【田原本線の不思議⑨】兵庫県の但馬にある駅と勘違いしそうだが
奈良盆地を左右に見ながら、そして天井川を越えつつ走る田原本線の電車。直線路がしばらく続くが、その途中に但馬駅(たじまえき)という駅がある。奈良県にある駅なのに但馬というのも不思議だ。但馬といえば、兵庫県北部の地域名で、美味しい牛肉の代表格である但馬牛が良く知られている。ちなみに但馬地方には但馬駅がない。
なぜ田原本線の駅名が但馬なのだろう。余談ながら但馬駅のある三宅町は奈良県内で最も小さい町で、全国でも2番目に小さい町なのだそうだ。
そんな三宅町の大字但馬にある但馬駅。ある史料によると、兵庫県北部に但馬氏という氏族がいて、奈良(当時の大和)へ氏族の一部が移り住み、その地名に但馬と付けたという説が残る。兵庫県北部の地名と奈良盆地の同じ地名。その経緯を知って訪ねるとなかなか興味深い。
ちなみに但馬駅のお隣、黒田駅と西田原本駅間には田畑が広がり、同線の電車を撮影スポットとして知られる。
【田原本線の不思議⑩】橿原線と連絡線がこんなところに
さて黒田駅を発車して京奈和自動車道をくぐる。田畑が広がる風景はここあたりまでで、次第に住宅地が増えてくる。終点の西田原本駅ももうすぐだ。すると左から線路が近づいてくる。近づいてくるのだが、ぴったりと寄り添うことはない。
近づいてくるのは近鉄橿原線の線路。そして西田原本第二号踏切を通ると、左から線路が田原本線に近づいてきて合流する。これが田原本線と近鉄の他線を連絡する唯一の連絡線となっている。この連絡線を通って、電車は配置される西大寺検車区との間を行き来する。
橿原線と田原本線は連絡線付近で、最も近づくのだが、その後も一定の距離を保ったまま、電車は終点の西田原本駅へ到着する。乗車時間20分の短いローカル線の旅が終わった。最後に西田原本駅の周りを見ていこう。
【田原本線の不思議⑪】田原本線なのに田原本駅という駅はない
西田原本駅の改札を出ると、橿原線の田原本駅が60mほど先にある。さえぎるものがないため良く見える。だが、新王寺駅と同様に微妙な離れ方である。
前述したように、西田原本駅の北側で、田原本線は橿原線とかなり近づいて走る。工事をして、田原本駅を1つにまとめることをなぜしなかっただろうか疑問が残る。
調べてみると1964年に近鉄に吸収合併された時に統合構想が出たそうなのである。ところが人の流れが変わるとして地元商店街などの反対から立ち消えとなったそうだ。
鉄道網の発達や利便性を重視するべきか。利用する地元の人の声を重視するべきか、難しい選択だったに違いない。全国の鉄道駅では、都市部を除き、郊外になればなるほど、駅前商店街の地盤沈下している現象に良く出会う。田原本でも両駅の間にはコンビニがあるぐらいで、今は商店街らしきものもほとんどなく寂しい印象が強かった。
田原本線に関して不思議なことを最後に一つ。路線名は田原本線なのに、田原本線に田原本駅はない。正確には田原本線に昔あったが今はないというのが正しい。
西田原本駅から60mほど離れている橿原線の田原本駅は、実はたびたび駅名を改称していた。1928(昭和3)年に開業した時には大軌田原本駅、その後、関急田原本駅、近畿日本田原本駅と改名している。そして1964(昭和39)年10月に、田原本線が近鉄の一路線になって以降、はれて田原本駅を名乗るようになった。そして田原本線の旧田原本駅が西田原本駅となった。
近鉄にとって橿原線は本線扱いであり、田原本線は支線ということからしても致し方ないことなのだろうが、駅の改名された経緯を知って、ちょっと複雑な気持ちになった。