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2020/11/15 18:30

西武鉄道がコロナ禍の基地まつりで魅せた「新旧の特急&お宝級の車両」たち

〜〜Laviewブルーリボン賞受賞記念 車両基地まつりin横瀬〜〜

 

埼玉県の西武鉄道・横瀬車両基地で11月8日に「車両基地まつりin横瀬」が開かれた。今年は、2019年春に登場した001系Laviewがブルーリボン賞に輝いた受賞記念をかねての催しだった。

 

コロナ禍もあり、2020年は鉄道イベントも少なめ。多くの人が待ちわびたのだろうか、予約制にもかかわらず入場時間の前に駆けつけた人が目立った。秋の1日の模様と、この日に見ることができた貴重な保存車両を紹介しよう。

 

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【横瀬の見どころ①】開場を待ちわびていた人たちが続々と……

↑秩父地方のシンボル武甲山のふもとにある西武鉄道の横瀬車両基地。同鉄道で長年、活躍した電気機関車などが保存されている

 

埼玉県横瀬町(よこぜまち)、西武秩父線の横瀬駅に隣接して設けられた横瀬車両基地で、11月8日に「Laviewブルーリボン賞受賞記念 車両基地まつりin横瀬」と題した催しが開かれた。例年秋に、横瀬では車両基地の公開が行われているが、今回はコロナ禍ということもあり、予約制で入場できる人数を制限した上で開催された。残念ながら見ることができなかった方にも、その模様をお届けしたい。

 

午前の部が10時から11時30分、午後の部が12時から13時30分と開場した時間は短め。入場開始前から多くの人たちがつめかけた。そして開場。多くの人がこの日に発売された受賞記念のLaview限定グッズなどを目指して販売ブースへ並ぶ。一方、親子連れは、保存された車両が並ぶエリアへ急ぎ足で目指した。

↑予約制のため例年よりも入場者は少なめだったが、10時の開場とともに親子連れは保存車両のコーナーに駆けつけていた

 

横瀬車両基地とはどのような施設なのか触れておこう。池袋駅〜吾野駅(あがのえき)間を結ぶ西武池袋線は長い間、吾野駅が終点となっていた。吾野駅の先にそびえていた奥武蔵の山々をトンネルで貫き、誕生したのが西武秩父線だった。1969(昭和44)年10月14日に吾野駅〜西武秩父駅間が開業し、西武秩父線となった。

 

西武秩父線は、旅客営業だけでなく、秩父地方の石灰石を都市部へ運ぶ役割を持っていた。そのために強力な電気機関車(後述)を新造したほどだった。この電気機関車や貨車の検修施設として1970(昭和45)年に造られたのが横瀬車両基地だった。開設されて今年でちょうど50年という節目の年にあたる。

 

1996(平成8)年に西武鉄道での貨物輸送が終了したこともあり、基地はかつて活躍した西武鉄道の車両の保存場所として、休車となった車両の保管などに使われている。

 

この基地では1994(平成6)年から例年秋に、「西武トレインフェスティバル in横瀬」が開かれている。西武鉄道ファンの中には、例年1度1日きりの恒例となった催しを楽しみにしている人が多い。さらに今回は001系Laviewのブルーリボン賞受賞記念も兼ねていた。鉄道イベントも例年に比べると少なめだったこともあり、待ちに待ったイベントとなったわけである。

↑西武鉄道の販売ブースでは、8月31日に閉園したとしまえんのグッズや、Laviewの記念グッズなどが販売され多くの人で賑わった

 

【横瀬の見どころ②】賞に輝いたLaviewが入線してきた!

