〜〜小田急ロマンスカーミュージアムの見どころ遊びどころ【後編】〜〜
海老名駅前に4月19日にオープンする「ロマンスカーミュージアム」。前編では展示収蔵される歴代のロマンスカーの特徴や魅力を中心に紹介した。今回の後編では、ロマンスカー以外にも数多くある見どころ・遊びどころに注目したい。
「ロマンスカーミュージアム」には、ロマンスカーギャラリー以外にも、複数の展示ゾーンがそろっている。そこには、こだわりがふんだんに隠されていた。
【前編はこちら】
【展示ゾーン①】小田急の車両史はこのモハ1形から始まった
◆ヒストリーシアター(1階)◆
2階のエントランスからエレベーターを下りると、最初の展示ゾーン「ヒストリーシアター」となる。まず目に入ってくるのが、濃い茶色に塗装された電車が1両。その横には映像シアターがある。
シアターでは、約4分30秒のショートムービー「ロマンスカーは走る」が上映されている。ジャズに合わせてステップを踏むタップダンサーとともに、小田急電鉄の歴史が紹介されていく。年代ごとに活躍した電車と、歴代のロマンスカーが映し出される。
ここで小田急の歴史と、保存される古い車両を簡単に触れておこう。小田急は1923(大正12)年5月1日に小田原急行鉄道株式会社として創立された。1927(昭和2)年4月1日に小田原線が全線開業し、列車が走り始めている。区間延長という形ではなく、一気に全線開業させた路線作りは目を見張るものがある。さらに、当初は単線区間があったものの、10月15日には早くも全線複線化させている。その2年後の1929(昭和4)年4月1日には江ノ島線全線を開業させた。
首都圏を走る大手私鉄の中では、創業は決して早いとは言えないものの、歴史を見ると、創立当初から非常に動きが早い会社だったことがうかがえる。車両開発なども、当時から高性能車両を取り入れる傾向があった。
このフロアに飾られるモハ1(モハ1形10号車)もそんな高性能電車の一両。路線開業当時に導入した車両だった。形式はモハ1形とされる。数字に1が付くように、小田急の最初の電車形式だった。小田急の車両の歴史はこの1形から始まったと言っていいだろう。
モハ1形は1960(昭和35)年までに引退となり、各地の私鉄各社へ譲られた。ここで公開されるモハ1形10号車も、熊本県を走る熊本電気鉄道へ譲られた車両で、熊本では1981(昭和56)年まで走り続けた。小田急では、創業当時の車両を復元して保存したいという意向があり、再び戻されたという経緯がある。
車内には入れないものの、開いた扉から車内を見ることができる。当時の木をふんだんに使った内装の様子が良くわかる。
◇サボに書かれた稲城登戸駅間とは今の?
約15mの長さがあるモハ1形の側面。その中央にはホーロー製の列車行先札(サボ)が吊り下げられている。文字の表記は今とは異なり右から読むが、列車行先札には新宿〜稲田登戸とある。もともとモハ1形は、この区間用に用意された近郊形電車だったのである。
さて、稲田登戸駅とは、今の登戸駅のことなのだろうか。調べてみると南武線(当時は南武鐵道)との接続駅、現・登戸駅はかつて、稲田多摩川駅という駅名だった。一駅隣の現・向ヶ丘遊園駅を稲田登戸駅と呼んだのだった。
ちなみに小田急は1940(昭和15)年に現在の京王井の頭線(当時は帝都電鉄)を合併。太平洋戦争下の時代には国策により、東京急行電鉄(大東急)の傘下となった。戦後の1948(昭和23)年に小田急電鉄株式会社として再発足している。また1955(昭和30)年4月1日に、稲田登戸駅は現在の向ヶ丘遊園駅という駅名に改称されている。