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2021/1/28 20:00

まだ大丈夫!? 国鉄形通勤電車「201系」と「205系」の活躍を追う【後編】

〜〜希少な国鉄形電車の世界その4「205系」〜〜

 

まだまだ走っているから大丈夫だろうと思っているうちに、いつしか消えていくことが多い国鉄形電車たち。筆者も、数多く走る国鉄形電車の撮影に飽きてしまい、それこそ走ってくるのにスルーしてしまったこともある。後になって、もう少し撮っておけば良かったな、などと後悔することが多い。今回の後編は、“今はまだ多く走っている”205系に注目しよう。

 

【はじめに】103系の後に登場した通勤電車たちの役回りとは?

前編では201系までの、国鉄形電車の動きに関してとりあげた。さて国鉄初の省エネ電車として登場した201系だったが、製造された車両数こそ多かったものの、4年と製造された期間が短かった。なぜ短期間の製造に終わってしまったのだろうか。そこには省エネ電車201系ならではの問題点が潜んでいた。

 

◆国鉄末期、まずはコストダウンを、と生まれた205系

省エネタイプの電車として登場した201系だったが、コスト高が問題視されたのである。電機子チョッパ制御システムが高価だった。201系の製造が打ち切られて、わずか2年で国鉄が消えJRとなるわけだが、火の車状態の国鉄には、201系の製造が重荷となったわけである。

 

そこで計画されたのが205系だった。205系は103系に使われていた抵抗制御を基本にした界磁添加励磁制御方式という制御システムを使っている。さらに205系から国鉄初のボルスタレス台車という台車を使っている。DT50という形式のボルスタレス台車は、従来の台車に比べて軽量かつシンプルな構造と機構が特徴で、メンテナンスなどにかかるコストが削減できるばかりか、走行性能を著しく向上させた。

↑武蔵野線の205系基本番台。同線の205系は2020年10月にすべてが引退となっている 2020年4月29日撮影

 

さらに205系では国鉄の通勤電車初のステンレス製の車体を採用した。こうしたことでコストダウンを実現、車体が軽量化され、省エネルギー化も実現された。いわば一挙両得の利を得たわけである。

 

205系は国鉄時代の1985(昭和60)年から製造が始まり、JR化されたあとの1994(平成6)年まで製造が続き、計1461両の205系が造られた。国鉄の時代生まれであり、途中からはJR旅客会社が製造を引き継いだのだが、設計されたのが国鉄時代なので国鉄形通勤電車に区分して良いだろう。

 

首都圏では1985(昭和60)年に山手線から運行が始まり、京浜東北線、中央・総武緩行線、京葉線、武蔵野線など、そして関西圏では東海道・山陽本線を走る京阪神緩行線に導入された。1461両と製造された車両数は多く、0番台から始まり、その後に1000番台から6000番台までと、引き継いだJR東日本では多くの改造タイプを生み出している。

↑武蔵野線の205系基本番台には前面デザインを変更した車両も登場。排障器が未装着で目立っていた 2019年3月2日撮影

 

◆ご注意を! 消える時は、それこそあっという間に消えていく

今も205系はJR東日本とJR西日本に残っている。しかし……。JR東日本では武蔵野線の205系が、2020年10月19日で姿を消した。武蔵野線はそれこそ“205系だらけ”の路線で、オリジナルな正面デザインを持つ205系も珍しくなかった。それこそ、筆者はまた205系かと失礼ながら撮らなかったこともあった。そんな武蔵野線に209系、E231系が入線し始め、わずか数年で205系が消えることになってしまった。

↑武蔵野線最後の編成となったM20編成。オリジナルな姿を残していたが2020年10月19日で運行が終了 2020年10月14日撮影

 

武蔵野線は筆者もたびたび訪れているが、205系の運用が徐々に減っていき、最後に残ったM20編成の運用も2020年10月19日に終了した。コロナ禍のさなかということもあり、サヨナラ運転もなく、沿線に集う一部の鉄道ファンに見送られての最終運行となった。こうした例のように国鉄形電車は、消えて行く時は、かなり早いペースで消えていく。残る205系といえども、“安泰”ではないのである。

 

【205系が残る路線①】オリジナルな姿を残す奈良線の205系

205系が残る全路線を見ていこう。まずはJR西日本の奈良線から。奈良線に走る205系は今や貴重な、205系のオリジナルな正面デザインを持つタイプが走る。

 

◆奈良線の205系には2タイプがある

↑京阪神緩行線用に投入された奈良線の205系の基本番台。奈良線を走る205系は2タイプあるが、違いに気付きにくい

 