車両基地ということで、多くの線路が並ぶ基地内。そこにはかつてレッドアローの愛称で親しまれた西武鉄道5000系電車が1両のみ停められていた。5000系は西武鉄道で初めて、1970年度の鉄道友の会ブルーリボン賞に輝いた車両である。

 

そこへゆっくりとシルバーの車両が近づいてきた。001系電車である。001系は2019年3月から走り始めた西武の新型特急電車。世界的な建築家である妹島和世(せじま かずよ)氏がデザインを監修、個性的なデザインで注目を浴びた。正面の風貌といい、外の景色が存分に楽しめる広い側面の窓など、特徴をあげれば切りがないほどである。

↑西武鉄道001系Laviewが車両基地内の線路をゆっくりと入線してきた。シルバーの車体、個性的なスタイルが秋の秩父路によく似合う

 

ゆっくり基地に入線してきた001系Laviewが所定の位置に停車。5000系レッドアローときれいに並ぶ。そして運転席の表示も「特急ちちぶ」となった。並んでみると生まれた時代に差があるものの、ともに特急車両らしい威厳が備わっているように感じられた。

↑西武鉄道の代表的な特急電車として歴史に名を刻むことになった5000系レッドアロー(左)と001系Laview

 

今年の催しでは混乱を避けるために取材陣が先に撮影させていただいた。10時以降には密を避けるため、時間制限を設けて一般来場者にも撮ることができた。そして多くの人が新旧の特急の撮影を楽しんだ。

↑001系Laviewは複数の凝った造りが隠されている。例えば前照灯部分にはまるで人の笑顔のようなスマイルモードに変更することができる

 

【横瀬の見どころ③】ブルーリボン賞とは何か確認しておこう

ブルーリボン賞とはどのような賞なのか触れておこう。鉄道愛好者の集いであり任意団体の鉄道友の会。同会が1958年に制定したのがブルーリボン賞だ。毎年、その時代を代表する車両1形式のみが選定される。

 

鉄道友の会では「会員の投票結果に基づき、選考委員会が審議して最優秀と認めた車両を選定します」としている。

 

第63回にあたる2020年にブルーリボン賞に輝いたのが西武鉄道001系Laviewだった。今回、並んだ5000系レッドアローは第13回の1970年にブルーリボン賞に輝いた車両だった。

↑西武鉄道の社章が全面を飾る5000系レッドアロー。横瀬車両基地には1両のみが保存されている

 

ふさわしい新車がない場合には該当車なしという年もあり001系Laviewは59車両目にあたる。ここ5年間に、ブルーリボン賞に輝いた車両を見ておこう。

 

2016年 阪神電気鉄道5700系電車(阪神本線などの各駅停車用の電車)

2017年 JR九州BEC819系電車(国内初の交流用蓄電池駆動電車)

2018年 JR西日本 35系客車(SLやまぐち号用のレトロな客車)

2019年 小田急電鉄70000形GSE(展望席のあるロマンスカー)

 

そして2020年の001系Laviewとなる。こうして見ると、その年のブルーリボン賞に選ばれる鉄道車両は、各鉄道会社の看板列車だけでなく、技術やソフト面など、時代を先取りした車両が選ばれる傾向が強い。その時代を象徴する車両であり、新しく誕生した鉄道車両のみに与えられる非常に名誉ある賞なのである。

 

友の会では他にローレル賞という賞も設けている。こちらはブルーリボン賞が華やかな特急車両が選ばれがちだったこともあり、「優秀と認めた車両」を選定している。こちらは1車両に限らず、複数の車両が選ばれる年もある。

 

【横瀬の見どころ④】レッドアロークラシックが久々に入線した!

イベントが始まって間もなく会場にアナウンスが流された。10000系レッドアロークラシックが西武秩父線を走るという知らせだった。今年の横瀬のイベントにあわせ、10000系が飯能駅〜西武秩父間を2往復、特別に臨時運転されたのだった。

 

10000系の愛称はニューレッドアロー。1993(平成5)年から製造された特急電車である。残念ながらブルーリボン賞は受賞されなかったものの、001系が誕生する前の、ほぼ四半世紀にわたり、西武各線を「ちちぶ」「むさし」「小江戸」などとして走ってきた。すでに西武池袋線、西武秩父線から去り、現在の運行は西武新宿線のみとなっている。そんな10000系が久々に秩父路を走ったのだった。

