2018年5月まで走っていただけに、懐かしく思われる方も多いのではないだろうか。

 

かつて利用した東急電車の中で、5200系1両のみ保存されている。元東急5200系は、“青ガエル”の愛称で親しまれた5000系のセミステンレス車両版である。1958(昭和33)年から4両のみ造られた車両で、日本初のステンレス鋼を用いて造られた。通常は下之郷駅の車両基地内でシートをかぶされ保管されている。

 

この元東急電車の記念碑的な車両が、9月27日までの期間限定で、城下駅の下りホームに展示されている。通常は、なかなかお目にかかれない車両なので、この機会にぜひとも訪れておきたいところだ。

 

◆長野県 上田電鉄6000系(元東急1000系)

↑上田電鉄6000系は現在2両のみ。さなだどりーむ号という愛称が付く。戦国時代に上田城を拠点とした真田家にちなむ装いで走る

 

上田電鉄には2015年3月に東急から譲渡された6000系も走っている。この車両は1000系の中間車を改造した電車で、新たに運転台を設けた。そのため、既存の上田電鉄1000系とは正面の形が大きく異なっている。

 

前述した福島交通の1000系とほぼ形は同じだが、真田藩の元城下町、上田らしく「さなだどりーむ号」の名前が付く。車体は戦国武将、真田幸村の赤備えにあわせ、赤が基調、車体には真田家の家紋・六文銭があしらわれている。

 

ちなみに、前述したように台風災害で一部区間が不通となっている。2021年春ごろを目指して復旧工事が進められている。

 

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【注目の譲渡車両⑤】元東急8500系がほぼ同じ姿で信州を走る

◆長野県 長野電鉄8500系(元東急8500系)

↑先頭に赤い帯が入る長野電鉄8500系。元東急8500系と同じ姿のままで、後ろに山景色がなければまるで首都圏を走っているかのようだ

 

長野県内の長野駅と湯田中駅を結ぶ長野電鉄長野線。普通列車に使われるのが元東急8500系である。長野にやってきても8500系を名乗る。正面に赤い帯が入る東急当時とほぼ同じスタイルで、田園都市線でも同じ姿の電車が走っている。写真を見る限り、後ろに志賀などの山々が見えなければ、首都圏で撮ったように錯覚してしまうほどだ。

 

長野電鉄へやってきたのは2005(平成17)年。3両×6編成が信濃路を走る。姿はほぼ元東急のままだが、細いところでは、例えば、雪の多い長野の風土に合わせて、凍結防止用にドアレールヒーター、耐雪ブレーキが装着されるなど、改造が施されている。

 

ちなみに急勾配用のブレーキを装着していないため、長野駅〜信州中野駅間のみの運行となっている。

 

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【注目の譲渡車両⑥】伊豆急行線を走るのは元東急8000系

◆静岡県 伊豆急行8000系(元東急8000系)

↑伊豆急行線片瀬白田駅〜伊豆稲取駅間を走る8000系。潮風を浴びる海辺の路線で、オールステンレス製の長所が活かされている

東急のグループ会社、伊豆急行。同路線の普通列車に使われるのが8000系だ。元東急の8000系である。形は細部が異なるものの、8500系と見間違えてしまう。8500系とどのように違う電車だったのか。まずはそこから見ていこう。

 

元東急8000系は1969(昭和44)年に走り始めた。東急では8000系よりも以前に7000系というステンレス製の車両を造っている。8000系はこの7000系と同じく米バッド社との技術提携を結び造られたオールステンレス製の電車だった。

 

オールステンレスであるとともに、革新的な技術を導入していた。ここからは、やや専門的な話となる。「他励界磁チョッパ制御方式」という電車の制御技術を採用した。世界で初めて実用化された技術だった。さらにマスコンハンドルとブレーキレバーが一緒になった「ワンハンドルマスコン」を、量産する電車として初めて取り入れた。こうした技術は今となっては珍しくないが、日本の鉄道車両のその後に大きな影響を与えた技術である。

 

その後の進化タイプの8090系、8500系、8590系まで含めると677両と大量の電車が製造されている。

 

東急では東横線、大井町線用で運用されたのち、2008(平成20)年に引退している。私鉄には8000系の後継車両となる8500系が譲渡されたが、8000系が引き取られたのは伊豆急行のみだった。他にはインドネシアの鉄道会社にひきとられている。

 

さて伊豆急行の8000系。2005(平成17)年から運行を始め、今では40両(4両×7編成+2両×6編成)が使われている。伊豆急行では濃淡2色の水色の塗装および帯を巻く姿となった。客席もロングシートから、一部がクロスシートに変更され、観光用電車のイメージが追加された。
海岸沿いを走る伊豆急行線。鋼製の電車は潮風の影響を受け錆びやすい。その点、オールステンレス製の8000系は、車体の腐食の心配をせずとも走らせることができる。8000系の機能が海辺を走る路線で今も活かされているわけである。