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2021/5/26 20:00

わずかに残る「京王御陵線」の遺構と立派な参道や橋に驚く!

【京王御陵線③】旧線を復活させた山田駅から歩き出した

↑山田駅を発車した高尾山口駅行電車。この山田駅までは以前の京王御陵線の路線を使って高尾線は造られた

 

以前は御陵線の途中駅だった山田駅に降り立った。御陵線の旧路線をたどるために、駅から西へ向かう。しばらくは線路沿いを歩いた。途中から線路沿いの道が途切れるため、線路を離れて西へ向かう。山田地区は低地となっているが、行く手に、やや高台があった。この高台には現在、高尾線のめじろ台駅がある。駅の前に広がる高台の住宅地は「めじろ台」となっている。

 

古い地図を見ると、現在の山田駅とめじろ台駅の間で、路線は北へ向かっていた。下の写真のあたりで進行方向が変わっていたのだ。この写真を見てもわかるように、手前はめじろ台の高台で、山田駅方面は、それよりも一段、標高が低い地形となっている。

↑めじろ台駅側から山田駅側を見ると、写真のように高低差があることが分かる。御陵線はこの手前で向きを変えて北側へ向かって走った

 

京王御陵線は、現在の高尾線の路線から北へ向きを変えて走った。そしてめじろ台の高台へのぼっていく。そんな上り坂が下の写真。以前は、線路が敷かれていたであろう、なだらかなスロープが残っている。植えられた草花がちょうど見ごろを迎えていた。

↑現在の高尾線の路線からめじろ台へは適度な上り坂となっている。古い路線らしき箇所に緩やかなスロープが残っていた

 

【京王御陵線④】元線路跡は山田町並木線となり京王バスが走る

さて、めじろ台へ上ってきた御陵線。現在、線路は残っていないが、同区間を走っていたことが推測できる。線路が通っていたらしき通りは道幅が広い。中央に街路樹が植えられ、北西に向かって延びていた。古い地図で確認しても、この通りが旧路線とぴったりと重なることが分かる。現在の通りの名前は「山田町並木線」となっていた。

↑元御陵線の路線は現在の山田町並木線という通りとなっている。この通りを走るのは京王バス。付近のバス停(左上)の名前はめじろ台一丁目

 

ケヤキ、イチョウといった木々が見事に育った並木道ではあるものの、気になったので、御陵線という名称が通り沿いに残っていないかを探してみた。ところが、何も残っていない。京王御陵線との関連があるとすれば、京王バスが走っていることぐらいのものだった。

↑山田町並木線を北西へ向かう。途中には「関東武士ゆかりの地散歩なる碑」(左下)が設けられていたが、さて……

 

御陵線の元路線跡を示すものはなかったが、「関東武士ゆかりの地散歩」という碑があった。これは「ふだん通る道を歩いて、歴史の痕跡や新しい魅力を発見して欲しい」と、東京都生活文化局が設定したコースの一部ということだった。筆者は歴史好きを自認しているものの、関東武士とはいっても、鎌倉時代や戦国時代に表舞台に立った人物が東京西部に少ないこともあり、資料を読んだものの、ぴんとこなかった。

 

【京王御陵線⑤】中央本線の先にあった横山駅。路面電車も走った

街路樹が茂る山田町並木線をめじろ台から歩く。ゆるやかな坂道を下ると、先にJR中央本線の線路が見えてくる。京王御陵線は、この中央本線を高架で越えていた。現在の、山田町並木線の通りはアンダーパスでJR中央本線の下をくぐる。そんな写真を撮ろうとカメラを構えていたら。あれっ! 見慣れない列車が通過していく。なんと『TRAIN SUITE四季島』ではないか。通るのならば、この近くで構えておくのだったと残念に思った。

↑京王御陵線はJR中央本線の線路を高架で越えていた。現在、道路は下をくぐる。中央本線を通過するのは『TRAIN SUITE四季島』

 

JR中央本線を越えたあたりに横山駅(休止時は武蔵横山駅)があった。現在の甲州街道(国道20号)と山田町並木線が交差する並木町交差点付近である。御陵線は高架化され、駅も橋上駅だった。実は京王御陵線が正式に廃止の手続きが取られたのは1964(昭和39)年11月26日のこと。それまでは、高架施設が残っていたそうだ。この廃止を機に、高架施設は取り除かれ、旧横山駅がどこにあったのかも、今は推測するしかない状態になっている。

↑甲州街道と山田町並木線が交差する並木町交差点。角に交番があるが、このあたりに旧横山駅があったと推測される

 

↑旧路線は甲州街道(左)を横切り北へ向かった。不自然な向きのマンションがあり、この前あたりに路線が通ったことが推測できる

 

旧横山駅から北は、現在の山田町並木線が延びる方向とは、やや異なるところを線路は通っていた。並木町交差点の北側から、旧ルートがどこを通っていたのか判別が難しくなる。ひとつのヒントとしては、並木町交差点の北側にある建物と、マンションが甲州街道に対して、やや斜めに建っていること。土地の所有権が、ここで分かれていたということを示す一つの証だろう。

 

通り抜ける甲州街道で触れておきたいことがある。甲州街道には前述した古い地図にあるように、武蔵中央電車が走っていた。運行していたのは武蔵中央電気鉄道という会社で、路線は東八王子駅前停留場(現・京王八王子駅前付近)と高尾停留場(現・高尾山口駅付近)間を結んでいた。甲州街道を走る路面電車で、京王御陵線の横山駅の最寄りには横山駅前(後の武蔵横山駅前)停留場があった。

 

この路面電車の開業は1929(昭和4)年12月23日のこと。ところが1931(昭和6)年に京王御陵線が開通したことにより、客足が伸び悩む。そこで武蔵中央電気鉄道は京王電気軌道へ路線を売却。1938(昭和13)年6月1日のことだった。翌年の6月30日は運転休止に、そして12月1日は廃止となった。開業してわずか10年で消えた短命な鉄道路線だった。買い取った京王としては、うまみがあったのだろうか。線路が高く売れたことで得た利益を、その後の新車導入に役立てたという逸話が残っている。

 

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