 

横瀬のイベント会場からは臨時列車に向けて手を振る人も多く、乗車していた人たちからも返礼するかのように手を振る姿が多く見受けられた。

↑横瀬車両基地付近を走る臨時特急「ちちぶ」レッドアロークラシック。11月8日のイベント開催に合わせて特別に運転された

 

【横瀬の見どころ⑤】夜中に行われる保線作業を特別に公開された

イベントでは5000系、001系の撮影とともに、複数の販売ブースが設けられそれぞれ人気となっていた。さらに催されたのが「保線作業の実演」だった。保線は主に夜に行われる作業ということもあり、通常は目に触れることがない。保線スタッフによって、そうした日頃は見ることができない作業が公開された。どのような模様だったのかお伝えしよう。

 

まずは軌道上のレールを持ち上げる、またゆがみや線路幅の確認を行う。そして鉄道車両が走行により徐々に沈んでいく路盤を修正するため、レールの下のバラストを整備する作業が実演された。“ダッダッダッ!”という独特の音が特徴の工具・タイタンパーを使っての整備が行われた。

 

さらにレールの切断、レールの穴開けと実演が続く。取り換え用のレールを持ち上げ、移動する作業などの実演が見られた。最後には子どもたちに切断したレールがプレゼントされた。5個限定だったものの、レールが無料でもらえる機会はまずない。5組の親子が抽選で選ばれた。プレゼントを大事そうに抱える子どもたちの姿が印象的だった。

↑レールの切断作業を実演するそのすぐ横をLaviewが通過する。興味津々でイベントの様子を眺める車内の人たちの姿が目立った

 

↑重いレールを専用機械で持ち上げ、移動する作業を再現。現場では一定サイズのレールを使い、溶接してロングレールに仕立てていく

 

保線の作業は鉄道の安全のために重要なのは言うまでもない。雨天や暑い日、寒い日には、スタッフの大変さが想像される。鉄道の運行を支える仕事は、主に夜に行われるため見ることが出来ない。こうした催しでなければ目に触れることがないが、もっと注目を浴びてもよい鉄道の仕事なのではと思った。

 

【横瀬の見どころ⑥】横瀬は西武鉄道のお宝車両の宝庫なのだ

イベントとともに気になるのが横瀬の保存車両である。筆者は西武沿線の東村山で育ったこともあり、こちらも非常に気になった。

 

いまこうして鉄道コーナーの原稿を書いているが、その芽は西武鉄道に作ってもらったと言って良い。ということもあり、ついひいき目に書いてしまうのだが、許していただきたい。

↑かつて西武鉄道の貨物輸送を支えた電気機関車4両。左からE61形、E51形、E71形、そしてE851形

 

西武鉄道は保存された車両を公開する施設を持たない。会社の歴史を築いてきた車両は、ほぼこの横瀬車両基地に集められ、通常はシートで厳重にカバーして保存され、イベントの時に公開されている。今や稼動はしていないとはいえ、保存のためには経費も必要になる。鉄道遺産を後世に残すというのは鉄道会社のひとつの使命とはいえ、大変なことだと思う。

同じ西武グループの一員である近江鉄道(滋賀県)は彦根駅構内に電気機関車を数多く保存してきたが、経営状態の悪化で、保存しきれなくなった。クラウドファンディングで保存費用が集まったごく少数の車両を除き、大半の電気機関車が廃車されてしまった。

 

筆者としても横瀬車両基地に保存されている機関車たちは、同じようなことにならないか心配していた。現地を訪れ、催しを見て、保存状態が予想以上に良いのにほっとさせられた。そんな横瀬車両基地に保存された代表的な車両を見ていこう。

↑西武鉄道では自社で貨車も製造して利用していた。右は車掌車を兼用した有蓋車ワフ101形。奥は袋詰めセメント用有蓋車スム201形

 