奈良線の205系は吹田総合車両所奈良支所に配置されていて、4両×9編成の計36両が残る。奈良線を走る205系には2タイプがある。元京阪神緩行線から阪和線を経て奈良線へやってきた基本番台と、阪和線用に投入された205系1000番台の2タイプだ。残る編成数は基本番台が4編成で、1000番台が5編成残る。

 

形やデザインは基本番台と1000番台で異なっている。基本番台は運転台のガラス窓の下部の高さが同じで、2枚のガラス窓を区切る支柱が助手席側にある。一方の1000番台は運転席の部分のみ、正面のガラス窓の下部の高さが、高くなっている。また助手席側のガラス窓が広げられている。

 

ほかに目立たないが運転席の下のスカイブルーの化粧板の下に、細い黄色線が入るのが基本番台だ。1000番台には化粧板の黄色い線が入っていない。筆者もこの原稿を書くまでは、迂闊なことに、この差に気付かなかった。ほかに機器や内装に微妙な違いがあるので、訪れた時はぜひ確認していただきたい。

 

◆普通列車の大半が205系で運用されている

↑阪和線用に導入された205系の1000番台。前の写真と比べると分かるように助手席側のガラス窓が大きく造られている

 

京都駅〜奈良駅を走る奈良線は快速列車の運用と、普通列車の運用で車両が分けられている。普通列車用の運用に入るのが主に205系と103系で、普通列車はほぼ205系がメインと見て良い。同列車の運用は2週前の記事を参照していただきたい。

 

奈良線から国鉄形電車が消えるとしたら、まずは103系からだと思われるが、JR西日本が225系を新造し、その影響で221系が他線区へ移る傾向が強まっている。205系といえども、予断は許さない状況となっている。

 

【関連記事】
そろそろ終焉!?‐‐西日本にわずかに残る国鉄形通勤電車「103系」を追った

 

【205系が残る路線②】宇都宮線を走る湘南色ラインの600番台

ここからはJR東日本の各路線に残る205系の状況を見ていこう。前述したように武蔵野線の205系は引退となり、オリジナルな正面の姿を残した205系が非常に少なくなっている。残る多くの車両は改造、またはJR東日本になって新造された205系となっている。とはいえ各路線の205系はなかなか個性派揃いだ。

 

なお、JR東日本の各路線用に改造されたうち、次の番台はすでに引退している。

 

・1200番台:南武線向け 2016年1月引退

・3000番台:八高線・川越線(八王子駅〜川越駅間)向け 2018年7月引退

 

残る205系のうち、まずは宇都宮線・日光線を走る600番台から。

 

◆宇都宮駅を起点に湘南色ラインの205系600番台が走る

↑宇都宮線を走る205系600番台。大半が改造タイプの正面デザイン(写真)だが、2編成のみオリジナルな形の車両も残る

 

宇都宮線・日光線を走る205系は、京葉線、または埼京線を走った205系で改造後には600番台となっている。600番台の配置は小山車両センターで、4両×12編成、計48両が配置されている。このうち宇都宮線を走る205系は8編成で、湘南カラーの帯でおもに宇都宮駅〜黒磯駅の運用についている。

 

多くが正面を改造されたデザインながら、改造元となった京葉線の車両が足りなかった。そのためY11とY12編成の2編成は元川越車両センターの車両が改造された。この2編成のみ埼京線を走ったオリジナルの正面の形を残している。JR東日本で、オリジナルな正面の姿を残した“最後”の車両となっており、栃木県を訪れた時には、この改造されていない205系を探してみてはいかがだろう。

 

【205系が残る路線③】レトロさが際立つ日光線の600番台

◆日光線用の205系ジョイフルトレインも走る

小山車両センターに配置された205系のうち4両×4編成が日光線用の205系。日光線の205系は湘南色ではなく、独自のレトロ調塗色車となっている。ステンレスの車体に巻く帯の色は、クラシックルビーブラウンとされるこげ茶色と、ゴールド、クリームの3色となっている。また行先を表示する方向幕はレトロ調のフォントが使われている。

↑日光線用の205系600番台。行先を示す方向幕もレトロ調となかなか凝っている

 

2013年から走り始めた600番台だが、2018年には栃木県の観光デスティネーションキャンペーンに合わせてY3編成が観光列車用に改造された。ジョイフルトレイン「いろは」と名付けられた編成で、4扉を2扉に変更。観光列車らしくセミクロスシートの座席配置とされた。検査日を除き、ほぼ毎日、普通列車のダイヤで走っている。日光線を訪れた時には、ぜひ乗車してみたい。

↑宇都宮線(東北本線)を走る205系ジョイフルトレイン「いろは」。4扉のうち、中央の2扉が外され客席スペースに改造された

 

