【田原本線の不思議③】走るのは町のみという路線も珍しい
さて、路線の歴史的な経緯も不思議ならば、走る路線区間もなかなか珍しいことが一つある。路線全線がみな町を通っていることだ。
起点となる新王寺駅は、JR王寺駅に隣接している。同駅は関西本線、和歌山線、近鉄生駒線と、利用者が多い乗換駅。駅周辺は、ビルも建ち並び、なかなか賑やかだ。ところが、ここは王寺町(おうじまち)と町の駅である。ここから田原本線の路線は河合町(かわいちょう)、広陵町(こうりょうちょう)、三宅町(みやけちょう)、田原本町(たわらもとちょう)と町のみを走る。
全国では平成の大合併で多くの町村が消えて、市となったが、奈良県のこの地区は、合併がなかったわけである(正式には合併交渉が頓挫していた)。ちなみに王寺町の南隣に香芝市(かしばし)があるぐらいで周辺にも市が見当たらない。日本の鉄道路線で市を通らない例は、他に南海多奈川線(たながわせん)と、名鉄知多新線が見られるぐらいで、非常に希少な例なのだ。
【田原本線の不思議④】起点の新王寺駅の離れ方を写真でみると
ここからは沿線を旅して見聞きしたことを報告していこう。まずは起点となる新王寺駅から。この新王寺駅、近鉄の王寺駅からは直線距離にして130mほど離れている。ちなみに新王寺駅の駅舎はJR王寺駅の中央改札口へ上る北口階段のすぐ下にある。新王寺駅は駅舎こそ小さめだが、駅前にSEIYUが建ち賑やかだ。
一方の近鉄生駒線の王寺駅はJR王寺駅の西側にあり、JRの西改札口の隣に改札がある。こちらは新王寺駅前に比べると賑わいに欠ける。この差は興味深く感じた。半世紀以上前に大和鉄道の経営から離れ、信貴生駒電鉄、さらに近鉄と同じ会社になったのだから、線路を直接、結ぶことになぜ至らなかったのか、不思議に感じるところである。
田原本線の新王寺駅は2面1線の「コ」の字形の構造。全電車が同駅で折り返しとなる。南側ホームが降車ホームで、北側ホームが乗車ホームだ。列車の出発時刻は15〜20分間隔で、5時、11時、12時、14時、23時それぞれの時間帯が30分おきとなる(土休日の14時台は20分おき)。なお田原本線では全線全駅で交通系ICカードが使えて便利だ。
【田原本線の不思議⑤】発車してすぐ右に見えるデコイチは?
新王寺駅に停まっていた電車はマルーンレッドの復刻塗装列車。この電車の紹介は後述するとして、みな3両編成と短めだ。
しばらく停車した後に、静かに走り出した。右手にJR関西本線の線路を見ながらしばらく並走する。JR王寺駅の南側に広い留置線が広がっていて、ここに停まる関西本線用のウグイス色塗装の国鉄形201系電車も気になるところだ。
さてしばらくすると、JR関西本線を越えるべく登り坂にさしかかる。ここで右手に保存された蒸気機関車が見えた。
確認しなければ気が収まらないのが筆者の流儀。ということで後日に蒸気機関車を見に行ってきた。JR関西本線と近鉄田原本線にはさまれた舟戸児童公園で保存されるこの機関車はD51形895号機。D51デコイチである。なぜここに保存されるのだろう。1944(昭和19)日立製作所笠戸工場生まれというこの機関車。主に山陽、山陰で活躍した後に、1971(昭和46)年春に奈良機関区へやってきた。
とはいえこの当時は、無煙化が全国で進みつつあり、同D51も翌年の1972年秋には休車したのちに廃車となっている。最晩年に過ごしたのが関西本線だったわけだ。
ちなみに田原本線を走る近鉄8400系は1969(昭和44)年から製造された。もしかしたら、現役当時のD51と8400系はこの王寺の地で、すれ違っていたかも知れない。