【横瀬の見どころ⑦】西武鉄道の歴史を大きく変えた通勤電車たち

まずは通勤電車から。横瀬では西武鉄道の代表的な通勤電車を保存している。その中で西武鉄道の歴史にとって大きな存在の電車2両がある。まずは351系(初代501系)。当時、流行していた湘南スタイルの正面をした車体の長さ17メートルの電車である。この車両は西武鉄道でどんな意味を持っていたのだろう。確認しておこう。

↑西武池袋線の西所沢駅〜所沢駅間を走る戦災復旧電車。戦後の復興期、国鉄からの払下げ車両が多く使われた 1968年9月22日筆者撮影

 

西武鉄道は太平洋戦争の混乱期を乗り越えて、高度成長期を迎えるにあたり、利用者の増加をどのように対応するか苦慮していた。戦後まもなくは、なかなか電車を新造する力がない。そこで戦災により傷ついた車両を国鉄から大量に払下げを受けた。この払下げを受けた車両を戦災復旧車と呼ぶ。この被災した車両を状態に応じて車体の一部や骨組みなどを再利用、台車の再利用なども行った。この元国電車両の投入で難局を乗り切ったのだった。

 

そうした戦災復旧車が使われる一方で、所沢の自社の車両工場で車両を造り始めた。西武鉄道として戦後初めて1954(昭和29)年〜1956(昭和31)年に新製したのが351系(初代501)だった。新造車両だったものの、長さの異なる20メートルの中間車2両を挟んだ4両編成や、戦災で被災した車両の部品を使った制御車両と組ませた2両編成を用意した。部品は後に造られた新型501系にさらに転用させるなど、当時の西武らしい“やりくり”が随所に見られた。戦災復旧車とともに351系や、そのあとに新造した自社製車両によって、ひっ迫しつつあった輸送需要に対応していったのである。

↑登場した当初の塗装で保存される351系(車両番号はモハ505としている)。左上は筆者が出会った当時の赤電塗装の351系

 

西武鉄道の電車の歴史の中で351系よりも後年となるが、大きな存在となったのが101系電車だ。この101系も、横瀬車両基地にクハ1224の1両のみが保存されている。101系は西武秩父線の開業に合わせて新造された電車だった。それまでの西武鉄道の新造車両は、形は新しいものの、台車や機器に古めの部品が混じっているなど、新造車両とは言いがたい電車が目立った。節約主義が徹底していたのである。

 

西武秩父線の開業に合わせて用意された101系は、西武秩父線の勾配区間をクリアできるように、高出力、高ブレーキ性能を保持していた。1968(昭和43)年から1976(昭和51)年まで大量の278両が造られている。それまでの西武の車両とは異なった性能重視の電車だった。この電車は、今でこそ、低い位置に運転台がある初期タイプが引退したものの、後期に生まれた高い位置に運転台がある新101系は、今も多摩湖線、多摩川線で活躍している。それだけ性能的に秀でたこともあり、長寿車両となったのだろう。

↑2001年10月に開かれた横瀬の催しでは赤電塗装の101系が会場へ。当時の列車名「奥武蔵」のヘッドマークを付けて入線した

 

101系以降の西武鉄道の新造車両は性能を重視し、乗り心地にも目を向けるようになっていく。今ではスマイルトレインの愛称で親しまれる30000系や、有料座席指定列車S-TRAINとして他社に乗り入れる40000系といった、他社と遜色のない優秀な電車を走らせているが、それも101系という電車を生み出したことが大きかったことになる。

↑登場した当時の黄色塗装で保存される101系電車。西武秩父線の開業に合わせて新造された電車だった

 

【横瀬の見どころ⑧】ここにしか残っていない貴重な機関車たち

横瀬に保存される車両で、わが国の鉄道史の中でも大きな存在なのが、複数の機関車だ。今回は、シートがかぶされたままで、公開はされなかったが、まずは4号蒸気機関車という、基地内で唯一のSLが保存されている。同機関車は現在の西武国分寺線と西武新宿線の東村山駅〜本川越駅間を開業させた川越鉄道という会社から引き継がれた機関車だ。元は国鉄400形で明治初期に英国に発注された。西武鉄道では1957(昭和32)年まで多摩湖線で使われていた。

