【注目の譲渡車両③】電車ではないが今や貴重な存在の機関車
◆静岡県 大井川鐵道ED500形(元大阪窯業セメントいぶき500形)
大井川鐵道には興味深い譲渡車両が走っている。主にSL列車の後押しに使われているED500形電気機関車である。
ED500形の出身は大阪窯業(おおさかようぎょう)セメントという会社だ。大阪窯業セメントという名前の会社はすでにないが、会社名が変わり現在は住友大阪セメントとして存続している。ED500形は大阪窯業セメントいぶき500形で、1956(昭和31)年の製造、伊吹工場の専用線用に導入された。同専用線を使った輸送は1999(平成11)年でトラック輸送に切り替えられたため、同年、大井川鐵道へ2両が譲渡されたのだった。
大井川鐵道へやってきた以降に、三岐鉄道へ貸し出された期間があったものの、ED500形501号機のみ戻り、大井川鐵道で使用されている。西武鉄道出身のE31形とは異なる、こげ茶色の渋いいでたちの電気機関車でレトロ感満点だ。
【注目の譲渡車両④】元近鉄の軽便路線の電車が装いを一新
◆三重県 三岐鉄道北勢線270系(元近鉄270系)
国内の在来線の多くが1067mmの狭軌幅を利用している。かつては全国を走った軽便鉄道(けいべんてつどう)は、さらに狭い762mmだった。今もこの762mmの線路幅の路線がある。三岐鉄道北勢線と、このあとに紹介する四日市あすなろう鉄道、そして黒部峡谷鉄道の3つの路線である。線路幅が狭いということは、それに合わせて電車もコンパクトになる。
三重県内を走る北勢線と、四日市あすなろう鉄道の2路線は、かつて近鉄の路線だった。三岐鉄道北勢線の歴史は古い。開業は1914(大正3)年と100年以上も前のことになる。軽便鉄道の多くがそうだったように資本力に乏しかった。開業させたのは北勢鉄道という会社だったが、その後に北勢電気鉄道→三重交通→三重電気鉄道を経て、1965(昭和40)年に近鉄の路線となった。
2000年代に入って、近鉄が廃線を表明したこともあり、地元自治体が存続運動に乗り出し、2003(平成15)年に三岐鉄道に譲渡された。元近鉄の路線だった期間が長かったこともあり、主力となる270系は元近鉄270系。1977(昭和52)年生まれの電車だ。
さらに古参の200系や、中間車の130形や140形は、前身の三重交通が新造した電車だ。ともに三岐鉄道に引き継がれた後には、黄色とオレンジの三岐鉄道色となり、より華やかな印象の電車に生まれ変わっている。そのうち1959(昭和34)年生まれの200系は、三重交通当時の深緑色とクリーム2色の塗装に変更された。軽便鉄道という線路幅は、国内では貴重であり、ちょっと不思議な乗り心地が楽しめる。
【関連記事】
762mm幅が残った謎—三重県を走る2つのローカル線を乗り歩く【三岐鉄道北勢線/四日市あすなろう鉄道】
【注目の譲渡車両⑤】元近鉄電車だがほとんど新造に近い姿に
◆三重県 四日市あすなろう鉄道260系(元近鉄260系)
四日市あすなろう鉄道も、前述したように762mmの線路幅だ。始まりは1912(大正元)年と古い。三重軌道という会社により部分開業。大正期に現在の路線ができ上がっている。その後に三重鉄道→三重交通→三重電気鉄道を経て、1965(昭和40)年に、近鉄の内部線(うつべせん)と八王子線となった。
長年、近鉄の路線だったが、近鉄が廃止方針を打ち出したことから、公有民営方式での存続を模索、2015(平成27)年4月から四日市あすなろう鉄道の路線となった。
電車は260系が走る。元近鉄260系で、近鉄が1982(昭和57)年に導入した。車体は三岐鉄道の北勢線を走る270系を基にしていて、その長さは11.2m〜15.6mとまちまち。長年パステルカラーで走っていたが、四日市あすなろう鉄道となって、電車をリニューアル。現在は、すべて車両が冷房化、車体が更新された。中間車の一部を新造したが、この新造車は鉄道友の会ローレル賞を受賞している。
元の近鉄車はかなりの古参車両といった趣だったが、電車が更新されたことにより、新車のような輝きに。車内の照明はLEDを利用、化粧板は木目調とおしゃれ。リニューアルにより大きく生まれ変わっている。