【205系が残る路線④】南武支線用の205系1000番台

◆2両編成の205系が4.1km区間を往復

東京都の立川駅と神奈川県の川崎駅を結ぶ南武線。同線の尻手駅(しってえき)と浜川崎駅を結ぶのが南武支線である。南武支線は旅客案内上の名称で、浜川崎支線という通称名もある。川崎の臨海部の距離4.1km区間を走る路線で、2両編成の205系が行き来している。

↑南武支線を走る205系。帯色はクリーム、緑、黄色の3色が使われる。緑の帯の中には五線譜とカモメが描かれている

 

番台は1000番台にあたる電車で、元は中央・総武緩行線と山手線を走った電動車モハ2両を利用、先頭車に改造して生み出された編成だ。配置は鎌倉車両センター中原支所で、2両×3編成、計6両が走っている。なお、JR西日本にも205系1000番台が走っているが、現在、JR各社で車両形式の数字付けが異なり、JR東日本とJR西日本の205系1000番台は別車両となる。

 

【205系が残る路線⑤】鶴見線を走る205系は1100番台

◆3両編成、計9本が川崎の臨海部を走る

神奈川県横浜市と川崎市の臨海部を走る鶴見線。鶴見駅と扇町駅間を結ぶ本線と、途中の浅野駅〜海芝浦駅間を海芝浦支線と、武蔵白石駅〜大川駅間を結ぶ大川支線がある。この鶴見線を走るのが205系1100番台だ。

 

205系1100番台は、2004年から投入された編成で、元は埼京線と山手線の中間車からの改造で、2M1Tという3両編成で構成される。3両×9編成、計27両が鎌倉車両センター中原支所に配置されている。1100番台とはなっているものの、中間のモハは基本番台(0番台)で、正式には0番台と1100番台の混合編成ということになる。

 

車体に巻かれる帯は黄色とスカイブルーで、このうち黄色は鶴見線のラインカラーでもある。

↑鶴見線を走る3両編成の205系1100番台。中間車のみ0番台となっている

 

【205系が残る路線⑥】東日本大震災の影響をうけた仙石線の電車

◆4両編成、計17本の3100番台が仙石線を走る

東北地方でJR東日本唯一の直流電化区間の仙石線(せんせきせん)。こちらを走るのが205系3100番台だ。元は山手線(一部クハは埼京線用のサハ車)を2M2Tの編成に改造して2002年から投入された。車体に走る帯色はスカイブルーにやや濃いめのブルーの2色となっている。寒冷な東北を走る205系ということで、乗降扉にレールヒーターを、また耐雪用のブレーキを追加で装備している。また車内トイレも設けられた。

 

配置は仙台車両センター。当初4両×19編成が改造されたが、M7編成とM9編成という2編成は10年前の東日本大震災の被害を受けてそれぞれ廃車となっている。そのため現在は、仙台車両センターに配置された4両×17編成、計68両とやや減っている。それでもJR東日本に残る205系のうち、最も車両数が多い大所帯でもある。

↑仙石線の205系3100番台。2011年の東日本大震災で2編成が廃車に。写真の陸前富山駅も津波の被害を受け駅ホームが改修された

 

【205系が残る路線⑦】JRになり新造された205系が走る相模線

◆計52両の500番台が相模線に主力となり走る

これまで見てきたJR東日本の205系は、みな既存の205系を改造されて生まれた車両である。最後に紹介する205系は、JR東日本となって新造された車両だ。相模線が1991(平成3)年3月16日に電化されるのに合わせて誕生した。205系500番台とされた車両で、これまでの205系とは異なる正面デザインを特徴としている。車体に入る帯色は平行して流れる相模川をイメージしたブルーグリーンとライトグリーンとされた。

 

車両数は4両×13編成の計52両で、全車が国府津車両センターに配置されている。一応205系は国鉄形電車に含まれるが、車両の誕生が1991年と、JR化されて数年後であり、しかもデザインが既存の205系とだいぶ異なっている。

↑相模線の205系500番台。他の205系とは大きく異なる正面デザインが特徴となっている

 

国鉄形とは言い切れない微妙な電車ではあるが、国鉄のDNAは受け継いでいると言って良いだろう。JR東日本に残る205系は幹線ではなく、いずれもローカル線での運用となっている。幹線のように素早く新型車との入換えされる路線でないことも救いとなりそうだ。

 

JR東日本では、むしろ早めの置き換えを想定して製造された209系やE217系といった“後輩”の車両の置き換えが、すでに始まりつつある。むしろ頑丈に作られた国鉄形であるがゆえ、残る路線の現状を見る限り、意外に末長く使われることになりそうだ。