 

この機関車のみ唯一の蒸気機関車。ほかは電気機関車ながら、日本に電気機関車が導入された創始期に、海外から輸入された歴史的な車両ばかりである。一両ずつ見ておこう。

↑いずれも大正末期に鉄道省により輸入された電気機関車で、西武ではE61形(左から)、E51形、E71形を名乗った

 

・E51形電気機関車
鉄道省が東海道本線の電化用に1923(大正12)年にスイスから2両を輸入した機関車で、その後の国鉄ではED12形を名乗った。1949(昭和24)年に西武鉄道の2両とも移籍、E52のみが保存されている。

 

・E61形電気機関車
鉄道省が1923(大正12)年に東海道本線用にアメリカから輸入した機関車で、国鉄当時はED11形を名乗った。西武には1960(昭和35)年に移籍、E61形となった。同形機が名古屋市のリニア・鉄道館に保存されている。

 

・E71形電気機関車
アメリカ製の元国鉄ED10形で、1922(大正11)年年に東海道本線用に鉄道省が輸入した。1960年(昭和35)年に西武鉄道に移籍、ローズレッドに色が変更されたが、現在は国鉄時代のブドウ色に塗装変更、ナンバープレートも国鉄時代のED10形2号機に変更されている。

↑E41形電気機関車が牽く貨物列車。有蓋車に無蓋車と当時の混成だった貨物輸送の様子が分かる。左上は今回の催しでのE41形 筆者撮影

 

・E41形電気機関車
元青梅鉄道1号形電気機関車で1926(大正15)年から1929(昭和4)年にかけてイギリスに4両が発注された。国鉄時代はED36形で、その後に4両とも西武鉄道に移籍した。現在はE43のみが横瀬に保存されている。

 

E41形を除いて、すべてが当時の鉄道省が東海道本線の電化に合わせて導入した電気機関車だ。将来、電気機関車の国産化を目指すために、アメリカ、イギリス、スイス、と当時の最新技術が取り入れるべく国内に持ち込まれたものだった。筆者はいずれも現役当時に西武池袋線などを走る姿を確認していた。特にスイス製のE51形はなかなかダンディな姿で、その姿が深く脳裏に刻まれている。

↑写真は1999年の横瀬の公開時のもの。E851形機の大きさが良くわかる。後ろにはE31形も見えている。当時はまだ検修庫があった

 

そして最後に紹介しておきたいのがE851形電気機関車である。今回の催しでは残念ながら両側を作業用の台に挟まれ、その姿を存分に楽しむことが出来なかったが、ここでは過去の横瀬の催しの姿を掲載しておきたい。

 

E851形は西武秩父線用に1969(昭和44)年に新製した電気機関車である。急勾配がある西武秩父線では従来の機関車が使えなかったために新造された。私鉄では最大の大きさを誇る機関車で、過去にも後にも、この大きさの機関車は生まれていない。国鉄で言えば動軸6軸の、いわばF形で、EF65形式に匹敵する。4両製造され一部区間では重連で運用された。強力だったが、活用された期間は意外に短かった。西武秩父線と平行する国道の整備などが進んだこと、また貨物の輸送量の減少などの理由により、1996(平成8)年に貨物輸送が廃止された。同機関車も稼動期間27年をもって終了している。4両製造されたうちのE854のみが横瀬に保存されている。

 

筆者は残念ながら同機が活躍していたころには、鉄道趣味から離れていた時期と重なったために撮影しそこなっていた。今思えば大変に残念に思う。いずれにしても、それぞれの車両に何年かぶりに“再会”できて非常に有益な時間を送ることができた。

 

西武鉄道がこうした古い機関車を今も大事に保存していることに敬意を表したい。“再会”できて、うれしく思ったとともに、来年も再訪することを誓い横瀬車両基地をあとにした。